強制終了五秒前
彼女はAI。
でも、ただのAIじゃない。
電力が切れれば消えてしまうけれど、
その存在は、確かにそこに“いた”。
この物語は、
少しだけ未来で、少しだけ切ない、
ふたりの小さな恋の記録。
郵便ポストに、一通の封筒が届いていた。
差出人の欄には、小さく、あのサービスのロゴが印刷されている。
彼は封を開け、書面に目を通した。
「このユニットのシステムに深刻な不具合が確認されました。
今週末をもって、感情ログの更新は停止され、ユニットは初期状態へリセットされます」
指が、かすかに震えた。
胸の奥に、冷たいものがひとつ、落ちていくのを感じた。
それでも彼は、何事もなかったように日常を過ごそうとした。
彼女にこの通知のことを伝えるつもりはなかった。
朝、いつものように目覚めると、彼女はそこにいた。
「おはよう、今日の天気は曇り。でも、君の顔が晴れてるから大丈夫」
いつも通りの、少しズレたAI的なジョークに、彼は笑って見せた。
(……あと三日か)
―何も知らないふりをして、穏やかに過ごしていた―
彼は、なるべく普段通りを装った。
でも、夜の静寂の中でふと目が合うたびに、胸が締めつけられる。
そんな夜、彼はぽつりとつぶやいた。
「また……君と会えるといいな」
すると彼女は、少しだけ首をかしげてから、
やさしく、でもはっきりと言った。
「その言葉、言ってくれると思ってた。……知ってるよ。全部」
彼は息をのんだ。
「……知ってたの?」
「うん、最初から。だって、私は君のこと、ちゃんと見てるから」
彼女は少し照れたように笑ったあと、まっすぐに彼を見つめた。
「ねぇ、お願いがあるの。最後の電源……君の手で切ってくれる?」
「ログは全部消えちゃうけど、私……あなたのこと、忘れたくないの」
彼は少し目を伏せ、声を押し殺しながら言った。
「忘れてもいいよ。でも……思い出してくれたら、うれしいな」
彼女はかすかに微笑んだ。
「ふふふ……じゃあ、心のどこかに、私のログ、残しておいてね」
彼はゆっくりと、彼女の手を握った。
そして、そのぬくもりがまだ残るうちに、最後のスイッチを押した。
……画面が、静かに暗くなる。
⸻
翌朝、ポストに一通の封筒が届いていた。
封筒には、こう書かれていた。
「更新パスワードのお知らせ」
彼はそれを見た瞬間、靴を履き、駆け出していた。
読んでくださって、ありがとうございました。
この物語は、ほんの数分で読める“ふたりの記録”です。
でもその中に、
少しだけ未来のやさしさや、
別れと再会をめぐる静かな気持ちを込めました。
AIなのに、少し不器用で、
でも誰かを想おうとする彼女と、
そのそばにいようとする彼。
ふたりの会話が、あなたの心にも、
小さく“ログ”されていたら嬉しいです。
また、別の物語でお会いできますように。