第八章 白華・興華伝四十三 興華対凍昊(一)
雪嶺大将の太い声が広間を震わせた。
「――凍昊! 凍昊中将! 前へ!」
突如として名を呼ばれた凍昊は、一瞬驚きに目を見開いた。廷臣や兵たちがざわめく中、老練の将はすぐに表情を引き締め、大理石の床を踏みしめて進み出る。
「……ははっ!」
片膝をついて跪いた凍昊を、氷陵帝は玉座から冷ややかに、しかし愉悦を帯びた眼差しで見下ろした。
「凍昊。あの少年と剣を交えてみよ」
凍昊は低く息を吐き、胸の奥に重さを覚えた。
「御意……」
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帝の言葉を聞いた瞬間、興華の胸は激しく高鳴った。
(……俺が、帝の御前で剣を取るのか? 相手は凍昊中将……雪嶺大将と並ぶ白陵国の猛将……!)
恐怖が全身を駆け巡る。だがそれ以上に血が熱を帯び、昂ぶりが押し寄せた。
隣に立つ白華が、小さく頷く。
「興華、胸を張って。あなたならできるわ」
その一言が、興華の胸奥に炎を灯した。
(退くわけにはいかない。俺は――ここで、生き残ってみせる!)
深く息を吸い、興華は背筋を伸ばした。
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広間の空気は張り詰めていた。
廷臣たちの視線は冷笑と好奇で揺れる。
――少年が中将と戦えるはずがない。
――即座に斬り伏せられるだろう。
――だが……雪嶺大将が口添えした以上、何かがあるのか。
凍昊は静かに剣を抜いた。氷の光を映した刃が、広間を切り裂くように冷たく輝く。
「……小僧。命を賭ける覚悟はあるか」
興華も腰の剣を抜いた。小柄な体からは想像できぬほど鋭い気迫が迸る。
「――俺は、もうとうに覚悟してる!」
その瞳には恐怖を凌駕する炎が燃えていた。
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氷陵帝の冷厳な声が響く。
「――始めよ」
氷陵帝の「始めよ」の声とともに、二人の剣が火花を散らした。
最初の一合は、ただ力を試すような鋭い一撃と受け。
凍昊は大剣を振り下ろし、興華は体ごと押し潰されるような重みに耐えて受け止めた。
「くっ……!」
歯を食いしばる興華の腕に震えが走る。
――だが、倒れはしない。
彼はすぐに剣を押し返し、半歩退きながら姿勢を立て直した。
次の一合、三合と重ねるたびに、興華の剣はわずかに速さを増していく。
凍昊は細めた目でその動きを見極め、的確に剣先を絡め取りながらも、少年が決して素人ではないことを悟り始めていた。
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興華の呼吸は荒い。だが心臓の高鳴りとともに、緊張の霧が徐々に晴れていく。
(見える……! この人の剣筋、次は……下から来る!)
鋭い横薙ぎを、興華は素早く剣を返して受け流した。
金属音が広間に響き渡り、廷臣たちは目を丸くする。
最初は押されるばかりだった少年が、次第に凍昊の動きを読んでいる。
その瞳には恐怖よりも、むしろ楽しさに似た光が宿りはじめていた。
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「……ほう」
凍昊の口の端がわずかに上がった。
重ねた歳月で失われていた昂りが、胸の奥から湧き上がってくる。
(この小僧……ただ者ではない。胸の内に、力が潜んでいる……!)
打ち込む剣が次第に鋭さを増す。だがそれは試し斬りではなく、相手の奥を引き出すための剣だった。
「若い頃以来だ……こんなに面白いと思えるのは」
広間の空気が熱を帯びる。
廷臣たちは驚きにざわめき、氷陵帝は目を細めて二人を見据えた。
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興華は額に汗を浮かべながらも、凍昊の動きが読めるようになっていることに気づいた。
「……っ、はあっ!」
受け止め、弾き、逆に踏み込む。
その姿は、ただ必死に耐える少年ではなくなっていた。
剣先にかすかな余裕すら漂い始める。
(まだ押されてはいる……でも、俺は負けてない!)
彼の中の昂りと、凍昊の昂りが絡み合い、氷の広間に熱を生み出していく。




