代わりじゃない、ただ一人の人
「アシュリー」
私とジョセフの視線は絡んだまま。
ジョセフは改めて私を優しく抱きしめた。
「…でもね、寄り添ってくれるあなたのその手に、私はどれだけ救われたか、知れないの」
抱きしめられた腕の力が少し強くなる。
「アシュリー」
何度も、何度も私の名を呼ぶ、優しい甘い声。
心臓の音が聞こえてしまいそうで、ドキドキする。
おかしい。
今までも、演技で抱きしめられたことはあった。
だけど、こんな甘い声で、こんな熱のこもった視線じゃなかった。
あのときは、恋しているふりをしていただけだったんだ、今ならわかる。
彼は、恋をしている風に演じていただけだったと、思い知る。
そして唐突に、この人は男の人なのだ、と気づいた。
当たり前のことなのに、今まで意識していなかったせいかもしれない。
わからない。
自分でも、よくわからないのだ。
なのに、抱きしめられただけで、体温が上がる気がした。
ティムの香りじゃない。ティムの体温じゃない。
知らずに涙が零れる。
「ティムじゃ、ない」
「あぁ、俺はティムじゃない。
ただのジョセフだ。
そんな俺じゃ、駄目か?」
涙が止まらない。
ジョセフのスーツに涙のシミができる。
「分からない。
でも、駄目じゃない」
私の返事はずるい。
だけどジョセフは気にしていないように、背中を優しくトントンと叩いてあやしてくれる。
「駄目じゃないなら、それでいいよ」
そう言うと、ジョセフは私の頬に手を添え、上を向かせた。
今まで見たことがなかった、熱のこもる男の人の目をしたジョセフと目が合う。
静かに目を伏せた。
ジョセフの唇が、私の唇に重なった。
優しい、触れるだけのキス。
ゆっくりとジョセフの顔が離れていく。
「俺の、お姫様」
今まで聞いたことがないほど感情が籠った声。
ジョセフは離さないとばかりに、ギュッと痛いくらいに抱きしめてきた。
私もゆっくりとジョセフの背中に手を回す。
あぁ、やはり彼は暖かい。
なぜか、ふと思い出した。
ジョセフが、毎回さりげなく差し出してくれた、あの暖かい手を。
あの時は、特に彼に対して何も思っていなかった。
どちらかというと、子供のようにティムをめぐって張り合っていた。
そんな二人だったはずだ。
二人が重なる点なんて、ティムだけ。
だから――
だけど、きっと理屈なんていらないのだと思う。
だって、私は今、嬉しいと思っているから。
だから、それが答えだと知っている。
少しして、抱擁を解くとお互い照れくさくて、思わず二人で苦笑する。
肩を竦めて見たり、お互い動作が落ち着かない。
だけど、それすら嫌じゃない。
ジョセフがハンカチを私に差し出す。
そうだ、泣いてひどい顔をしているのだ、と気がつくけど、何となく今さら感が拭えない。
「ひどい顔、してるでしょ?」
「俺だって、心底情けないこと言ったし、人のこと言えない」
少し沈んだ表情で、ジョセフは額に手をやり、静かに首を振った。
その仕草が妙に可愛らしく見えて、胸がくすぐったくなる。
「代わりでいいから、だっけ?」
つい、いつもの調子で憎まれ口が出る。
ジョセフはふっと笑って、私の顔をのぞきこむ。
「言うねぇ、お姫様」
軽く私の顎に手を添え、くいと持ち上げると、ふたたび唇が重なった。
あっという間だった。
「なっ……!!!」
思わず照れ隠しの声が漏れる。
そんな私を見て、ジョセフはにやりと笑う。
「俺のそばにいろよ。ずっと」
「ティムの代わりじゃない、ただのジョセフと一緒にいるわ。
ずっとね」
ジョセフが驚いたように目を見開き、嬉しそうに笑った。
彼の瞳を改めて見つめる。
ふと、悪戯心がむくむくと湧いてきた。
私はスーツの襟をちょっと引っ張って、そっと彼にキスを返した。
ジョセフは短く息を詰めて、すぐに照れたように目をそらす。
けれど、その照れ顔と色気溢れる視線を受けて、うん、私は自分の恋愛免疫が底辺なのを自覚してしまった。
負けるのは、ちょっと悔しい。
「ティムを愛している気持ちを含めてアシュリーだよ。
俺のお姫様」
「…うん…」
頬が熱い。
きっと赤くなっているのだろう。
俯くと、そっと背中に手を回された。
優しく抱きしめられ、肩口に顔を埋める。
ジョセフの香りがすっと馴染んでいく。
「…俺のだ。
俺の、お姫様だ…」
その言葉が、心の奥にじわっと染み込んでくる。
だけど。
あぁ、こんな自分の性格が恨めしい。
だって。
お姫様って。
もう嬉しいとかじゃなくて、恥ずかしい。
お姫様って呼び方は、今まで普通に聞けていたのは、あくまでも、なんていうか、社交辞令というか冗談の延長というか、誤魔化すための方便だったというか。
だから、聞き流せたのに。
あぁ、もう……。
冗談のはずだったのに。
こんな声音じゃ、勝てるわけないじゃない。
軽く身動ぎすると、ジョセフが私の顔を覗き込んだ。
「…なによ、その顔」
「いや、ほら…ちょっと…まだ信じられないというか…
本当に俺でいいのかなって…」
ジョセフが頭をかきながら、目を細める。
私もつられて笑ってしまう。
「仕方ないわね、今回は勝ちを譲ってあげましょう」
「…勝ち?」
「そ。
負けてあげる。
その、だからね…あんまりその顔で見ないで。
…こっちまで恥ずかしくなるんだから」
認めるのも癪だけど、嬉しい敗北というのもあるかもしれない。
どんどん甘い雰囲気を出してくるジョセフに、嬉しくて、でも恥ずかしくて。
私もジョセフも二人して顔を見合わせて笑いだした。




