マリアの来訪
気が付いたら、霧の中にいる。
周囲を見回しても、霧。
あぁ、夢だ、最近見てなかったのに。
でも、彼女の泣き声が聞こえない。
それに少しホッとする。
霧の中に浮かぶひとつの影。
アッシュブロンドの髪を揺らす女性が、こちらを見ている、はずなのに、顔がよく分からない。
「ごめんなさい…」
彼女は開口一番、そう言った。
あぁ、やっぱり謝るのね、謝らなくても良いのに。
「…ごめんなさい、謝ってすむことではないのだけど…人を好きになる気持ちなんて、誰も止める事なんて出来ないはずなのに…」
あぁ、この女の人は、かつての私だ、何故だかそう思った。
「私と彼が、永遠の愛なんて願ったから。
でも、幸せだったの、彼と出会ってまた…恋をするのが」
その声は悲しそうで、それでもどこか嬉しそうで。
「本当にごめんなさい。
貴女は、私じゃないのに。
私の想いを押し付けて、ごめんなさい」
静かに続けられるその声には、もう未練のようなものはなかった。
「この気持ちは私だけのものだ、と気が付くのに
こんなに時間をかけてしまって、ごめんなさい。
だから、返してもらうね。
…貴女は貴女の想いで自由に生きて。
幸せになって」
その最後の声は、まるで祈りのように澄んでいた。
「……う……ん」
重たいまぶたを持ち上げると、朝の光がカーテン越しに差し込んでいた。
頭はずっしりと重たい。
「うう、ちょっと気持ち悪い、かも……」
二日酔いだ。
起き上がるのもひと苦労する。
夢を見ていた気がする。
でも、内容は思い出せない。
ただ、なぜか、すごくすっきりとした気持ちで。
コンコンと、遠慮がちなノックの音。
「アシュリー様、おはようございます。起きていらっしゃいますか?
……マリア様がいらっしゃっています」
「……え? マリア、さん……?」
ズキズキするこめかみを押さえながら体を起こすと、もうドアが開いていた。
「おはよう、アシュリーちゃん。
って、なんて顔してるの。
監視役が出張で不在になったと思ったら、さっそくこれ?
二日酔い?
……この不良娘が」
マリアさんは開口一番、呆れたように言いながらも、口元にはうっすら笑みを浮かべていた。
「うっ……頭痛い…
それに…言い返せないのが、つらい……」
私はベッドの端に崩れ落ちるように腰を下ろし、頭を抱える。
マリアさんは肩をすくめて、まったく、と嘆息した。
「ティムが生きてた頃は、もうちょっと品があったのにねぇ。
ちゃんとした淑女って感じだったわよ?」
「それ、今言います!?」
「はいはい、まずは顔を洗って着替えてきなさいな。
マリア様特製の美味しいコーヒーを淹れてあげるわ」
そう言って、マリアさんはニコリと笑って部屋を出ていく。
「うわぁ……最悪なところ見られた……」
私はノロノロと立ち上がって、ワードローブへ向かう。
でも、マリアさんの来訪がすごく嬉しかった。
マリアさんが淹れてくれたコーヒーは、いつも以上に濃く感じた。
「うげ……美味しいけど、苦い……」
「そりゃそうでしょうよ。
その二日酔いじゃね。
はい、ちゃんとトーストも食べなさい。
コーヒーだけじゃ胃が荒れるわよ」
テーブルの上には、スクランブルエッグ、ベイクドビーンズ、カリッと焼かれたトーストにたっぷりのバター。
さすがにベーコンやソーセージといった肉系は、今日は遠慮した。
それでも、さすがに量が多い。
あぁ、毎朝がっつり食べていた自分がこんな時に恨めしい。
「はぁい……」
返事しながら、思わず苦笑する。
まるで本当のお母さんみたいだな、と。
「それで、どう?」
食後、大分二日酔いが落ち着いてきたころ、マリアさんが真剣な顔した。
「それで、どうかしら?落ち着いた?」
「はい、本当にお世話になりました。
私自身も、少し落ち着いてきた気がします」
そこまで答えた時、いつもならティムの事を思い出しては胸が締め付けれれるほどの苦しい気持ちが、少しだけ和らいでいる気がした。
「あ、あれ…?」
ポロポロと込み上げる涙は、悲しいから、とかでもなく、自分の意思ではない、誰か別の想いのような、不思議な感情でただ流れ出る。
「大丈夫…?」
マリアさんが側に来て、心配そうに私を見上げる。
「おかしいな、なんでだろ…」
「そんな時間も必要よね」
マリアさんは優しく私を抱きしめてくれた。
その優しさに甘えて、私はしばし泣き続けた。




