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三華繚乱  作者: 南優華
第八章
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第八章 白華・興華伝四十九 暗躍

氷陵帝が「白華と興華を庇護下に置く」と高らかに宣言してから十日余り――。

白陵宮の一隅、女官長専用の部屋にて、麗翠は机に肘をつき、扇で口元を隠しながら深いため息を漏らしていた。


(……柏林の王族の末裔。ほぼ間違いない。だが、この事実を黒龍宗にどう報告すれば……)


黒龍宗は白陵国と表立って対立せず、内部の情報を探るに留めて、白陵国との全面衝突を避ける方針を取ってきた。

だが「柏林の王族の末裔が氷陵帝の庇護下にある」となれば、それは一気に戦争の火種となる。

麗翠の胸中には、不安と焦燥が渦巻いていた。


「……だが、報告を怠れば、それこそ死罪。いっそ、どう伝えるか……」



---



そのときだった。

背後に、氷気を孕んだような張り詰めた気配が立つ。

麗翠は背筋が凍りつき、慌てて膝をついた。


「――黒蓮冥妃様」


黒龍宗副教主にして、冥妃の名を冠する者。四冥将すら凌ぐ武を持つ、宗の“影の支配者”。

音もなく背後に現れたその姿は、闇に溶ける黒衣に、紅玉のような瞳を光らせていた。


「麗翠。報告はどうしたの?」

柔らかな声音でありながら、圧し掛かる威圧は背骨を砕くようだった。


麗翠は床に額を擦りつける。

「も、申し訳ございません……! ただ今、御報告を……!」



---



麗翠は、玉座の間で起こった一部始終を正直に語った。

雪嶺大将が連れ帰った不法入国者。

その二人が「白華」と「興華」と名乗り、仙術を披露し、氷陵帝が直々に庇護を宣言したこと。


冥妃は黙して聞き、しばし瞑目した。

やがて紅玉の瞳を開き、低く呟く。

「……柏林王族の末裔、か」


「は、はい……。ですが、陛下はすでに庇護を……。これを“柏林の血筋”と明言すれば、黒龍宗と白陵国は――」

「全面衝突になる」

冥妃の口元が僅かに弧を描いた。


「だからこそ、まだ伏せておきなさい。時が早い。……末裔は三人のはず。しかし、一人足りない」

麗翠は息を呑む。

「行方が、分からないのです……」


冥妃はうなずき、背を翻した。

「よろしい。今日の話が報告でいいわ。あなたは宮廷でおとなしくしていなさい」


その声は命令というより、冷たい刃のように突き刺さった。

「……御意」

麗翠の声は震えていた。


次の瞬間、冥妃の姿はかき消えるように消えた。



だが冥妃は宮殿を立ち去ることはしなかった。

「……少し、その目で確かめておこうかしら」


夜の回廊を抜け、冥妃は音もなく離れの屋根へと舞い上がる。

そこから、白華と興華の姿を遠目に捉えた。

氷灯が揺らめく中、兄妹の姿はまるで絵のように鮮明だった。


白華は庭に面した縁側に腰掛け、夜空を仰ぐ。

月光に照らされた横顔は静謐でありながら、瞳の奥には決して消えぬ火を宿していた。

冥妃の目は、その内面に触れるように鋭く細められる。


(……なるほど。この娘は“導く者”の眼をしている。憂いと覚悟を同時に抱き、人の心を縛る強さを持つ。氷陵帝が惹かれるのも道理)


興華は庭の片隅で木剣を振っていた。

まだ幼さを残す顔だが、その動きには迷いがなく、霊力と気功が自然に同調しつつある。

振り下ろすたびに夜気が震え、砂利がわずかに散る。


冥妃はその姿を観察しながら、静かに息を吐いた。

(……この小僧は“器となり得る者”。そして、肉体と霊力を同時に鍛え、既に若き将の風格を帯びつつある。いずれ剣が心を決める……そういう宿命を持つ顔だ)



---



彼女の視線は二人を交互に行き来し、静かに思考を深めていた。


(柏林の血筋……まだ時は早い。けれど、このまま育てば……黒龍宗にとって脅威となる芽)

(……切り取るか、利用するか。どちらに転ぶかは、この子らが何を選ぶかによる)


黒蓮冥妃の眼差しは、まるで獲物を狙う蛇のようだった。



---



その視線に気づかぬまま、白華は小さく微笑んで弟を見守っていた。

「興華……ずいぶん強くなったわね」

その声音には、幼き日々からの積み重ねを思い返す、温かい姉の誇りが滲んでいた。


だが――。


白華はふいに笑みを消し、眉をひそめた。

胸の奥に、針で刺すような寒気が走ったのだ。


「……誰か……いる?」


興華も剣を止め、荒い息を吐きながら庭の暗がりを睨んだ。

「……気のせいじゃない」


しかし、そこに冥妃の影はすでになかった。

ただ氷夜の風が吹き込み、灯籠の炎を揺らしただけだった。



---



黒蓮冥妃は屋根の上を音もなく渡り、夜の闇に溶け込んでいった。

その口元には、わずかな笑みが浮かんでいた。


(……悪くない。ほんの少しの揺さぶりで気配に気づくとは。やはり面白い)


こうして、姉弟の存在は確かに黒蓮冥妃の目に留まり、氷陵帝だけでなく黒龍宗の副教主までもが注視する存在となった。

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