第七章 曹華伝四十六 拠点帰還と朱烈の名、そして鎮魂を
小高い丘に築かれた塚の前。
風が吹き、紫叡の鬣が淡く揺れた。兵たちの墓には、槍や剣が簡易の標として突き立てられ、土の上に無名の石が並んでいた。
祈りを終え、ふと隣に立つ白玲を見やった。
彼女の眼差しは静かで、涙の跡を隠そうともしなかった。
当初、私は白玲をただの好敵手、敵対する未来すら覚悟していた。
白玲もまた、私をそのように見ていたに違いない。
だが――この地獄を共に目の当たりにした今、互いの胸に芽生えたのは違う感情だった。
「……曹華殿。あの惨状を共に見たことで、私はあなたをただの敵とは思えなくなりました」
「私も同じです、白玲殿。共に戦い、共に見届けた者として――もう、背を向けることはできませんね」
短い言葉だった。だが、それ以上の説明はいらなかった。
二人は確かに、好敵手以上の絆を感じ始めていた。
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その頃、天鳳将軍と麗月将軍が指揮する本隊が、漸次後退を終え、蒼龍国側の拠点に無事帰還した。
砦は古い幟と烽火で兵力を偽り、撤退を悟られぬまま持ちこたえた。
殿を務めた二将の采配により、兵たちに大きな損害はなかった。
帰還直後、曹華と白玲はすぐに両将の下に駆け寄った。
膝を折り、頭を垂れて報告する。
「報告いたします。砦の内部は……守備兵が皆、黒焦げとなり、屍の山と化しておりました。生き残りは一名のみ。すでに救護のため後送しております」
白玲も続ける。
「亡骸はすべて丘に埋葬し、祈りを捧げてまいりました。……これは、ただの戦ではなく、黒龍宗による所業と見て間違いありません」
言葉を聞いた天鳳将軍は眉をひそめたが、その声は冷静だった。
「……やはりな。炎で人を焼き尽くすなど、常の軍では不可能。あの地獄を作れるのは一人――四冥将たる、焔冥将・朱烈だ」
麗月将軍はその名を聞いた瞬間、目を大きく見開いた。
「朱烈……。 なぜ……なぜこの戦に朱烈が……」
その声には恐怖と動揺が露骨に滲んでいた。
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丘の上の塚には、仲間の亡骸が静かに眠っていた。墓標代わりに立てられた槍や剣が夜風に揺れ、篝火の光に照らされて影を揺らす。湿った土の匂いに、煙と鉄の匂いが混じる。
天鳳将軍、麗月将軍、趙将、碧蘭――そして曹華や白玲を含む全軍が塚の周りに輪を作った。夜空は曇り、月の光は薄い。だが、篝火の炎が大地を赤く染め、亡き者たちを包み込むように燃え盛っていた。
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天鳳将軍は前に進み出て、十字を切り、長く沈黙したのちに言葉を紡いだ。
「……お前たちを守れなかったのは、この私の責。だが必ず、この命に代えても、仇を討ち、勝利を掴む。黒龍宗にこの血の代償を払わせる。それが生き残った我らの務めだ」
その言葉は静かでありながら、兵たちの胸に深く刻まれた。
麗月将軍は篝火の光を浴び、涙を隠そうともせず墓前に膝をついた。
「美しき魂よ、安らかに……。あなた方の最後があまりに無惨であったこと、私もまた一生忘れぬ。――必ず償わせましょう、この黒き外道に」
彼女の声は震え、それでも確かに響いた。
趙将は墓前に持っていた酒瓶を開け、土に注いだ。
「兄弟たちよ……飲んでくれ。最後の一献だ。お前たちの無念、俺が全部背負ってやる。だから安らかに眠ってくれ」
酒の香りが土に染み、炎に乗って昇っていった。
碧蘭は静かに両手を合わせ、低く鎮魂の言葉を唱えた。
「魂よ、風に還れ。空に還れ。痛みを手放し、ただ静かに眠れ。必ずや、この地に再び陽が昇ることを、信じて」
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兵士たちもまた次々と墓前に歩み出た。
腰に差した酒袋を取り出して供える者。仲間の名を呼び、嗚咽を堪えながら誓う者。
「必ず仇を……必ず黒龍宗を討つ」
その声が幾度も夜空に重なり、やがて一つの誓いのように響き渡った。
誰もが黒龍宗を憎んでいた。あの惨状を前にして、怒りも、悲しみも、恐怖も、すべてが黒龍宗への憎悪へと収斂していった。
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やがて、篝火が大きく焚かれ、兵たちがその炎を囲んだ。
夜風が吹くたびに炎は唸り、火の粉が天へ舞い上がる。
誰かが低く古い鎮魂歌を口ずさみ始め、やがてそれは輪の全てに広がっていった。声が重なり、祈りが重なり、篝火の炎は夜空を焦がすほどに高くなった。
その場にいた誰もが、同じ誓いを胸に抱いた。
――黒龍宗を討つ。
――この無念を必ず晴らす。
祈りと誓いは、篝火の炎と共に夜空へ昇り、亡き者たちの魂へと届いていった。




