番外編:ジョセフ・ブラッドリー4
ティムを失ったばかりの彼女に、俺の気持ちを押し付けるのはやめよう。
そう、思っていた。思っていた……はずだった。
「恋人ごっこなんて、もう終わりよ、ジョセフ・ブラッドリー。
あなたには、あなたの世界がある。
……私はもう、無理なの」
俺の前から逃げるように後ずさろうとするアシュリーを見た瞬間、咄嗟にその手首を掴んでいた。
このまま彼女が俺の前からいなくなる――その想像に、心がざわついた。
「だからって……放っておけるかよ!」
思わず大きな声を上げていた。
その声にビクリと肩を震わせたアシュリーを見て、しまった、と思う。
怒鳴りたかったわけじゃない。ただ、必死だったんだ。
「……そんなこと、できるわけないだろ」
ようやく絞り出した声は、情けないほど掠れていた。
「演技なんかじゃない。俺は……ずっと……ずっとお前のことが……。
ティムの代わりになんてなれないってことくらい、わかってる。
でも、それでも――俺は、お前のそばにいたいと思ってしまったんだ」
心の奥底から湧き上がる思いが、次々と口から零れ落ちる。
迷いも、飾りも、なかった。
ただ、まっすぐに、伝えたかった。
アシュリーを想っているのは、ティムだけじゃないということを。
思った通り、アシュリーは尻込みをした。
そんな反応、分かっていたはずだ。
ティムがいなくなって、まだそれほどの時間が経ったわけじゃない。
「……私はまだ、ティムのいない世界を受け入れきれていないの」
小さく震える声で紡がれた言葉は、彼女の心の奥から出たものだったのだろう。
それを責める気持ちは、俺にはなかった。
あの二人の深い絆を、俺は誰よりも近くで見ていたから。
――ああ、分かってるよ。分かってる。
だからこそ、俺にできるのは。
「それでも、君が迷ってる間くらいは……側にいさせてくれないか?」
祈るような気持ちで、俺はまっすぐにアシュリーを見つめた。
一瞬だけ視線を伏せた彼女が、ゆっくりと頷く。
たったそれだけの仕草に、胸がいっぱいになる。
それだけでいい。
今は、ただ「側にいてもいい」と認めてもらえただけで、十分だった。
彼女の中にティムがいるのは当然だ。
それでも、そこに生まれた隙間に、ほんの少しだけでも俺を置いてくれるなら――
こんなふうに誰かを想うことが、自分の中にあったなんて。
誰一人として、俺にそういう感情を抱かせたことはなかった。
……ああ、ティム。
これ、も、ティムが俺にくれた最後のプレゼントなのかもしれないな。
自分の気持ちを素直に認めたら、ふっと肩の力が抜けた。
仕事では今が踏ん張りどころで、常に肩肘を張っていなければいけないけれど、アシュリーの前では、もう、そんな必要はない気がした。
思い切って気持ちを伝えて、押し切るようにして側にいることを認めさせた今、あとはアシュリーのペースに合わせて、少しずつ俺を意識させていけばいい。
その夜の食事は。
アシュリーは平静を装っているつもりだろうが、どこか挙動不審で、目をそらしたり、フォークを持ち替えたり、やけに忙しない。
その仕草が、逆に俺を意識していることを物語っているようで、思わず笑い出しそうになる。
会話もかみ合わない。
けれどそれさえも、彼女らしくて愛おしい。
――これ以上動揺させたら、きっとアシュリーのことだ、「もう嫌」と言って距離を置かれかねない。
だから一旦は引いておこう。
そう、思っていた。
……が、翌朝。
その可愛らしさが限界を超えた。
本当は何もしないつもりだったのに、体が勝手に動いた。
「行ってくるよ」
その一言とともに、アシュリーの形の良い頭に、そっとキスを落とす。
少しでいい――少しの時間だけでいいから、俺のことだけを考えていてくれ。
そんなわがままを胸に秘めて、俺はドアを開けて仕事に向かった。




