Folder 002: 天網恢々・そして。(3)
生徒会長の名は有馬達治といった。有馬は彩たちの申し出を快諾した。そして、放課後に自称『異世界からの帰還者』たちと、面会する場まで用意してくれたのだった。
そこは何の変哲もない空き教室で、監視カメラも設置されていなかった。彩とスノウドロップは面接官のように並んで着座し、被害者の来訪を待つ。
「一人目は二年一組の出羽泰之です」
有馬に連れられて、左眼に白い眼帯を付けた男子生徒が入室する。包帯が巻かれた左腕で大量の付箋が付いた英和辞典を抱えている姿は、冒険者というより事故で負傷した入院患者に見える。
出羽はゆっくりと椅子に腰掛けると、
「僕は異世界であらゆる異能を手にした。そして勇者として世界を救い、この世界に帰ってきたんだ」
そう、真面目な口調でのたまった。
「その異能のうち、今この世界でも使えるものはあるのか?」
彩の問いかけに。出羽は笑む。
「できるよ。ほら!」
出羽は眼帯を外し、右と比較して何の変哲もない左眼で彩の顔を凝視する。
「何も起きてないけど?」
「起きているよ――僕の左眼は他人の思考を読むことができるのさ」
「なるほど。じゃあ当ててみてくれ。私が何を考えてるか」
出羽は英和辞典を開くと、パラパラとページをめくり、一つの単語を指す。
「全部お見通しだ。お前が考えていることは、僕の第三百八の能力『万物開闢』をいかに攻略するかということだね。でも無駄さ。僕の能力はさらに」
「あー右の鼻毛出てるなこいつ」
「へ?」
「私が考えてること。答えだけど」
出羽は無言になった。英和辞典を閉じ、ふらふらと部屋を出て行く。
「背中丸まってるぞ。それが勇者の背中か?」
彩の煽りに振り返ることもなく、出羽は遠くへ去っていった。
二人目は女子だった。二年二組在籍の成島唯花は、いわゆる悪役令嬢として転生を果たし、第三王子と幸せに暮らそうとしていた矢先、現世に戻されたという。唯花は彩の顔を見るなり、目を輝かせてその手を取った。
「アルベルト! ああ、こんなところにいましたのね」
「いや、私は花凪彩だが」
彩は寝覚めの悪い悪夢から覚めたときのような気だるい眼差しを唯花に向ける。
「まあ。なんということでしょう。わたくしから王国のみならず最愛の人の記憶までも奪うというのですか」
「いや、奪われたのは君の理性だが」
「でも安心してくださいまし。愛のカタチを今ここで示せば、きっと元通りになりますわ」
唯花は彩の首筋に細い指を添えると、唇を彩に近づける。
「待て。落ち着け。私は王子じゃない」
声は届かないのか、唯花はそのまま恍惚とした表情で瞳を閉じる。二人の距離がゼロになるその時。
「止めてくださあああぁいっ!」
弾丸の勢いで、スノウドロップが唯花を引き剥がした。
「ちょっと、何するんですの? うっ……」
スノウドロップは首筋に手刀を食らわすことで唯花を気絶させる。
「彩、ファーストキスは無事ですか?」
「平気だ。ていうかなんで私がキスしたことないの知ってるんだ」
「生殖に不要だし、感染のリスクもあるから非効率的って言いそうですから」
「……まあ、その通りだ。学生時代の恋愛なんて、非効率の最たるものだよ」
彩は冷たく笑うと長い後ろ髪をかき上げる。スノウドロップはそんな彩を見て俯くと、長いため息を吐いた。
「さて会長。とんでもない状況だったが、この子はどういう事情なんだい?」
彩は一部始終を何もせず見守っていた有馬に問いかけた。
「成島さんは、ちょうど花凪さんのような細身で長身、長髪の方を、男女問わず異世界の婚約者と誤認してしまうようなんです。それでその度に抑えが効かなくなり、先ほどのようにキスを強要してしまうこともあります」
「そのことを知っていて、あえて私の前に連れてきたっていうの?」
「ええ。事の重大さを知っていただくためです。あなたもご存知でしょう。成島さんはもともと学業優秀で、周囲の期待を背負う存在でした。でもこのような状況になって以降、目隠しをして保健室登校するのがやっとという有様です」
「なるほど。君が目的のために手段を選ばないタイプだということも理解した」
「三人目に移ってもよろしいですか?」
有馬は彩を無視すると三人目を連れてきた。二年三組の瀬良公平はバスケ部所属でガタイも良く、別に異世界に行かなくてもハーレムを築けるのではないかという見た目をしていた。
「オレは最強のパーティに所属してたんだが、失敗の原因を押しつけられて追放された。ただ追放された先で強力な魔法を使える女の子たちに出会って、楽しく過ごしながら事件を解決してったんだ」
「どうやって女を仲間に引き入れた? 君の地位は追放されたことで地の底に落ちていたんだろう?」
「オレは頭が切れるから、女の子の悩みを一緒に考えて解決してきた。そしてオレには、神から授かった能力がある――信頼の右腕だ」
「ほーん」
この流れは前にも見たなと思い、彩は話題を切り替える。
「それで。転生した瞬間の記憶は残ってるのか?」
「なんとなくはな。廊下を歩いていたところで、急に意識が遠のいて、気がついたら別世界に倒れていた」
「そうか。ありがとう」
面談が終わると、瀬良は右手で握手を求めた。彩はこれまでの例から実害はないと判断し、その求めに応じた。
「オレのこと、どう思うか?」
「早く妄想が解けてほしいと思っているよ」
「そうか、彩ちゃんも、オレのこと好きになっちゃったか。やはり右腕の能力は健在……!」
「なるほど。話せると思ったが君も重傷だな」
彩は握手を終えると、瀬良の退室を見送った。教室には彩とスノウドロップ、有馬だけが残された。
「会長、二学年の学業成績、上位二十人だけでいいんで貰えるか?」
「ダメだ。個人情報だからな。そもそも生徒会も把握してない」
「そうか。じゃあ今日はもういい。ご協力感謝するよ」
有馬は軽く一礼すると、教室を後にした。
「彩、被害者と会って、何か分かったことはありますか?」
「そうだな。まずは三人の共通点から考えよう。スノウ。一応だが教室周囲に人がいないか見ていてくれ」
「承知しました。気配感知を怠りません」
「よし……まず共通点として、三人とも二年生の中である程度知能指数が高いだろうということだ」
「あんな滅茶苦茶なことを言ってるのに、ですか?」
「そうだ。出羽は、開闢という単語を迷わず出してきた。通常の高校生なら知らない語彙だろう。そして成島が成績優秀なのは会長の紹介通りだ。最後に瀬良は、異世界の女の問題を頭脳で解決したと言っていた。彼らの言葉をそのまま信じるのは浅はかかもしれないが、成績表を見れば全て明らかになる」
「でも、成績の閲覧は断られちゃいましたね」
「会長に成績開示を求めて、成績表が手に入るとは思っていない。むしろそれ以外の、成績に関する補足情報を吐いてもらいたかったのだが……どうやら、彼は成績に後ろめたいことでもあるらしいな」
「つまり、会長が怪しい、ということですか?」
「会長が犯人である可能性は否定できないが、まだ確度が低い。そしてそのために――」
カツカツと足音が廊下に響いた。
「あたしみたいな教師側の人間が必要ってわけ、そうでしょ?」
教室に到着したスーツ姿のリナリアは、彩に向けてウインクした。
「なるほど。これは分かりやすいな。犯人の知的レベルもおおよそ判断がついた」
「学年順位の一位から三位。その三人がまず被害にあっていたんですね」
スノウドロップは指で印刷された順位表を追った。
「飛び降りた子は四位。律儀なまでに上から順に被害者となっているわ。これで次の被害者も予想できるかしら」
「そうだな。ただ私たちがこの表で確かめるべきはそれだけじゃない」
彩は生徒会長、有馬達治の名前を指した。百二十人中の順位は五十二位。劣等生とまでいかないが、生徒の模範とは言えない結果だ。
「分かりました。成績の悪い生徒会長が、自身の成績を上げるために上位の者から順に『異世界転生』させたんですよ。わたしでも推理できました!」
「今もまだ帰ってきていない九位の生徒までが現在の被害者。なら、次は十位だけど、この子は帰宅部よ。もう総下校時刻も近い今は学校にいない可能性が高いわ。有馬の確保が優先ね」
「有馬の顔を知っている私とスノウが校門前で張る。だからリナリアと小野寺は生徒会室に急いで」
『断る』
通信で割って入ったのは小野寺の声だった。
「どうして? 犯人確保のチャンスなのよ」
リナリアは怪訝に問う。
『今別件で忙しいんだ。走り回るような疲れる作業はご免だね』
「でも、別棟にある生徒会室には、あなたの方が近いんじゃ」
『――』
ざーっという砂嵐の音とともに、小野寺との通信が途絶えた。
「ああもう。また意図的に通信を切ったのね……生徒会室にはあたし一人で行くわ」
リナリアは廊下へと掛けだした。スノウと彩も階段を降り、正面玄関へ直行する。
そして――推論は覆された。
「今、何時ですか」
下駄箱の周囲に、人影はなかった。
「総下校五分前だ。犯人め。やってくれたな……」
「ダメです。誰も来る気配がありません。この学校の生徒の大多数が、校舎から忽然と姿を消しました」
「くそっ。小野寺が下校する生徒をちゃんと見てれば、早く異変に気づけたかもしれないのにっ! リナリア! 生徒会室は?」
『ダメよ。ここにも誰もいない。でも、会長の上着はロッカーの中に見つけたから、先に帰ったわけじゃなさそうね』
「と、すると会長も被害者。成績を僻んだという動機も、成績下位の者を手に掛けたことで成立しにくくなった」
『まずいわね。ここまで多くの被害を出すと、プロテアソームの介入は避けられないわ』
「何だ。以前も出てきた単語だが、シャペロンに続いてまた生物学用語か?」
『プロテアソーム――タンパク質を分解する酵素が原義だけど、ここでの意味は、折り曲げに失敗し、修復不可能と判断されたものを自動で分解する魔術装置の名前よ』
「そんなのがあるなら、始めからプロテアソームに全部任せればいい」
『任せられない事情があるのよ。とにかく、今は真犯人を捜さないと』
「問題ない――犯人の推定は、ここまでの情報で概ねケリが付いた」
彩は玄関の窓から差し込む西日を背に、廊下へと踵を返した。