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Folder 002: 天網恢々・そして。(5)


「彩ちゃん、彩ちゃん!」


「んっ……ううっ」


 彩は記憶にない声で繰り返し呼ばれて、仕方なく目を開けた。


「ほら、もう晩ご飯できたわよ」


「えー? 今いいところだからー」


 何の変哲もないリビングのソファに、彩は横たわっていた。


「いいところって、寝てただけじゃない。お父さんも待ってるから、早くして頂戴」


「しょうがないなあ」


 彩はソファから身体を起こすと食卓に向かう。いただきますと、家族三人で料理を囲む。今日はすき焼きだ。味のしみこんだ牛肉や豆腐を卵に絡めて一口。美味い。学校での面白い話や、父や母の仕事の話。話題は尽きることがない。


 ――幸せな日常。当たり前のように享受される日々。


「彩ちゃん。またテストで百点取ったんでしょう。よく頑張ったわね」


 ――でも、違う。


「すごいなー。この調子で来月の模試も頑張れよ。父さんも応援してるから」


 愛は有償だ。愛は有償だ。愛は有償だ。


 頑張れ。頑張れ。がんばれがんばれがんばれと、無責任な念仏のように積み上げる家族、親戚、教師、醜い大人たち。


「別に。まあいつも通りやるだけだよ」


 必要なのは親じゃない。こんな一方的で、身勝手な支配の関係じゃない。

 その胸に、確かな熱さを感じて。


「――スノウドロップ! こんな妄想ぶち壊せっ!」


 妄想世界にスノウドロップが召喚される。その鎌を見て、偽物の両親は悲鳴を上げる。スノウドロップは彩の命令通り、食卓を破壊し、ソファを八つ裂きにし、壁に大穴を開けた。


「彩ちゃん、早く逃げて!」


 母親役の女性が喚く。うるさい。今いいところなんだ。


「君らこそ逃げろよ。結局自分が一番大事なんだろ」


「彩、いいんですね?」


 両親役の二人は逃げずにただ彩の顔を見た。止めろ。偽物風情がそんな顔で見るな。


「消せ、スノウ。今すぐにだ!」


 瞬時にスノウドロップは二人を斬り伏せる。血飛沫が彩の頬にかかった。彩は彼らの光を失った瞳と、その無表情を見て、


「あはははははっ! 壊れろ! 惨めな妄想ども! 人生に効率を求めたら家族制度なんて要らないんだよ! 平和ボケも大概にしろっ!」


「彩、彩っ!」


「スノウ、まだ済んでないぞ。この建物全部倒壊させるんだよ。政府が垂れ流している幸福のプロパガンダを、私たちで血塗れに染め上げるんだっ! さあ、早くっ!」


「彩、もう止めてください! これ以上壊したら」


「壊せよ! 何もかも!」


「でも、彩――泣いてますよ」


 彩はそのとき初めて、自分が涙を流していることに気づいた。


「なんで……こんなっ……」


 彩は拳を震わせながら目元を拭う。

 スノウドロップは彩の元へ駆けると、その細い体躯を抱きしめた。背伸びして、スノウドロップは彩の呼吸に一センチ近づく。


「大丈夫ですよ。辛かったんですね。ずっとずっと、一人で抱え込んでいて」


「スノウ、私はまた間違えたのか……?」


 スノウドロップは彩を見上げると、首を小さく横に振る。


「彩、わたしはあなたが大好きです」


 また一つ、彩の瞳から大粒の涙が落ちた。


 

 彩が再び目を開いたとき、視界にはぼんやりと無数の球体が映った。身体は宙に浮いている。大気が重い――違う。水の中だ。得体の知れない無色透明な液体の中に、彩とスノウドロップは投げ出されていた。そして二人は巨大な球面水槽に閉じ込められる形で、一万を超える眼球の視線に晒されている。

『眼』は水槽の壁に敷き詰められており、水槽内にいる限り視線から逃れることは不可能と言ってよいだろう。


「まさか僕の妄想世界から自力で脱出するとはね」


 出羽の声だ。ただその声は、この球面水槽の底にへばりついた、黒い星形のヒトデのような物体から聞こえる。


「何だ、君は」


 空気もないはずなのに、不思議と彩は喋ることができた。息が苦しくなることもない。


「出羽泰之改め、デリュージョン・フォールデッド」


 妄想(デリュージョン)。そしてフォールデッドと彼は確かに名乗った。


「化け物になってまで、お前は独善を貫くつもりか?」


 彩は醜悪な黒ヒトデを見下す。


「そうさ。望み通りに世界を改変できれば、僕は文句なしのA級、いや、特撰人材だって夢じゃないからな!」


「勝手なことを……もう許しません!」


 飛びだそうとするスノウを、彩が腕を掴んで止めた。


「どうしましたか?」


「離れるなと言っただろう。彼以上に、この一万個の瞳、『眼』の夢魔が厄介だ。こいつらに視線を注がれている限り、私は常に妄想に支配されうる状態だからな。視線を中和するためにも、私の傍を離れさせるわけにはいかない。鎌以外に、ビームで遠隔攻撃とかできないか?」


「消耗が激しいので連射はできませんけど、それでもよければ」


「期待してなかったが、できるのか。ただ連射できない大技となると、むやみに使えないな」


 彩は無感動にスノウドロップからデリュージョン・フォールデッドへと目線を移す。


「使えたとしても、この空間では無意味だよ」


「盗み聞きは感心しないな」


 彩はデリュージョン・フォールデッドを睨んだ。


「この水槽に満ちている液体には、一定以上の熱を急速冷却する力がある。そして運動する物体に掛かる抵抗も大きい。銃火器だろうが投石器だろうが、ここでは使い物にならないよ」


「わざわざ説明ご苦労さま。何か意図があるんだろうが」


「簡単なことさ。お前らが万全の装備をしていたところで僕には勝てない――そう分からせるためだよ!」


 デリュージョン・フォールデッドは五つの腕をくねらせると、手裏剣のように高速回転した。そしてそのまま彩たち二人に突っ込む。スノウドロップは片手を彩と繋いだまま鎌を構える。白い刃と黒い触腕がぶつかる――スノウドロップは彩の手を、指を絡める形で握り直した。


ベイゴマのように、デリュージョン・フォールデッドはスノウドロップの鎌に繰り返し攻撃を仕掛けた。壁も床もなくただ浮いている中で、スノウドロップは後退を余儀なくされる。

「このままじゃ、どんどん『眼』の視線が近づいてしまいます。五メートル以上離れていないと、わたしでも妄想を抑えきれません!」


「おらっ! ご主人様に説明してるうちに、もうお約束の五メートルじゃないか?」


「うっ!」


 スノウドロップは押し負ける。その背中を、彩以外に支える者がいた。


「こりゃまた、お早いお着きで」


 彩は皮肉めいた笑顔を見せる。そこには銀色の篭手(こて)を装備したリナリアがいた。


「くそっ! お前も自力で妄想世界から抜け出したのか……どんなイレギュラーだよ?」


「初めまして。そして素敵な夢をありがとう、黒ヒトデさん。あたしはリナリア・ホーウィック。この子と同じシャペロンよ!」


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