皆々様へ
これはある沼についての話です。僕は現在三十代半ばですが、全ての始まりは十代のころ、小学生から中学生時代に遡ります。
その頃、僕が住んでいた町は都心から離れた郊外にあって、市街地の背後に小高い山が迫っているような、自然との距離が近い土地でした。人口はそれなりに多く、それなりに栄えていたと思います。その頃は気にもしていませんでしたが、その町は県内おいて、所謂ベットタウンとして機能していたようです。
そんな町を背後から見守っていた、丘と言っても差し支えないような小さな山の中に、その沼はありました。
山の麓には林が広がっています。手と手を結ぶように木々の枝葉が広く庇を広げて、土の上に豊かな影を落としていました。体温よりも少しだけ冷たい空気が漂っていて、肌を刺す陽光から逃れて足を踏み入れると、身体を撫でる風が非常に心地が良い。僕は今でもその感覚を覚えています。
少し進むと傾斜が始まるのですが、一箇所だけ山が抉れたように岩壁が屹立している場所がありました。その岩壁の足元に、その沼はありました。
風雨によって荒々しく浸食された岩壁。その所々に穿たれた穴からは水が滴り、岩を濡らしています。湿り気を帯びた空気が苔類を育み、活き活きとした鮮やかな緑が壁面に散っていました。
荒い壁面の影が黒、繁茂する苔が緑、それらが描き出す陣幕を背負って、その沼はそこに、悠然と佇んでいました。
沼の周囲は林がくり抜かれたように木々が生えておらず、そこに辿り着くと暗い洞窟を抜けたような高揚を感じました。そして陽光によって青く光る沼は、思わず息を呑む美しさがありました。
沼の縁には水草が茂っており、所々に折れた朽木が突き立っています。山に降った雨水が地下を通って湧き出しているようで、透明度は非常に高く、常に水底から湧水している様子が見えていました。それほど深い沼ではなかったと思います。目測ですが、深い所でも二メートル強というところではないでしょうか。
小学生時代の僕と友人たちは、よくその沼で遊んでいました。ザリガニやサワガニ、川魚などの水生生物を獲ったり、水切りをしてみたり、暑い日には素足を水に着けて涼んだこともありました。
先に断っておきますと、その沼には「神性」のようなものはありませんでした。つまり沼自体が祀られているだとか、神話に関りがあるだとか、そういった信仰的、超越的な逸話とは縁のない沼だったのです。
しかし、あの沼は古くからそこにあった、と僕の父方の祖父から聞いています。祖父の血筋はあの土地に古くから住んでおり、彼も幼いころはよくあの沼で遊んだことがあると言っていました。祖父の時代、まだ麓の林は切り開かれていませんでした。山の麓は森と呼べる規模であり、沼に辿り着くにはより長い時間を歩く必要があったようです。現在よりも鬱蒼とした、暗く広い森の中で、煌めく水面を揺らして待っている沼は、さぞ美しかったでしょう。
そして祖父は、曾祖父、高祖父までもが、あの沼で遊んだことがあるという事を話してくれました。本当に古い時代からそこにあり、あの土地の人々と共に歴史を歩んできていたのです。
しかしながら歴史が長く、水場であり、多くの人が訪れるとなれば、多くはありませんが、やはり水難事故が起こったこともあるそうです。
祖父の時代にも一件、それは起こりました。
祖父が中学生の頃、幼い男の子が一人行方不明になります。昼間に家を出たきり、夜になっても帰らない。大人たちが総出で探し回りました。
そしてあの沼に浮かんでいるのを発見されたのです。
この町にある唯一の神社、そこの神主の息子だったといいます。
その事故があってから暫くの間は、あの沼で遊ぶ人はいなくなりました。しかし、どんな事柄でも風化してしまうのが世の常、数年後には沼は再び子供たちの遊び場に戻っていました。
それから数十年の間は事故は起こっていませんでした。少なくとも記録にある限りは、ですが。
そして次の事故が起こったのが、僕が小学生五年生の時です。
また一人、あの沼に人が浮かびました。
僕はその惨状を発見したうちの一人です。
その日も友達数人と連れ立って沼へ遊びに行きました。夏の正午近くだったと思います。陽が、その強烈な輝きを誇示して、木漏れ日が白熱したように照り返すので、林の中にいても眩しさを覚えました。汗だくになりながら林を抜けると、南中に差し掛かった太陽がスポットライトのように沼を照らしています。神様が照らしているような荘厳な光景の中に、彼が浮かんでいました。
彼は、湧き上がる地下水の微かな水流に揺れながら、水底を覗いていました。蝋のように白く浮腫んだ首筋。生気を失い、やけに黒黒とした髪の毛がのっぺりと頭部に張り付いて、まるで漆器のように鈍く光っています。
もはや血の通わない白と黒。水死体です。
そこから数時間の記憶は曖昧です。仲間内の誰かが叫んだような気もすれば、誰かが腰を抜かしたような気もします。そして大人たち。視界を埋め尽くすような大人たちが、僕と友人たちを取り囲み、各々声を上げていました。僕は状況を話したかもしれませんし、泣いていたのかもしれません。誰かが僕の肩を掴んで揺さぶっていました。カーキ色の作業服を着た大柄な男性。死んだ彼が言っていました。
お父さんは工事をするんだよ。
あれはきっと彼の父親だったのでしょう。
そして僕は沼に遊びに行くことはなくなりました。水死体を見た友人も近づかなくなりました。あの光景を見てしまったら、近づくことは出来ません。唯一の幸いはーーと言ってしまうのはきっと間違いなのでしょうがーー彼の顔が見えなかった事です。もし沼に浮かぶ彼が空を仰いでいたら、そして僕がその顔を見ていたら、きっと耐えられなかったでしょう。
しかし、僕たちが忌避するまでもなく沼には立ち入る事が出来なくなります。事件から数ヶ月後、山の麓の林が宅地開発で切り開かれ始めたのです。木々は切り倒され、土地は均され、アスファルトが敷かれて道路が通りました。それに沿うように建売の家々が並び、そこは大きく様変わりを果たしたのです。工事の全てが終わったのは、僕が小学六年生の頃だったと思います。
沼はまだそこにありました。
というのも開発は沼にまで達することはなかったのです。それは依然として、何も変わらず、木々に囲まれてそこに佇んでいました。
僕が再び沼と関わる事になるのは中学一年生のときになります。春になると宅地開発地に大きな邸宅が建ちました。建売の家を二軒潰して、その二件分の土地に洋館風の大きな家が建てられたのです。窓が多く、玄関にポーチがあって、その上にベランダが張り出している、三角屋根の白亜の洋館。
スゴい豪邸が建った、と皆があまりに話題にするものですから、僕も一目見てみようと、その洋館に足を運びました。
いいえ、今思えばそれは口実に過ぎなかったのかもしれません。
洋館の前に立つと、その豪奢な佇まいと、異国調な新築の瑞々しい輝きに、中学生ながらに感嘆を覚えたものでした。
その時、ひやり、と冷たい風が鼻先を掠めました。匂ったのは、朽ちて湿気た木の香り。そちらの方に顔を向けると、そこには林があります。そしてその奥にはあの沼が。僕の喉が鳴りました。
この洋館は開発された土地の中で最も奥の区画、つまり最も沼に近い土地に建てられていたのです。
この洋館には三人家族が住んでいました。夫婦と小さい男の子です。
旦那さんは白髪混じりの初老と思われる男性でした。奥さんの方は年若く、夫が初老とすると、かなり歳の離れた夫婦であったと思います。男の子は小学一年生で、母親によく似た顔をしていました。
異様な家族でした。
彼らは街の人々と交わる事を嫌いました。
これは全て当時の大人たちが吹聴していた評判です。
息子は口がきけないのかと思われるほど無口で、クラスメイトだけでなく先生の呼び掛けにも頑として応えた事がない。それを咎められたり、イジられたりすると、じぃっと目を見つめ返してくる。そこには敵意や反抗心の現れはなく、無感情な真黒い瞳で、ただ漠然と、コチラを見る。一時期イジメに発展しそうな雰囲気があったそうなのですが、不気味さが勝ったのでしょう、用がない時以外は誰も彼に触れることはなくなりました。
奥さんも息子同様、協調性は皆無。挨拶を交わすどころか声を聞いたこともない。いつも茫洋とした目をして、長い黒髪を揺らしながら歩く青白い肌の女。その姿は幽鬼のようであっといいます。いつの間にかすぐ傍に立っているような、認識した瞬間に輪郭を得る幽き存在感を持っていました。大人たちは「あの親あって、この子あり」と、子供たちは「亡霊」と、陰口を叩いていました。
旦那さんについてはあまり情報がありません。滅多に外出していないらしく、姿を見たという人すらほとんどいませんでした。さらに不思議なのが、僕が知る限りでは誰も彼の顔を見たことがないのです。なので、年齢も人相も、全て漠然とした予想に過ぎません。
彼らがそこに居を構えてから暫くして、その異様な性質とは別に、妙な噂がポツリポツリと立ち始めます。
一つ目は近所に住む者の目撃談。旦那さんと思しき人影が深夜に林の中へ消えて行ったというもの。
二つ目は沼で遊んでいた子供たちの目撃談。彼らが水遊びに興じている時、対岸の木立が落とす影の中、潜むようにこちらを見る三人の人影があった。大きな二つと、小さな一つ。
そして三つ目、この噂の出所は判然としません。深夜あの沼で、真黒な装束を着た夫婦と、白い装束を着た息子が、異様な儀式を行っていた、という話。
正直に言ってしまうと、僕は興味をそそられていました。月日が、あの日の凄惨な光景を風化させたのだと思います。あの沼への忌避感は薄れつつありました。
そして、行ってみよう、そう思い立って、昼間の一番明るい時に僕は沼へと向かいました。
林に足を踏み入れると、伐採されて浅くなったとはいえ、そこはかつての冷たい空気に満ちています。少し歩くと沼はすぐに目の前に現れました。
水音がして、僕は思わず足を止めます。
大小の二つの影が見えました。
小さい方は水着を履いた息子。言葉を発したところを見たことがない、という噂が嘘のように、声変わり前の甲高くて、無邪気な笑い声が林に木霊しています。沼に浸かったり、水面を跳ね上げたりたり、年相応の笑顔で水遊びをしていました。
彼の白い腕を水滴が滑り、指先に伝って水面へと滴って、綺羅びやかに陽光を閃かせながら沼へ帰りました。
もう一人は奥さんでした。白いワンピースを着て、膝の辺りまで沼に浸かりながら、息子の遊び相手をしているようです。裾が水面に揺れています。沼の水を浴びたワンピースの生地は彼女の肌に貼り付いて、丸い太腿の曲線や、痩せた腹の中ほどにある臍の筋を浮かび上がらせています。
生地に吸われた沼の水は空間を漂うことを許されたように、凄艶に、奥さんの身体をベールの様に濡らして、白く光を放っているかのようでした。
彼女も巷で言われているような協調性を欠いた人柄であるとは思えないような笑顔で息子に接しています。その笑顔には、母親となって尚、僕の同級生の女の子のような幼さがありました。
僕は顔に火照りを感じて、二人に気づかれないように林を引き返しました。ある程度行ったところで、僕は思わず駆け出して、そのまま息も絶え絶え、破裂しそうな心臓を抱えて家へ急ぎました。
美しかった。
僕の内側で、さながら湧水のように、湧き立つ感情がありました。初恋だったのか、それともただ単に強い性的興奮を覚えただけだったのか。
それから少しして、また事件が起こります。
また一人、沼で水死体が発見されたのです。小学生の女の子でした。
だから危険だと言ったんだ。
どこかでそんな怒号を聞いたような記憶があります。その人は市の職員で、亡くなった女の子の父親だったのだと思います。狂乱に近い光を放つ、彼の充血した眼を、僕は覚えています。
そしてすぐにもう一人の死者が出てしまいます。小学生の男の子。亡くなった女の子の弟です。彼女が亡くなってから沼に近づく者はいませんでした。しかし、彼はそこに行って、そして沼に浮かびました。
立て続けに同じ家族の子供が亡くなったということで色々な噂が流れ始めます。その中であの洋館の家族に対する根拠不明の噂が流れはじめ、過熱し、まるで真実であるかのように扱われ始めました。亡くなった姉弟の両親は警察に訴えて、一応捜査されたようですが、結局なにも見つかりませんでした。両親は痺れを切らし、自らあの洋館へと乗り込んだといいます。
そして姿を消しました。
発表された情報から、彼らが消息を絶つ直前にあの洋館に行くと言っていたこと、そして最後に姿を確認出来るのが宅地開発地の入口にある公園の監視カメラで、彼らは開発地の奥、つまり洋館側に向かっていた、という事が分かっています。
詳しく調べていないので憶測となりますが、おそらく今現在に至っても両親の行方は判明していないと思います。
それから暫くして洋館の家族が沼に浮かびました。
おそらく僕が第一発見者です。僕は通報しませんでした。この事実は今まで胸に秘していた事です。
ある早朝、僕は喉が渇いて目が覚めます。日が登り始めた頃でした。コップに水を注いで口元へ持って行った時、その冷たさの中で、あの沼を思い出したのです。
行きたい、行かなければ。そう強く思いました。
こっそりと家を抜け出して、人がまだ出歩いていない街中を通り、沼へ向かいます。誰にも見つかりたくない、そんな思いがありました。監視カメラも迂回して林へ向かいました。林の中は日中よりも湿気に富んでいて、淀んでいるように感じました。林の木々が空気を封じ込めている。この空気はいつの空気だろう、と僕は思い、そしてそれを知っている気がしました。
沼に着きました。低い太陽は水面を照らさず、鋭角に射した陽光は仄かに周囲を浮かび上がらせています。黒い、そう思いました。弱光によって強調された影、その闇は沼の水面を真黒に染めていました。
それは水面いっぱいに広がった髪のようであり、開いた口のようでもありました。もしかしたら瞳であったのかもしれません。
その波も立たない静寂の真黒な水面に、三人が浮かんでいました。僕は沼へ近づきます。何故そうしたのかは僕にも解りません。ざぶん、と音がして、夏でも尚冷たい、斬りつけるような水の冷たさが、ただ心地よかった。
旦那さんと息子は、僕が子供の頃に見たあの水死体のように水底を覗いていました。奥さんはぽっかりと口を開けて、虚ろな眼で空を仰いでいました。瞳は濁っています。耳障りな羽音がして、口の中に大きな蝿が入っていきました。そして出てくる事はありませんでした。
先の姉弟を喪った夫婦の行方不明事件と関連付けられて、この洋館一家の怪死は大きく取り上げられました。記憶にある方も多いのではないでしょうか。しかし、結局は何も分からず仕舞い。洋館からは特に怪しいものは見つからなかったという事です。週刊誌の記事だったと思いますが、洋館内は独特の趣味に基づく個性的なインテリアや調度品によって彩られていたようですが、失踪事件に繋がる証拠は何一つ見つからなかったといいます。洋館一家の怪死も、外傷がなく、薬物なども検出されなかったという事で、結局は無理心中という事で決着した、というより無理矢理決着を付けられた、という顛末でした。
そして僕は親の転勤に伴って中学二年生の時に引っ越しをしてしまったので、あの沼が現在どうなっているのか知りません。およそ二十年を経た今でも、おそらく何一つ変わっていないと僕は思います。木立の中に、陽光を受けながら、湧き出す清らかな水を湛えてそこにあると、強い確信をもって言えます。強いて調べようとしませんでした。でもきっとそこにあると思います。
あれは初恋でも性的興奮でもなかったのです。
美しい。
渇いている。
きっと誰もかれも。
ああ、あの沼が恋しい。
もう限界のようです。