第七章 曹華伝四十五 弔いと後退
生き残りの兵士を救護のために後送し、私たちは裏門の近くに戻ってきた。
白玲が歩み寄り、硬く震える声で口を開いた。
「……曹華殿。砦の内部は……やはり…生き残りの兵士が言っていたように……?」
その瞳は鋭く冷たい将校のものではなかった。
恐怖と不安に揺れ、若き女武官の素顔が覗いていた。
私は彼女の視線を正面から受け止め、静かに答えた。
「ええ。だが――あなたも見ておくべきだ。上に立つ者は、苦しくとも現実を直視しなければならない」
白玲は息を呑み、唇を噛んだ。だが、やがて強い決意を宿した顔で頷いた。
「……わかりました」
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やがて白玲とその部下たちは砦の中へ消えていった。
そして、戻ってきたとき、彼女の肩は震え、眼には涙の跡が光っていた。冷徹な彼女を知る部下たちでさえ、その姿に言葉を失った。
「……曹華殿。あなたの言う通りでした。これは……上に立つ者が見なければならぬ惨状でした」
彼女の声は嗚咽に混じり、決して強がりではなかった。
それでも、涙に濡れた瞳には、揺らぎと同時に不思議な光が宿っていた。
(この人は……決して虚勢で部下を率いているわけではない。覚悟をもって、血と涙を呑み込んで立っているのだ)
白玲の胸に浮かんだその思いは、曹華への意識を確実に変えていった。
対抗心だけではない。認めざるを得ない存在。
気づけば、心の奥底に芽生えたのは「同じ高みに立ちたい」という欲求だった。
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私は白玲の涙を見つめながら、心の奥が揺さぶられるのを感じていた。
これまで、冷ややかで理知的な彼女に対して、私は好敵手としか見ていなかった。
だが――あの強い女が、兵の死を前に涙を流し、それでも前を見ようとする姿。
(……白玲殿。あなたもまた、私と同じなのだな)
血と涙を呑み込んで、それでも立ち続けようとする。
敵であり、仲間でもある。その存在を、私は初めて「同じ人」として強く意識した。
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その後、私たちは力を合わせ、砦で無念の死を遂げた仲間たちの亡骸を一つひとつ丁寧に運び出した。
黒く焦げ、形を失った屍であっても、それは確かに蒼龍国の兵だった。
誰もが沈黙し、涙を堪えながら作業を続けた。
小高い丘に深い穴を掘り、亡骸を埋葬していった。
土を掛ける音が痛ましい鎮魂の響きとなり、丘を包んだ。
白玲は武器を地に突き立て、声を震わせながらも誓った。
「……ここに眠る者たちよ。無念は、必ず我らが晴らす。安らかに眠れ」
私は胸に手を当て、心の奥で静かに答えた。
(黒龍宗……この惨状、必ず報いを受けさせる。そのときまで私は倒れない。絶対に)
紫叡がそっと嘶き、風が丘を撫でた。
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同じ頃、金城国側の砦では――。
天鳳将軍と麗月将軍が指揮を執り、漸次後退が進んでいた。
まず負傷兵と余剰の輜重を密かに落とし、残る兵は烽火を焚き、矢倉に人を残して敵を牽制する。
古い幟を残すことで、なお全軍が健在であるかのように見せかける。
最後に殿を務めたのは天鳳将軍と麗月将軍の本隊。
その隊列は乱れることなく、敵に退却を悟らせることなく、無事に蒼龍国側の拠点へと帰還した。
――だが、二人の胸には同じ影があった。
炎冥将・朱烈。
ただ一人で砦を地獄に変えた存在。
その名が、この戦をただの国同士の戦いでは終わらせないことを、誰もが直感していた。




