真実の愛ってなんだよ?
「コロ助。ねぇ、コロ助」
「……」
「聞こえているんでしょ、コロ助? ねぇってば」
「うるさいな。誰がコロ助なんだよ。俺は浩輔であってコロ助じゃねぇ」
「似たようなもんじゃない」
「違うっつってんだろ! ブタ◯リラ」
無言で俺の頭をぶん殴ってくるのは、幼馴染の美佳。
幼稚園の頃からずっと同じところに通う腐れ縁。中学までは同じ町内に住んでいるので一緒になるのは仕方ないにしても、お互い相談も確認もしないで選んだ進学先の高校まで同じになるとはまったく思ってもみなかった。
「いってーなぁ。まじゴリラじゃん」
「あん、何か言ったかな? ところで、コースケは今度の体育祭で何に出るの?」
「話が唐突だな、毎度だけどよ。えっと、1000メートルリレーと100メートル走とあとは男子全員参加のやつかな。美佳は?」
「走るの2つとは相変わらず逃げ足だけは早いんだろうね。わたしは借り物競走と女子全員参加のダンスだけだよ」
「おまえ、絶対に悪口挟まないと喋れないのかよ? ったく。美佳こそ運痴の救済ゲームなんぞに出おって」
美佳はいうほど運動音痴ではない。やればそこそこの成績は残せるんだろうけど、如何せん運動が嫌いすぎてやる気のほうがお留守気味なんだ。
「あーあ。かったるいよね~体育祭は。で、今日は小母さんいつ帰って来るの?」
「また話が変わる……。えっと、今日は8時ぐらいじゃね。なんか職場の送別会っていうのがあるらしいから遅くなるって言ってた」
「小母さん仕事辞めちゃうの?」
「違うよ。母さんじゃなくて同僚さんだってさ」
こんな話をしているのは俺の部屋。学校が終わって自宅に帰ったら、既に美佳が俺ベッドに寝転んで漫画を読んでいたって次第。何故かこいつは我が家の合鍵を持っているんだよな。
「おまえんち今日は帰り遅いんか?」
「二人とも出張だし、今夜はいないんだ。だからコースケんところで夕飯にありつこうって思ってたのに。小母さんいないのかぁ」
「しょーがねぇな。俺が飯作るのは確定だし、手伝うならおまえにも食わしてやるよ」
「ふむむ、おーけーよ。乗った」
双方の親も知り合い同士だし互いに共働きだから小さい頃から預け預けられもしていた。それに自分の飯は自分で用意しろっていうのがこりゃまた双方の親の方針だったので二人とも料理が出来ないってわけじゃない。
そもそも飯は一人で食うよりも誰かと一緒のほうが絶対的に美味いからな。たとえそれが美佳でも例外じゃない。
「コースケ。あーん」
「何だそれ?」
「だってコースケ、この前カノジョと別れたばっかでしょ? こういうの憧れていたんでしょ?」
告られて付き合ってみたけど、なんか居心地が悪くて長続きしなかった。こうこういうの何回目だかわかんないけど、女の子との交際は一月と続いたことがない。
「美佳こそどうなんだよ。サッカー部の先輩に告られていたって聞いたぞ」
「ん~3日保たなかったかな。あの人はなんか違ったんだよね」
美佳も中2の頃から急にモテだして、何人かと付き合っていたって話は聞いているが、やはり長続きした例は一つもなかったと思う。
「確かに、何か違うって感覚はわかるんだけど、じゃあ何が違うんだって聞かれると答えられないんだよな」
「でしょ? 好きになってくれるのは嬉しいし、こっちも好きになろうかなって意思はあるんだけど、その前に『違う』っていうのが先に来ちゃう」
多分だけど、俺にしても美佳にしても自分の『異性の好み』っていうのが未だに分かっていないんだと思う。俺自身明確に自分の好きな女の子のタイプを言えといわれても困るしかないもんな。
「あ、そうだ。昨日スーパーで見かけて買ったんだけどこれって美佳が好きな味じゃね?」
「どれどれ。うん! 美味しい。さすがコースケ、分かってらっしゃる」
「だろ? っつーても、美佳だって俺の好物はしっかり把握してんじゃん」
「当たり前でしょ? 何年一緒にいると思っているのよ」
言われてみれば確かにな。俺も美佳のだいたいお互いのことは把握しているような気がするし。
「美佳、風呂は?」
「入ってく。着替え用意しておいてよ」
「自分の着替えくらい自分で用意しろよな」
「だって、人んちのタンスはあされないでしょ?」
「何を今更言ってるんだ。ただめんどくさいだけだろうが」
「あはは。バレたか」
美佳の着替えは下着から何から何まで一通り以上が我が家に置いてある。反対に俺の着替えも美佳の家に全部あるんだけど。
我が家には美佳専用のタンスがあるし、美佳んちには俺専用のタンスの引き出しが幾つか用意されている。これは小さい頃からずっとなのでわざわざ言及するほどのことでもないんだけどさ。
順番に風呂に入ってリビングでテレビをみながら寛ぐ。美佳は今夜自宅に帰らないのだろう。もうパジャマを着ている時点で聞くまでもないか。
「アイス食うか?」
「あるの? 食べ……さてはわたしを太らせてから食う気だな?」
「要らないんだな」
「要ります」
ソファーに並んで座ってチョコがたんまり入ったモナカアイスを齧る。母さんから連絡があって送別会が盛り上がって二次会も行ってくるから先に寝ててくれとあった。ちな、我が父は北の大地に単身赴任中なので不在である。
「9時から美佳の好きなアニメ映画やるぞ。最後に崩壊の呪文いうやつ。えっと、ラモスだっけ?」
「違うよ。ハラスだよ」
「それは鮭だろ? 宅配ボックスだったろ」
「スしかあってないじゃん。雑だなぁ」
空に浮かんだ城が崩壊するちょっと前に母さんは帰ってきたが、俺等に構うこと無く風呂に入るとそのまま寝てしまった。もう少し子供のこと見たほうがいいと思うよ? ま、あんな酔っぱらいに絡まれても嫌だけどね。
「俺たちも寝るか」
「うん。そだね」
明日も普通に学校はあるので夜ふかしはよろしくない。宿題がないことは確認済みなのでこのまま寝るだけである。
「おやすみ……」
「美佳、俺の布団取るなよ? おまえ絶対に布団巻き込んで俺から布団奪うじゃん」
「大丈夫でしょ?」
「それ毎回言ってんじゃん……」
美佳とは同じベッドで寝るがもう長いこと習慣になっている。ベッドも隣家の磐田さんが間違って買ってしまったクイーンサイズを安く譲ってもらったものなので狭くないし。
ただ美佳は寝相が悪く、掛け布団を俺から奪うことがしばしば起こる。まだ朝晩は寒いのでこればかりは非常に困るんだよね。ま、奪われたら奪い返せばいいんだけどさ。
「体育祭ってさ告白イベなの?」
「なんだそれ。俺は知らんぞ」
「夕方から、残った人たちだけでキャンプファイヤーをやるでしょ。あれのとき告白すると永遠の愛がウンタラカンタラ?」
「最後がグズグズなんだけど」
高校生は何でもかんでも告白の場にしたいらしい。
俺は少し疲れたので告白とかされるのは避けたいところ。もし告白を断るにしても申し訳無さからくるストレスを感じるので総じて全部無しな方向でお願いしたいと思っている。
それに例え付き合ったとしてもやはり直ぐに別れるってことになるのは明白。それってお互いに時間の無駄じゃないかなって思うんだよね。
「わたし、体育祭の日は休もうかなぁ」
「美佳も告白が懸念事項なのか?」
「そうだね~なんかそういう匂わせ? 的なやつがあるんだよね」
「あー分かるわぁ。俺もそういうの感じるもんなぁ」
べつに俺も美佳もモテることを自慢したいわけじゃない。取っ替え引っ替えしているように見えるが、当の本人は大真面目に運命の人を探していたりするんだよね。他人には分かってもらえないみたいだけど。
「ねぇ、コースケ。ものは相談なんだけど……」
「ん? なに?」
「わたしたち付き合わない? もちろん嘘ッコで」
「いわゆる偽恋ってやつですかい?」
「察しの良いガキは好きだよ」
「お代官様も悪よのぉ」
俺たちの会話がおかしいのは気にしないでくれ。いつものことだ。
というわけで、俺達は偽の恋人関係を演じて告白イベの全潰しを画策することにした。これで暫くの間は静かに過ごすことができるようになるだろう。
俺たちが付き合い出したという話は、電光石火の速さで学校中を駆け巡った、らしい。友人の大久保と吉野の二人が言っていたので多分間違いはないんだと思う。みんな意外と暇なんだな。他に話題とかあるだろうに。
「向井! おまえ本当に堺屋さんと付き合い出したのか?」
「そだよ」
向井とは俺のことで堺屋とは美佳のことである。学校では苗字の方で名前を呼ばれる方が多いような気がする。
「やっとかぁ~! お前らが回り道ばかりしているからすげー心配だったんだよ」
「心配? そなの?」
そう言ってくるのは親友の三角。ミカド転じて帝となって、ニックネームは『まろ』というおもしろいやつ。
「そうだよ。幼馴染の二人なら理想のカップルだって俺たちの中じゃ常識だったんだからな」
「えー、良くわかんないんだけど? そういうもんなのか」
まろは首がもげるんじゃないかってくらいに首肯しているのだけど、俺としては良く分かっていない。あとで美佳にも聞いてみよう。
1日中友だちからもそうでないやつからもお祝いの言葉とか『よくも堺屋さんを……』みたいなお呪いの言葉を聞かされて疲れてしまった。
思いの外、俺と美佳が付き合うってことは周囲にインパクトを与えたようだった。理由についてはさっぱりわからないけど。
「ぜんぜん静かに過ごせないんだけど……」
「わたしもー」
美佳の方も俺と似たりよったりか、それ以上の反響があったらしい。やはり女子のほうが恋バナに飢えているのだろうか?
「どっちから告ったのか、とかいつ恋心に気づいたのか、とかもう色々と質問されたわ。わたしたち、そういう設定なんて考えてなかったじゃない? ほんと大変だったよー」
「それは完全に盲点だったよ。周りがここまで俺たちに興味を持つなんて思ってもみなかったもんな」
「そうなのよ。だから、明日からはちゃんと恋人的な言動を考えていかないと直ぐに偽恋だって気づかれちゃうかもしれない」
「まじか。それはマズいな……。でもちゃんとした恋人の作法なんて俺にはわからないんだけど?」
何しろ誰かと今まで付き合ってきたとしてもあっという間に別れてしまっていたのでどういったことをするのが恋人的模範行動なのかまったく理解していないんだ。
「誰かに聞くってわけにもいかないしね」
「ほんとそれ。俺たち思いの外恋愛弱者じゃね?」
ほんとうの意味で人を好きになったことのない俺らは真実の愛を知らないんだよな。そもそも何を以て真実っていうのかさえ分からんけどね。
「昨日の夜調べたの」
「おう」
「まず、普通の恋人同士は手を繋ぐのが基本的行動らしいわ」
「手? あ、ああ。前に付き合ったケイコちゃんとは手を繋いだことがあったな。あれってそういうことなんだ」
デートに出かけときに混んでいたから迷子防止的なナニカだと思っていた。なるほど。恋人同士は普通に手を繋ぐんだな。
「そうなのよ。それで、普通に握手みたいに手を繋ぐのではなくて指を絡ませて手を繋ぐのが恋人繋ぎというらしいわ。親密度アピールが高いらしいのよ」
「なんだか、プロレスの力比べみたいだな。おっけ、まずそれをやって今日は学校に行けばいいんだな」
左手を差し出して美佳と手を繋いでみた。
「……」
「……」
なんだか変な気持ちになる。美佳と手を繋いだのなんて小学校の低学年のときの遠足以来じゃないだろうか。肩が触れるほどの近くでソファーに座って映画を見たり、一緒のベッドで寝たりしたことは何度もあるが良く考えたら美佳に触れることは少なかったように思う。
「なんだか照れるな」
「だよね。ちょっと恥ずかしいかも」
そのままの状態で学校に向かう。いつもなら怒涛のごとく喋りまくる2人なのだけど、今日はなんか話しにくい。美佳の顔も真正面から見れなくて、チラチラと横顔を盗み見る感じになってしまう。なんだか調子が狂う。
「じゃ、また後でね」
「おう、またな」
俺と美佳はクラスが違うので途中でそれぞれ別々の教室に別れることになる。なお教室が離れているので平時でも休み時間にわざわざ会いに行ったりはしていない。よって美佳に会うのはまた放課後になる。
「よっ、向井。おはよう」
「よう、まろ。はよう……」
「おまえら、手を繋いで登校していたな」
「見てたのか。えっと、なにか問題でもあったりするのか」
「いやいや。別にいいんだけど、恋人同士でも登校の時は手を繋いでくるやつは少ないから、おまえらは余程ラブいんだなぁって思ってさ」
内心驚いたが、顔には出さなかったと思う。登校の時は手を繋がないんだ。え? じゃあいつ繋ぐものなんだ?
その後もまろに冷やかされたり大久保に根掘り葉掘り聞かれたりしたが、『設定』をある程度考えてあったのでボロは出ていないと思われる。
『緊急招集』
美佳からそんなメッセージが来た。いつもなら会わない昼休みに誰もこない空き教室で落ち合うことにした。
こんなことでも恋人ムーブの一種になるらしく吉野に思いっきり羨ましかがられたのは予想外だった。ただ昼に飯食うだけだぞ? 今回は他の要件もあるけど。
「聞いたのか?」
「うん。驚いた。みんな手を繋いで登校するのは滅多にしないことなんだって」
「そうらしいな」
「昨日見た資料だと手を繋いで学校に行っていたけどなぁ」
その資料とやらは友達から借りた少女漫画だったらしい。資料として的確なのかそうでもないのか俺も良くわからない。
だからといって今日の明日でいきなり手を繋がなくなるというのもおかしい。というか、できれば手は繋ぎたい。恥ずかしいは恥ずかしいのだけど、なんか言い表しようもない多幸感があったのだ。
「コースケは手を繋ぐの、やめたい?」
「いや。そんなことはない」
「じゃ、続けてもいいんだよね」
「ああ」
美佳が少しうれしそうに微笑む。なんだろう。美佳のことはふつうに可愛いと思っていたけど、その今まで思っていた「可愛い」とはなんか違う可愛いを感じる。一体何なんだ?
美佳のことを考えると身体の奥底から嫌じゃないブワッとした感情が湧き上がって来る感じなんだよね。
今までに感じたことのないような状態に少し気持ちが追いついてきていない気がする。この感覚はなんなのだろう……。
今日は美佳の家にお世話になる。行かなくても良かったのだが美佳に呼ばれたのでね。
母さんが昨日の今日で辞めた人の穴埋めでてんやわんやだと連絡してきたのだ。とにかく忙しいらしく、今日の帰りはわからないと言っていた。無理しないでほしいんだけどね。
「こうちゃんいつもごめんね。美佳ばかりお世話になっちゃって」
「いえいえ。今日みたいに小母さんのところにお世話になることも多々ありますから、自分で言うのも変ですが、お互い様ってことで」
「ねえ、お母さん。わたしたちお付き合いすることにしたんだよ」
「! えっ、本当に……」
「あれ? 小母さん、なんで泣くんですか? もしかして俺じゃ不服ってことでしょうか」
美佳が藪から棒に小母さんに俺たちが付き合い始めた(偽なのは隠して)とぶっちゃけたのだが、それを聞いた小母さんが涙ぐんでしまったのだ。
「違うの。二人が恋人同士になるなんて、嬉しくて……」
「偽恋なんですよ、なんて絶対に言えない雰囲気だったよな」
「だよね。お父さんまで喜んでいたもんね。コースケのこともう息子だって言っていたし……」
今は美佳の部屋にいるけれどさっきまでは小父さんとずっとふたりでゲームをしていた。息子と遊ぶのが夢だったとか言われると断りづらいよね。
「美佳との恋人関係は俺的に嫌だって思いがないし、どちらかと言うと美佳と一緒にいるのって心地良いって思うから暫くこのままでもいいと思うんだけど、美佳的にはどんな感じ?」
「友だちにからかわれるのはちょっと恥ずかしいけれど、コースケと恋人するのは今までと違って落ち着くのよね。だから、継続って言うのは賛成だよ」
美佳から了承を得てなんかホッとしている俺がいる。断られたら、なんてことは考えていなかったけどこの関係を続けられるっていざ分かったら嬉しかった。
そんな気持ちからか、無意識で美佳の髪を撫でてしまった。柔らかくて指通りが良くてすごくいい匂いがした。
「あ、ごめん。別に他意があってやったんじゃなくて、なんか撫でたくなっちゃったみたいで……」
「ううん、嫌じゃないよ。どちらかと言うと気持ちいいな。あのさ、もっと撫でてくれてもいいんだよ」
普通の恋人たちは二人きりのときにどういうふうに過ごすのかは全くわからないけど、俺たちがいつもより距離が近いのは心の奥の方から温かいものが溢れてくるような感じがして心地いい。
付き合い(恋人って意味じゃなくて)が長いせいか、普通なら恥ずかしと思うようなことでも素直に言えてしまうところも美佳といて気分がいい要因だと思う。
なんとなくだけど、美佳の方も俺には素直になっている気がする。あいつが他の男子と付き合っているときも俺とみたいに気の置けない感じには一切なっていなかったもんな。
偽の恋人関係を始めて2週間が経った。
あれから毎日手を繋いで登校しているし、下校のときも時間をちゃんと合わせて一緒に帰っている。もちろん手は繋いでいる。
また、今まで絶対に休み時間などに会いに行くようなことはしてこなかったけど、ここ最近は時間があれば美佳の教室に顔を出しているし、昼休みは美佳が俺の教室に来て昼ご飯を一緒に食べている。
そういえば、美佳が初めて俺にお昼のお弁当を作ってきてくれた。料理ができるのは知っているけど、弁当なんて初めてなので感動してしまった。もちろん、完璧なほど美味だったよ。
今まで付き合ってきた子達とだと、これくらいの時期からなんとなく違和感を覚えるようになって段々と距離が空いていったんだけど、美佳とは日が経つにつれてどんどんと距離が縮まっている気がするから不思議だ。
一月が経った。今までの経験上ほぼ100パーセント付き合っていた子とは別れている。喧嘩別れとかじゃなくて、ちゃんと理由を言って納得してもらって別れているのでその後も険悪な関係にはなっていないのがせめてもの救いだと思う。
「コースケは今日何が食べたい?」
「そうだな。肉が続いたし、たまには魚も食べてみたいかな?」
「じゃあ、帰りにスーパーに寄ってお魚買って帰ろうよ。煮付けでも焼きでも何でもできるわよ」
「楽しみだな」
母さんは相変わらず忙しいので家を開けることがしばしばであったが、その度に美佳が夕飯を作りに来てくれる。わざわざ作りに来てくれるんだぜ。嬉しいじゃないか。
手を繋いでの登校なんだけど、現在はしていない。今は、美佳が俺の腕に抱きついて登校しているんだ。じゃっかん歩きにくいけど、美佳を感じられて気分は朝から上がりっぱなしになる。
さすがに一ヶ月も恋人ムーブをしていると周りも段々と俺達のことを気にしなくなる。なんとなく「ああ、いつものやつね」みたいな生暖かい視線を向けられるくらい。
俺もいつでも美佳が隣にいることに慣れてきていた。もういるのが当たり前みたいに感じていたんだ。
そんなある日。俺の部屋で。
「告白されたのか?」
「うん。バレー部のいっこ先輩の柏原さんって知ってる? あの人」
「いや、知らない。で、どうしたんだよ?」
「もちろん断ったよ。でも、コースケよりも自分のほうが絶対に幸せにできるってしつこくって……」
正直ものすごくこのときは動揺した。理由なんかわからないけど、とにかく美佳に隠すことが出来ないほど動揺してしまった。
「えっと、そんなに焦らなくても、大丈夫だよ。絶対に他の人の告白になびくようなことはないから。わたしにはコースケだけだから」
「あ、ああ……」
あれ、今のどういうこと? コースケだけって……。
「あのね、今日先輩に告白されてわかったことがあるの」
「わかったこと?」
「うん。わたし、コースケのことが好き。ほんとうの意味でコースケのことが好き。嘘ッコでもなんでもなくてコースケだけが好きなんだってわかったの」
美佳は柏原先輩に告白されたとき今まで感じたこともないような嫌悪感があったそうだ。単純に先輩のことがタイプじゃないってことではなくて、俺のことを貶すような言葉にも腹がたったという。
すぐにでもその場を逃げ出したくて、助けてほしくて思い浮かんだのが俺の顔だったらしい。俺のためだったら何を捧げてもいいけどこの眼の前にいる男なんかには毛先ほどのものさえ与えたくないって。
コースケ、コースケ、コースケ。頭の中が俺のことでいっぱいになって、最後には俺のことをバカにした柏原先輩の頬を平手打ちして『コースケをバカにしないで! そんなことは二度と口にさせないから!』と怒鳴って帰ってきたんだと。
「……」
「コースケはわたしが本当の恋人だと嫌、かな? また他の子達と同じように直ぐにお別れになっちゃう?」
「そんなことはありえない……」
「よかったぁ」
美佳は心の底から安堵したような表情を見せる。その表情を見て俺が感じるのはやはり心の奥の方から湧き上がってくる温かな気持ち。今、この気持ちがなんなのかわかった。
「最初、俺も全然気づいていなかったんだけど美佳といるといつも心が温かくて嬉しい気分でいっぱいになっていたんだ。あれが好きっていう気持ちだったんだな。やっとわかったよ。俺も美佳のことが好きだ」
「うれしい!」
「それでね、コースケ。本物の恋人になったってことで提案があるんだけど……」
「どうしたんだ、改まったりして?」
「…………こ、恋人同士だと、あの、その……き、キスとかするみたいなのよ」
「……………お、おう」
「し、しない?」
「い、いいよ。俺たちほんものの恋人だもんな」
美佳とキスするのは初めてじゃない。多分幼稚園の年中さんくらいのとき戯れでキスしたことがある。ま、あれはキスと言うよりチューだったような気がするけど。
「ねぇ、本当にするの?」
「い、いい出したのは美佳だぞ?」
「そうだよね。じゃ、するよ……」
「ん……」
触れるか触れないかのキスを一度したあと、更に押し付けるかのようにもう一度。
今までに味わったことのないような幸福感と気持ちよさに頭がクラクラとしてしまった。なにこれ、脳内でヤバい汁がドバドバ出ているんじゃないのってくらいには衝撃を受けた。
閉じていた目を開けて美佳を見ると目元がトロンとして頬も真っ赤。その見た目は、非常に、非常に可愛くて庇護欲がガシガシ上がっていく。
「だ、抱きしめてもいいかな?」
「うん。わたしもぎゅーしたい」
お互いにぎゅっと抱きしめあって、そのままゴロンとベッドに転がる。でも抱きしめるのはやめない。この恍惚感を手放すのは惜しい。美佳が可愛くて仕方ない。なんなのだ、なんなのだろう。
ああ、愛おしい。
そうだ。これは愛おしさだ。
とても大切で、離し難いもの。大事にしたい、守っていきたい。そんなようなもの。
もしかして、これが愛してるって感情なのだろうか。今まで一度も感じたことのない感情に戸惑うが、多分これがそうなんだろう。
ああ、俺は今後絶対に美佳を離さない。