プロローグ 残照の女帝
戦火に散り散りになった三つの「華」。
故郷と家族を奪われた少女は、復讐を胸に「紫電」の異名で戦場を駆け巡る。
一人は影となり、一人は光となり、そして一人は道を切り拓く。
遠い日の誓いを胸に、天下統一を成し遂げた女帝が、人生の黄昏に語り始める物語。
「これは、三華が乱世に散り、再び咲き誇るまでの物語――『三華繚乱』」
紫苑国、紫苑城。
春の陽は穏やかに石畳を照らし、古き城の中庭に金色の光を満たしていた。
そこに、一人の老女が静かに座している。
白銀の髪を風に揺らし、香り高い茶を口に運ぶ姿には、なお帝の威厳が漂っていた。
彼女こそ、乱世を終わらせた大陸の統一者――初代皇帝・紫極帝。
若き日には「紫電の曹華」と呼ばれ、剣ひとつで幾千の戦場を駆けた伝説の女帝である。
だが今、その眼差しはあまりにも柔らかい。
すべてを制し、すべてを失った者だけが持つ、静かな光を宿していた。
傍らには、十四歳のひ孫――百合華が寄り添っている。
その名に「華」を受け継ぐ少女は、まだ無垢な瞳で祖母を見上げた。
「ねえ、曹華おばあさま。お話を聞かせてください。
おばあさまがまだ子どもだったころのことを。」
老婆は微笑んだ。
その唇に浮かぶ笑みは、どこか懐かしく、そしてほんの少しだけ、切なさを含んでいた。
「そうね……。
おばあちゃんが、百合華と同じくらいの歳だった頃――。
あの頃の私は、“皇帝”でも、“将”でもなかった。
ただの、十四歳の妹――“曹華”だったのよ。」
言葉と共に、彼女の視線は遠くへと落ちる。
陽光は次第に翳り、風がひとすじ、花の香を運んだ。
彼女の胸の奥で、長く封じられていた記憶が、そっと目を覚ます。
あの頃の私は、まだ世界を知らなかった。
争いも、裏切りも、悲しみも――。
ただ、姉の白華の笑顔と、弟の興華の笑い声があれば、それで満たされていた。
あの小さな村こそ、私にとっての世界だった。
けれど、世界は残酷だった。
私の手からすべてを奪い、私を“剣”に変えた。
だからこそ――私は誓ったの。
もう二度と、護るべきものを失わぬように、と。
百合華は知らない。
目の前で微笑むこの老女が、かつて血と炎に染まった少女であったことを。
この穏やかな午後が、幾千万の屍の果てに得た、束の間の安らぎであることを。
春の風が吹き抜け、白い花弁が一枚、茶の表に落ちた。
紫極帝はそれを見つめ、指先でそっと掬い上げる。
「……あの日、三つの華が散った。
けれどね、百合華。
散った華は、いつか必ず、別の春に咲くのよ。」
その声は、柔らかく、遠く、
まるで時の流れそのものが語っているかのようであった。
そして、物語が始まる。
――まだ“紫電の曹華”と呼ばれる前の、一人の少女の物語が。




