ルーシィとの夜
ジョセフの声がまだ、耳の奥で反響している。
何度も思い出しては、胸の奥がじんわり熱くなる。
恥ずかしいような、嬉しいような、こそばゆいような、不思議な気持ち、でも決して嫌じゃない。
そう思っているのに、寝るときに私は迷わずティムの部屋に行き、彼のベッドに蹲る。
その矛盾を、自分で持て余してしまう。
ただ、仕事で疲れている体は正直で、目を閉じるとすぐに眠りの世界に誘われてしまった。
いつもの朝、だけど、いつもいるジョセフがいない。
昨日、出かけたのも見ているのに、ぽかりと空いた席が寂しい。
ふとティムの定番の席を見る。
当たり前のように空席のそこは、本来だったらティムがいて。
たまにマリアさんがいて、和気あいあいと騒がしく朝食を取っていて。
だけど、今はただ自分のコーヒーの香りだけが漂う。
慌ただしく出ていく人がいない静かなダイニング。
本当に、一人なんだ、とつぶやく。
誰もその言葉を拾う人もいない静寂の朝に、ジョセフの存在がどれほど有難かったのかを再度確認してしまう。
そこまで思って、ふと疑問が浮かぶ。
ジョセフは、いつ、泣いたんだろう?
あんなにもティムを慕っていたのに、私の前で彼が涙を見せたことは一度もなかった。
誰よりも傷ついているはずなのに、彼は静かに、凪のような顔で受け止めていた。
あの夜、私が泣きじゃくったときでさえ、彼はただ、そっと抱きしめてくれただけだった。
泣かないのは、強いから?
それとも、泣けないほど張り詰めているから?
思わず胸が締めつけられる。
自分だけじゃない。
みんな悲しんでいる。
そう思っていたはずなのに、今さらながら気づく。
私はジョセフのことを、何ひとつ見ていなかったのかもしれない。
「……ジョセフ、いつ泣いたの?」
口にした声は、誰にも届かない。
ただ、自分の中に芽生えたその問い。
もし、彼が泣いていたら。
…側にいて、自分が慰めてあげたい。
だってきっと、それを理解出来るのは私だけだと思うから。
そんな風に思うなんて言ったら、ジョセフの事だから「俺は大丈夫だよ」と強がりを言うだろけど。
つい、ジョセフのことばかり考えていた自分に気づいて、慌てて頭を振る。
違う、違う。
ただ、今は誰もいないのが寂しいだけ。
そう自分に言い聞かせて、また、いつものように会社に行き、取り留めのない会話をして、仕事をする。
仕事があって、良かった。
仕事がないまま家にいたら、どんどんと考え込んでしまって袋小路に迷い込んでしまいそうだから。
社会人として経験してきた実績が有難い。
そんなこんなで、あっという間に週末になる。
店内はほどよく賑やかで、笑い声やグラスの音が心地よく耳に届く。
以前と同じ、変わらない光景。
「それでは、カンパーイ」
お互いにジョッキを軽くあてる。
いつものルーシィの陽気な声に元気づけられる。
最初は二人、無言でエールを飲む。
「はー、美味しい。このために私は仕事をしているようなもんだわ」
しみじみと頷いてしまう。
「本当に美味しいよね」
つまみのチップスにはビネガーがたっぷりかけてあるから、かりっと揚がっているのに、すぐシナっとなってしまうので早く食べないといけない。
エールを飲んでチップスと、手が止まらない。
たん、と小気味よい音を立てて空になったジョッキを置く。
「お代わり―」
「私も―」
バーカウンターに空になったジョッキを持ちながら行っては二人で笑う。
頭の仲、何も考えずに、ただ楽しむ。
本当に楽しい。
以前と同じように美味しく飲めて笑える自分が、まだここにいることに、ほっとする。
「そーそー、そんな事より、びっくりしたわよ、ロドニーから聞いた時!
何処で知り合ったのよ?あんな大物」
一応気を使ってるのか、耳元でこそこそと話すルーシィに笑ってしまう。
「ええええっと…」
そういえば出会いってなんだっけ?思わず首を傾げてしまった。
あぁ、そうだ設定があった。
でも。
「うん、私のすごく大切な人との縁、かな?」
ティムの顔を思い浮かべる。私の一番大切な人。
そう、ティムがいないと、出会えなかった。
マリアさんにも。
そして。
ふと浮かぶのは、ちょっと皮肉そうに笑うジョセフの顔。
「うわお、なんか、ご馳走様」
「ええ?なんで?何も言ってないじゃない?」
そういうとルーシィが噴き出した。
「あんたの、その満ち足りた顔が全てを物語っているのよ。
良かった、アシュリーが幸せならいいの」
そう言ってニッと笑う。
それから耳元に顔を寄せて悪戯っぽく言う。
「だって、彼凄いお金持ちだし、顔もいいじゃない?
もしかして、あっちも?」
「ちょっと!」
一気に赤面した私に、ルーシィがケラケラ笑う。
私もつられて笑ってしまう。
美味しいお酒、楽しい会話、こんな時間が、今は本当に有難い。
気が付けば、いつもよりずっと飲んでいた。
帰り道、夜風が火照った頬に気持ちよくて、歩きながらふと空を見上げる。
ティム、私……今、笑えてるよ。
貴方に会えて、本当に良かった。
…ね?私、大丈夫でしょ?
前向いて歩いてるでしょ?
ね?




