Folder 002: 天網恢々・そして。(4)
学校中から人気が無くなっていた。教室も教務室もしんと静まりかえっている。夕日の光と柱の影のコントラストが、空間を橙と黒に切り分けていた。
「どうして犯人が分かったんですか?」
「私たちが捜査していることを知っているのは、学校の中でもごく少数だ。大々的な調査をせず、わざわざ監視の目をかいくぐって会合をしたからな。それで事件の方向性が変わったということは、今まで出会った数人のうちの誰かが犯人ということだ。後は有馬と同じぐらい怪しい人物が犯行したと仮定して、全て辻褄が合った。それだけだよ」
「彩、犯人がどこにいるかも分かるんですか?」
「ああ。私の導いた結論が正しければ、同時多発転生を実行できる場所はそこしかない。そして犯人は今頃、前例のない状況に焦っているはずだ。スノウ、今回ばかりは絶対に私から離れるなよ」
彩はスノウドロップの手を握った。
「離れませんよ。わたしはあなたのシャペロンですから」
スノウが足取り軽やかに先行するのを、彩が腕を引っ張って止める。
「行き先も知らないまま先陣を切ろうとするな」
「じゃあどこに行くか教えてくださいよー」
「もう近いから口に出してもいいか……廊下に設置された監視カメラ、そのすべての映像が確認できる場所――増設された警備当直室だ」
その部屋は、ちょうど彩たちの目の前にあった。教務室横の面談室を、今回の事件を受けて造り替えたものだ。
「リナリアも来たか」
通信で場所を伝えておいたリナリアも合流する。あとは突入するだけだ。スノウドロップは鎌を出し、臨戦態勢に入る。リナリアが扉を開いた。鍵は掛かっていなかった。
「やはり君だったか。出羽泰之。二学年主席」
そこには、監視カメラの映像を映すモニターに両目を――眼帯は外されている――光らせた出羽の姿があった。出羽は彩たちに気づくと、降参するかのように両手を挙げた。
「物騒な武器を突きつけるのは止めてください。僕は被害者ですよ」
スノウドロップはその純朴な主張に鎌を下ろしかけるが、彩に止められる。
「いや。君は今回の連続異世界転生事件の犯人だ。さらにいえば、異世界転生なんて、一度も起こっていなかった。君の能力は『妄想』。おとぎ話を真実と思わせる力。君はその力を、シャペロノイドを使用して手に入れたんだ」
「なんだそれは。お前に妄想癖があるんじゃないのか?」
「『万物開闢』の能力を持っているはずの君が随分と現実的じゃないか。愛用の魔導書はどこにいったんだ?」
「魔導書ならここにあるさ」
出羽は付箋がたくさん付いた英和辞典を取り出した。
「見事な演技だった。でも残念だが私は初めて君と話した時点で、君が嘘をついている可能性に思い当たっていた」
「憶測で物事を語るなよ。証拠を出せ」
「三人の中で君だけが、自分の能力が現実で実現しないことに気づいていた。残り二人と比較して、これほど異質なことはない」
出羽は読心能力を否定された際に、羞恥心を露わにしていた。もし自分の能力のことを心から信じているなら、彩が嘘をついていると断言するはずなのに。
「仮にお前の主張が正しいとして、この事件を僕が起こす理由がないでしょう。成績上位者を狙わずとも、僕は学年一位だ」
出羽は乾いた唇を舐めた。
「嘘をつくのが下手くそだな君は。脚に力が入って、つま先が浮いてるじゃないか。君は学年一位だからこそ、今回の事件でもっとも怪しい人物だ。違うか、中堅私立高校のB級主席さん」
「こいつ――っ!」
拳を振りかぶった出羽は、彩の手掌に制止される。
「止めておけ、ここで暴力は。自分の非を認めたも同然だろう?」
「――お前たちは、一つ重大な勘違いをしている。この事件は、紛う事なき異世界転生を引き起こす。あと三日だ。予定は早めたが、それで計画は完成するんだ」
「本当に残念だよ。君は不器用で、自分の才能を社会で開花させるには足らない人材かもしれない。それでも愚直に努力して、周囲より成果を出すことはそれなりに得意だったはずだ。だからこそ辞書が付箋だらけになるまで君は勉強して、学年一位になったんだろ」
「五月蠅い! A級のお前に何が分かる。生まれつき演算能力が高く生まれた、ただのチートじゃないか。僕は努力した。努力して努力して努力して、それでもA級人材にはなれなかった。政府からの待遇が、将来の進路が、全然違うんだよ……! だから僕は世界を変える。この学校の、いや日本人全員に妄想を植え付け、堕落させる。そして異世界と化した新しい日本に、唯一正気の僕は上位者として『転生』する。なのにお前はどうして、僕の妄想にとらわれないんだ!」
両目で睨め付ける出羽に対して、彩は肩をすくめた。
「供述ご苦労さま。概ね想定通りのプロットだったよ。そして君が焦っている理由。それは映像でだけでなく直接私を観察し続けても、私が君の術に掛からないからだろう」
出羽は何も言わず彩を睨み続けた。瞬き一つしないので、左眼は充血しはじめている。
「もし、君が『解剖学の夢魔』を利用して今回の事件を起こしていたなら、夢魔の力を使う際に何らかの身体の部位が関わるだろうと踏んだ。だから君たちの言動から、身体の部位をキーワードとして抜き出して考えた。『唇』、『右手』、そして『左眼』。このうち、一度に遠隔で多人数を捉えられるものは左眼だけなんだよ。左眼で対象の人間を視ることが、能力の発動条件。心が読めるなんて嘘をついたのも、私を自然に見つめる機会を作るのが目的。そして今回同時多発的に生徒が消失したのは、君が眼の能力と監視カメラを合わせて、視界に入った生徒全員に能力を使用したからだ」
「……そうさ。だからこそお前が正気でいるのはおかしいんだ。もうとっくに妄想にとらわれているはずなのに!」
「無駄ですよ」
出羽の怒声から彩を庇うように前に出たのは、鎌を構えたスノウドロップだった。
「わたしにはシャペロノイドの暴走を食い止め、折り曲げを修正する能力があります。並大抵の出力じゃ効きませんよ。さあ、大人しく投降してください!」
スノウドロップの弁を聞いて、出羽は笑った。
「そうか、じゃあ並大抵じゃなきゃいいんだな? ここまでやるつもりはなかったが、仕方ない……『眼』の夢魔よ、開眼せよ!」
出羽の叫びとともに、左眼から黒い霧が立ち昇る。狭い部屋の壁は黒く塗りつぶされ、闇の中で緑色をした眼が無数に彩たちを凝視していた。
「この重圧……まさか!」
リナリアは出羽を確認する。黒い影に包まれた彼は、もはや人の形を保っていなかった。
「彩、床も侵食されています。このままだとみんな影の中に沈みますよ!」
「こうやって妄想に捕らわれた生徒も『眼』の夢魔の小胞体に閉じ込められたわけか」
「流石ですね。この状況でも推理を続けているんですか」
スノウドロップは彩の顔を見上げた。
「スノウ。これ以上抵抗しても体力と時間の無駄だろう。それよりは、私たちがはぐれないように身を寄せ合うほうがいい。できるか?」
「はい!」
スノウドロップが彩の腰にしがみつくと同時に、彩の視界は暗転した。