第七章 曹華伝四十二 砦の捜索再開
※残酷描写あり。
中庭で荒い息を整えた。夕暮れの風が、焼け残った幟の端をぶらつかせる。冷たく、何かを吹き払おうとするように無情だ。兵たちの顔には、恐怖と吐き気の残滓が貼り付いている。だが、逃げ腰ではない。決意が鎧の下で固まり、誰もが黙って槍を握り直していた。
「……ここで終わらせるわけにはいかない。砦の奥を調べる。生き残りがいるかもしれない」
声は低く、淡々としたはずなのに――自分でも驚くほど揺るがなかった。兵たちが顔を上げる。震える手で槍を握る指先が白くなるのが見えた。死の臭いに慣れているはずの者たちでさえ顔を背けた異様。それでも、誰も逃げようとしない。
裏手の細い通路を選び、我々は一列になって進んだ。壁は煤と、焦げた血の混じった黒で縁取られている。触れれば粉が落ちる。床には鎧の破片、曲がった矢、折れた弓。そして――不定形の黒塊。かつては人の形だったものが、ただ黒い物質に還っている。若い兵が声を震わせた。
「こ、これは……一体……」
言葉はそこで詰まり、嗚咽のような息だけが漏れた。答えは要らない。目に映るものが、すべてを語っていた。広間に出た瞬間、息が止まるほどの異様が襲ってきた。
守備隊の詰所であったはずの場所が、黒い塊の山になっている。壁際には人影のように折り重なった炭化体が幾重にも並び、石壁にまでこびり付いた焼け跡が、絵画めいた不気味な模様を描いていた。そして――中央。床石をえぐるように濃い焼け跡が、円を描いている。焚火でも砲撃でもない。均一で、狙って残された痕だ。胸が締め付けられる。兵の一人が膝をつき、泣き出しそうな声で呟いた。
「……これは戦ではない。ただの虐殺だ」
胸の奥が固く攣った。戦闘の痕跡ではない。何者かが、意図して、徹底して、人を焼き、消した跡――。奥の小部屋に入ると、壁に黒く炭化した“手形”が幾つも残っていた。逃げ惑い、必死に何かに縋ろうとした痕。輪郭には、最後の瞬間の叫びが滲んでいる。ある兵がへたり込み、指先で顔を覆った。嗚咽が漏れた。
誰も声を上げない。声にすれば、胸の中の何かが崩れてしまいそうだったからだ。
私はその肩に手を置き、低く言った。
「……見届けろ。これはただの戦じゃない。敵が何を為そうとしているのか、目に焼き付けろ」
指揮官としての仮面は剥がれかけていた。だが不安を伝えるわけにはいかない。冷静さを装い、前へ進む。――その内側で、何かが激しく燃え上がっていた。
(偶然じゃない。やり方、痕跡、残虐性……全部が同じ方向を指している)
円の焼け跡。手形。兵糧庫の炎上。守備隊の“不在”。そして、この徹底。
(……黒龍宗。そうだろう。だが――これは、仙術なのか)
喉の奥が冷たくなる。黒龍宗の仕業なら、目的は単純ではない。生存者を消し、恐怖を刻み、何かを隠し、何かへ誘導する。力で理を押し付ける者たちの、いつものやり口だ。
広間へ戻り、部下たちを見渡す。彼らの眼も、すでに答えに辿り着いていた。私は静かに告げた。
「この砦は、金城国の兵が襲ったのではない。――黒龍宗の手が入っている」
言葉が落ちても、誰も反論しなかった。目の前の光景が、それ以外を許さなかったからだ。数人が小さく頷き、誰かが静かに息を吐いた。胸の中で、誓いが固く結ばれる。
(黒龍宗……必ず討つ。そのために、私はここで死ねない)
それは復讐だけではない。守るべきもののための決意だった。姉と弟の不在、父の死の意味が、この瞬間、別の輪郭を得る。私は槍柄を握り直し、吐き気を堪えながら床石を睨んだ。白玲が外周から戻るまで、我々は可能な限り証拠を押さえ、生存者の捜索を続ける。
だが多くは遅く、残された痕が残酷に物語るのみだった。
「伝令を出せ。天鳳将軍へ――拠点は壊滅的。兵糧庫は焼失。守備隊の所在不明。黒龍宗関与の疑い濃厚。生存者確認中」
兵が命を受け、駆けていく。足音が石畳を打ち、夜の空気に消えていった。私は広間の中心に立ち尽くし、灰と血の匂いに満ちた空気を深く吸い込んだ。
(私がここで倒れてはならない。倒れるなら、道理のために――)
暗闇の中、風が二度、三度と中庭を撫でた。私は槍を肩に戻し、部下たちとともにさらに奥へ歩を進める。
夜は深い。だが、内側の灯は消えなかった。
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