再会
妖精の森の入り口、その付近まで来て、一度俺達は走るのをやめて歩くことにした。
それなりに離れたし、もういいだろうという考えからだった。
隣を歩くノーヴァは暫く無言だったが、そのうちクツクツと肩を揺らし、そして。
「ノーヴァ?」
「ふふ……あははは!」
「え、何、怖っ!?」
突然大声で笑い出し、結構ビビった。
どうしたんだコイツ。
「ごめんごめん!君のサポートが本当に完璧すぎて、なんだか楽しくなっちゃって。」
「なんだそれ。」
「煙玉使った時なんか、本当に傑作だったよ。ランベルト伯爵の叫び聞いた?ヤバいお腹痛い。」
「笑いすぎだろ。」
それはそれは楽しそうに笑いながらノーヴァはそう言って、腹を抱えた。
コイツはこういう奴だから仕方ないか……と、呆れてため息を吐く。
ふと、気になったことがあった。
「煙玉さ、あれ無害なのか?結構威力すごかったけど。」
「もちろんだよ!吸っても安全な、本当にただの煙だ。ついでに言うと、魔法薬の性質を壊さないように改良を重ねて、拘りに拘った自信作です。」
「どこに拘ってんの?」
まぁ、確かに被害を出さないことが第一だけども。
2、3個渡されていたが、1個であの威力は流石にヤバいって……。
気がつけば立ち入り禁止にされた妖精の森の中に入っており、伯爵邸の警備で手薄になっていたことで簡単に侵入できたことがわかった。周りは静寂に包まれ、草木の擦れる音や虫の声しか聞こえない。
歩みを止めたノーヴァは徐に、木々の隙間から覗く月に手を伸ばす。
「いつか……いつか満月に、手は届くのかな。」
「……?今日は満月じゃないぞ?」
「……そうだね。わかってるさ。」
なんなら今日は半月だ。
それにしても、なんだか含みのある言い方だったな。
煙玉と同じく、満月にも何か拘りがあるのか?
一度息を吐き、ノーヴァは一歩前に出て、くるりと回って俺の方を向いた。
「さてと!それじゃあ、そろそろ戻……」
しかし不自然に言葉を止め、ノーヴァは顔色を変える。
「アカツキ!!」
「え……っ!?」
絶叫するような声で呼ばれ、しかも突然押し飛ばされ、俺は目を見開いた。
俺が倒れると同時に、耳を劈くような破裂音が響き渡り、目の前には赤が広がる。
ノーヴァの髪の赤じゃない。
「ノー……ヴァ…………?」
ぐったりと俺の上に倒れ込んだノーヴァに声をかけるが、反応が返ってこない。
気がつけば、俺の服にまで赤いシミが広がってきていて、血の気が冷めていくのを感じた。
「ノーヴァ!?おい、しっかりしろ!!」
身体を仰向けにすれば、右肩を撃ち抜かれていることを知る。
貫通しているため、弾を取り除く必要はないだろう。
だが、出血が……!
ガサッ、という音が聞こえ、俺はノーヴァを抱えてその場から後ずさった。
茂みから姿を見せたのは、あの日銃をノーヴァに向けていた、アイツ。
薄気味悪い仮面と深く被ったフードで、顔が隠して突然襲撃してきた敵。
マヴロ・フォティアの、仮面の人物だった。
「マヴロ・フォティア…………。」
「ほう?その名は、そこの怪盗に聞いたか。
……忌々しい。」
答える声は、魔法で少し変声しているのだろうか。自然の声ではない風に思える。
しかし、その声は俺達を嘲笑っているようで、余裕を感じられて無性にムカついた。
「お前達の目的は、一体なんなんだ。」
「……対象の捕獲、そして目撃者の抹殺。それ以外にあると思うか?我らの存在を知る者は、誰一人として生きては帰さん。」
「その割には俺は1ヶ月、ノーヴァは10年、逃げ続けてるけどな。」
「それも、今終わる。」
かなりまずい状況だ。
唯一の救いは、敵が目の前のコイツ1人ということだろう。
シヴィムの時のように3人に同時に襲われたら、勝ち目なんか全くなかった。
だけどこの1ヶ月、修行で戦い方は学んだ。
勝てなくていい。ただ、少しでも隙を作って、逃げられれば……!
俺はノーヴァを、できるだけ巻き込まれないように離れたところに横たわらせる。
そして剣を抜いて、仮面の男を睨みつけた。
「……戦うつもりか?」
「あぁ。」
「……一つ、取引に興味は?」
「取引?」
警戒は解くことなく、しかし相手の話はしっかりと聞いて。
一言一句に、集中する。
「ノーヴァをこちらに渡せ。そうすれば、今はお前を見逃してやろう。」
「……あの日は問答無用で殺しにきたくせにか?」
「我々の目的はノーヴァだ。貴様だけであれば、いつでも殺せる。見逃されている間に、やり残したことをやればいい。」
なるほど、俺なんか眼中にないってことがよくわかった。それだけ俺は弱いと思われているって事だ。
悔しさで、剣を持つ手に自然と力が入る。
勝てるかわからない。
だが、これだけは確かだ。
「俺は、コイツのバディだ。」
「つまり交渉は決裂か……。なら、潔く死ね。」
相手も手に持つ銃を構え、戦闘態勢に入る。
俺も被ったままだったフードを脱ぎ、真正面から相手を見据えた。
絶え間なく聞こえていた虫の声が、一瞬聞こえなくなったわずか数秒。
銃声が聞こえるよりも速く、地面を蹴って接近した。
男は外した事を大して気にもせず、距離を保ちながら次の弾を込める。
その動作から、かなり手慣れていることがわかった。
一発ずつしか撃てないタイプの銃。
しかし一度でも当たれば、そのダメージは相当のものだろう。
なら……!
次の一発も躱し、奴が弾を込め始めた瞬間、俺は剣を胴体めがけて振りかざした。
――急所は外す。せめて戦意を失わせれば……!!
「____甘っちょろいな、考えが。」
もう少しで届く。そう思ったのに。
仮面の下で、相手が笑っているのがわかる。
さっきまで銃を持っていたのに、奴が持っている武器はいつの間にか剣に変わっていて。
俺の剣は相手の剣に受け止められ、その身体を傷つけるには至らなかった。
「己を殺しにきている相手に情けをかけようとするなんて……随分と傲慢な男だ。だから、こうなるんだよ!」
「ぐっ……!?」
鳩尾を蹴られ息が詰まり、剣から力が抜けてしまう。
その一瞬を逃さなかった相手に押し負け、体勢が崩れる。
すぐに剣が迫ってきたが、なんとかギリギリ避けることができた。
しかし猛攻は続き、俺はそれを受け流すことしかできない。反撃の隙がない。
銃の時は本気じゃなかったと言われてもおかしくない。
――この強さ、普通じゃない!!
この道を極めている奴の戦い方だ。
剣を持って1ヶ月の俺が、敵うはずがない。
初めから手を抜かれていたんだ。
「さっきまでの威勢はどうした!」
「うるっ……せぇ!!」
力任せに剣を押し返し、相手の力が軽い事を疑問に思ったには、もう遅かった。
誘導されたんだ。前に。
「…………ぁ、」
迫ってくる鋭い刃に動けなくなって、俺は____
「させるかよっ!!」
「ガッ……!」
体が後ろに引っ張られ、同時に相手の鳩尾にステッキを深く突いたのは、倒れていたはずのノーヴァだった。
「相棒に一発入れてくれた分のお返しだ。ありがたく受け取りたまえよ仮面野郎!」
「ノーヴァ!?お前……」
「いいから魔法!凍らせろ!!動きを封じるんだ!!」
「えっ、お、おう!?」
言われた通りに手を前に出し、突然の乱入者による攻撃で体勢を立て直せていない男の両足に向かって魔法を放つ。
狙い通りに足は氷に包まれ、奴は動くことができなくなった。
「今のうちに逃げ……ぅぐ…………」
「わかったから無理すんな!」
肩を押さえ、またふらりと倒れそうになったノーヴァを片手で支え、空いているもう片方の手で残っていた煙玉を地面に叩きつけた。
ノーヴァ特製の、ヤバい威力の煙玉は今回も伸ばした手が見えないほどの煙を噴出し、互いの姿を認識できなくさせてくれた。
走れないノーヴァを背負い、俺は煙玉を使う前に覚えておいた逃走経路へと走り出す。
「逃げようとしても無駄だ。我々は必ず、目的を果たすのだからな……。」
後ろから追いかけてくるように聞こえる、男の不穏なその言葉は耳にいつまでも残り続け、俺はマヴロ・フォティアのその執念深さを、恐ろしさを、この身を持って知ったのだった。
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「…………っもう、少し……もう少しだ、ノーヴァ……!」
走って、走って、走り続けて。
俺はとにかく、走り続けた。
もうノーヴァは一言も喋れないほど、体力を失っている。
早くノーヴァの傷を塞がないとならない。
俺には大怪我を治せるほどの治癒魔法は使えない。精々切り傷が限界だ。
治癒魔法は、魔力が特に高くて、センスのある者でなければ、本来の効力を発揮できない。
これはノーヴァにもノーレンさんにも言われたし、実際に使ってみてわかっている。
だからギルドのそばには、必ずこの世界における病院のような施設が存在しており、治癒魔法を極めた元冒険者や治療者がいる。
アンさん、カトレン達各国の案内人も臨時スタッフらしい。
とにかくギルドまで行けば、ノーヴァのこの怪我を治せる誰かが必ずいる。
そこまでなんとか向かうんだ。
ノーヴァをギルドに連れていけば冒険者に捕まってしまうかもしれないが、そんな事を言っている暇はない。
命の方が絶対に大事だ。
未だ妖精の森の出口は見えない。
森を通らないとかなりの遠回りになるが、森を通って近道をしたとしてもそれなりの距離がある。
応急処置で止血だけはしたが、どちらにせよ危険な状況に変わりはしない。
まずい、このままじゃ本当にノーヴァが……!
俺はその時、完全に焦っていた。
足元も碌に見ていなかったし、さっきの戦闘で疲弊して、正直フラフラだった。
木の根に躓いて転んだのは、言うまでもない。
笑えねぇよ、ほんと。
人の命がかかっているってのに、なんでいつも俺はこうなんだよ。
自分がひどく情けなくて、惨めで、憎らしくて、心が折れそうで、目が熱くなる。
泣いている暇なんか、ないのに。
「あら?そこにいるのは……もしかして、アカツキ?」
鈴のような、綺麗な声。
それは数日前ここで……妖精の森で出会った、あの小さな妖精の声。
俺が顔を上げれば、両手いっぱいに様々な色の草を抱え、こちらを目を丸くして見ているクーシェがいた。
ノーレンさんのようにランタンを浮かせているわけではなく、魔法で生み出したらしい淡い球体の光を浮かせて辺りを照らしていて、彼女の顔も姿も良く見えた。
「クー……シェ…………」
「こんばんは、こんな夜更けにどうし……え!?どうしたのその人!?」
クーシェはすぐに近寄ってきて、ノーヴァの怪我を見てくれた。
「肩を怪我してるの?なんでこんな所で座り込んでるのよ!早く治癒魔法を……」
「クーシェ……クーシェ……!頼む、助けてくれ……!!」
俺は、耐えられなかった。
情けなくも涙を流し、クーシェに助けを求めた。
俺の様子が尋常でない事に気付いてくれたクーシェは、俺を責める言葉を止め、俺の目の前に飛んでくる。
そしてそっと、小さなその手を俺の頬に添えた。
「訳ありかしら。近くにいい場所があるわ。そこまでこの人を連れて行ける?」
「……あぁ。」
その言葉に、いくらか冷静さを取り戻す。
俺よりもずっと小さいのに、とても頼もしい。
自分が本当に情けなくて仕方なかった。
それでも、訳も聞かず助けてくれたクーシェの存在に、俺は本当に助けられた。
「それじゃあ行くわよ。」
「あぁ、頼む。」
クーシェが背を向け、ふよふよと移動を始めた。
背負うノーヴァの息はまだある。
――ノーヴァ、もう少しだけ頑張ってくれ。
泣いていても何も始まらない。
心が折れている暇があるなら、足を動かせ。
涙を拭い、頬を叩いて気合を入れ、俺は再び歩き始めた。