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さようなら、また会う日まで  作者: たま


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日常に戻る準備

香り高いコーヒーが室内をふんわりと満たす。

ヨーグルトにベリーとナッツをのせた朝食は、今日も変わらず美味しい。

そう、どんなに悲しくても、美味しいものを美味しいと感じる心は、まだ失っていなかった。

慌ただしい朝なのに、毎日ちゃんと顔を見せてくれるジョセフに向かって、私は声高らかに宣言する。


「明日から、仕事に戻るから」


ジョセフはコーヒーを口から離し、驚いたように私を見つめた。


「その……大丈夫、なのか?」


遠慮がちな問いかけ。

ジョセフは、こういう時の心の機微にとても聡い。

だからこそ、私は明るい声で返す。


「うん。2週間、たっぷり悲劇のヒロインをやらせてもらったし、そろそろ普通の人間に戻ろうかと思って」


「普通の人間って……いや、そこまで言えるようになったら、案外ほんとに大丈夫なのかもな」


ジョセフは、ちょっと口元を緩めて言った。


「お姫様は飛び立つ時期にきたのか」


冗談めかしているけれど、その瞳にはどこか不安気な光が浮かんでいた。

私はふっと微笑んで、少しだけ顔を傾ける。


「疲れたら、ちゃんと羽を休めるわよ、その時はよろしくね」


ジョセフは一瞬きょとんとして、それから真面目な顔になってうなずいた。


「いつでも休みにこい。

お姫様じゃなくても、アシュリーはアシュリーだから」


その言葉が、じんわりと胸に染みる。

私はうつむきかけて、でもすぐに顔を上げた。


「じゃあ、そろそろ明日の準備をしようかしら、ね。随分休んじゃったもん。

あーホリディは当分取れないなぁ。社会人は辛いよ」


「現実の世界へようこそ。きびきび働け」


相変わらずのジョセフの軽口に、心が軽くなる。


「うるさいな、上司でもないくせに」


軽口の応酬。

彼のその優しさに何度私は助けられているのだろうか。


「…無理するなよ」


その声が思いのほか優しくて、心の奥に静かに灯が灯る。

このぬるま湯のような関係が心地よい、と思ってしまう。

ジョセフは、コーヒーを飲み終わると、そのまま慌ただしく出かけて行った。


「また、明日な」


そう言って笑って。

だから、私は期待をしてしまう。


…期待?

何に?

寂しいから、誰かがいてくれると嬉しい。

それだけ。

そう、それだけだ。


お昼にマリアさんが毎日来てくれるのだって期待してるのも、同じこと。


「えー?アシュリーちゃん、明日から仕事に復帰するの?

寂しいわぁ。

明日から、誰とお昼を一緒に食べようかしら」


マリアさんは頬杖をつきながらクルクルとフォークを回す。

ゆっくりと口にパスタを運ぶマリアさんは、とても綺麗だ。


「そっちの心配ですか?もー、マリアさんったら。

あぁ、それより、私、マリアさんが医者だったなんて知らなくて。

あの時、私は動揺するだけで、何もできなくて本当情けなかったです。

マリアさんは、凄かったです。あの場であんな落ち着いて対処出来るなんて。

流石でした」


マリアさんは一瞬きょとんとした顔をしてから納得顔をした。


「あぁ、あぁ、いいの、いいの。気にしないで。

普通はそうよぅ。あんな場面に立ち会っちゃぁねぇ。

動揺していない人がいたら、それこそおかしいでしょ?

ティムの事を襲おうとしたあの男の子でさえ動揺していたじゃない、あれは傑作だったわねぇ」


最後の一口を食べ終えたマリアさんはナプキンで口を拭う。


「…怖かったでしょう?でも、あの男の子はもう捕まったし、もう不安がらなくても大丈夫よ」


「あ!そういえば…すっかり忘れていた…」


今さら恐怖が湧き上がってきた。

あの人物は、確かに悪意を持ってティムを狙っていたから。

もし、ティムが倒れていなかったら、凶刃に倒れていたはずで。


「…結局、ティムが倒れたことで、彼はそこまでの罪には問えないらしいけど、ジョセフが仕事を世話するって言ってたわよ、僻地だけどね、まぁ優しいのだか何だか知らないけど、少なくとも、アシュリーちゃんの側には絶対来られない場所だから、ジョセフもねぇ」


マリアさんがカラカラと笑う。この話はこれで終わりとばかりに。


彼女が帰ると、また一人になる。静寂が訪れた。


ティムのぬくもりも声も、もうない。

けれど、思い出だけは、静かに傍にいてくれる。

就寝前、私はいつものようにティムのベッドに横たわる。


「明日は晴れるといいな」


目を閉じる。良かった、今夜は泣かないで眠れそうだ。

うとうとしながら、私はそんなことを思った。


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