番外編:ジョセフ・ブラッドリー3
年齢を重ねても恋の噂ひとつないアシュリー。
そんな中、ティムの容体は悪化していった。
彼にとって、最後の心残りは彼女のことだけだった。
まるで、自分の残り時間が分かっているかのように、
ティムは「最後に一度だけ、彼女に会いたい」と言った。
彼女が気づかずにすれ違ってくれたら、それが一番いいと。
でも、もし気づいたら……そのときは、分からないと、そう言った。
それでも、彼女の幸せを誰よりも祈っていた。
ティムのその言葉を、俺もマリアも、否定できなかった。
そして実際、あの瞬間。
今でもはっきり覚えている。
目を見開いて、震えるようにティムを見つめるアシュリー。
真っ直ぐに彼へ向かって歩いていく姿を。
……羨ましい、と思った。
そのときは、ティムに認められているからだと、そう思っていた。
でも違った。
本当は――ティムに、あんなふうに想われている彼女が、羨ましかったんだ。
けれど俺は、それを認めなかった。
あくまでも、「彼女が嫌いだから」と自分に言い聞かせていた。
そうすることで、心の奥の嫉妬や焦燥から、目を逸らしていたんだ。
俺自身は、「スマートに遊ぶ」がモットーだった。
後腐れのない関係以外は、お断り。
それは――ティムの正体が世間に知られることになったら、困るから。
それが一番の理由だった。
商会の付き合いで、パーティや社交場では女性をエスコートすることもあったが、
期待させるようなことは一度もしなかった。
欲を発散させるなら、娼館でいい。
高級娼館ともなると、サロンとしての役割もあるから、ビジネスにも使える。
娼館での関係は、あくまで客と娼婦。
だからこそ後腐れがない。
お互いに割り切った関係。
サロンとして利用する相手も、地位を高める目的があるならなおさら。
お互いに利用価値がある間柄――その程度の認識だった。
だから、あの夜のパーティでフローラが見せた態度は、完全に予想外だった。
まさか、あんな挑発的な目で、俺に絡んでくるなんて。
彼女なりの、ちょっとしたお遊び――だったのかもしれない。
けれど、それは明らかに計算違いだ。
あれ以降は、明確な一線を引いてサロンを利用することにしたのだから。
「今思えば、あれは嫉妬だったと思う」
アシュリーがあの時の無邪気な笑顔で、可愛く、そう言った。
……結果オーライ、だったな。
でも、あの時、ティムが倒れたあの瞬間のあの二人を見て。
俺は、何もできなかった。
あの二人の傍観者でしか、なかった。
ティムとアシュリー、あの二人の世界に入ることなんてできなかった。
出来上がっていた完璧な世界。
そう、アシュリーは言った。
文字通り、手も足も出ない、とはあのことを指すのだと思った。
俺だってティムを大事に思っている。
彼女よりも、ずっと。
だけど、きっと、理屈ではないのだろうな。
ずっと近くにいると思っていたティムも、アシュリーも、何だか遠い存在に見えた。
ティムが死んでからの彼女は、まるで人形のようだった。
言われたとおりに行動してはいるが、それ以外は糸が切れたように部屋に閉じこもり、ただ泣いていた。
何もできない自分に、歯がゆさと悔しさが押し寄せる。
アシュリーは、俺を「ブラッドリー商会の後継者」という色眼鏡では見ない。
世間一般では"整った顔立ち"とされる俺の顔を見ても、眉一つ動かさない。
「うん、顔は良いんじゃない?」
――一応、美意識は普通らしいが、それ以上でも以下でもない。
泣いている彼女を笑わせたい。
幸せにしたい。
……触れたい。
そこまで考えて、ゴクリと唾を飲み込んだ。
何を考えているんだ、俺は。
彼女は、ティムの――ティムの大切な人。
俺は、ずっと嫌いだったはずなのに。
目の前のウィスキーを飲み干す。
「……もう、ティムは……いないんだよな……」
初めて流れる涙。
ティムが死んだ日でさえ、泣かなかったのに。
「……いないんだよな……」
肩が震える。
けれど、今、この場には俺ひとりしかいない。
アシュリーがいたら、きっと「しっかりしなさいよ!」と背中を叩くんだろうな。
そんな光景が脳裏をよぎって、少しだけ、笑ってしまう。
――ああ。
腹の底から、嘆息が漏れた。
……認めよう。
俺は、アシュリー・ウィンストンが、好きだ。
この手で幸せにしたいと、心の底から思ってる。
そっと、自分の手を見る。
ティムの代わりに――なんて言い訳はもういらない。
俺が、彼女を守りたいんだ。
空になったグラスをじっと見つめる。
……もう、涙は止まっていた。




