サイド:イーサン
「ねぇ、なに?何があったの…?」
カタカタと小さく震えるフローラを横目に、イーサンは冷ややかに視線を遠くの混乱に向けていた。
いやはや。
まさか、本当にやるやつがいたとは。
浅はかだな。
でも、まあ……世界は広い。
だから面白い、というものだ。
時折聞こえるあの若者の声
「俺じゃない、俺が刺す前に倒れたんだ、本当だ!!
こいつは、俺が何をするまでもなく、倒れたんだ、いろんな奴に恨まれてるんだ、自業自得だ、だから俺じゃない俺のせいじゃないんだ」
恨みの言葉。自己弁護。
ティモシー・ブラッドリーを恨む者などいくらでもいるだろう。
だが実際に行動を起こす者は少ない。
それは“山を動かす代償”が高すぎるからだ。
だから、人生に負けた連中がうだうだしてそうな場末のうらびれた酒屋に情報を流させた。
パーティの招待状も少々苦労はしたが、模倣したのを落とした。
「ちょっとした嫌がらせがあったら面白いかも」くらいの気持ちで。
犯人と思しき若者が羽交い絞めにされて連れていかれる。
薄汚れた燕尾服は借り物か、それとも過去の栄光か。
不格好な動きも相まって、余計貧相に感じる。
美しくないものだな。
眉間に皺が寄る。
鼻につくのは、横のフローラの香水。
魅力的なはずの女が、ただの手間にしか見えなかった。
艶やかな姿態、教養溢れる豊富な会話。
男心をそそる豊満な肉体の持ち主。
震える肩を抱きしめる気さえ起きない。
彼女にはもっと面白いことを期待していたのに、あの程度だとはね。
全く持って期待外れだ。
あのアシュリーという娘のほうが、遥かに場を制していた。
まぁ、それ以上に面白いものが見られたのだから、来た甲斐があったというものだな。
あの小娘が必死になってティモシー・ブラッドリーに呼び掛けている。
麗しきは義理娘と義理父の仲、ってわけか。
思わず鼻で笑ってしまう。
あぁ、まだ結婚してはいなかったか。
ティモシー・ブラッドリーと頻繁に会食をしていたと聞いてはいたが…本当に親しくしていたみたいだな。
あの男が後見に就くと見て、皆があの娘にちょっかいを出すのを控えていたというのに。
なんとも皮肉な話だ。
さてジョセフ・ブラッドリーのお手並み拝見、といこうか。
まぁ、自分も新聞屋勤めの小娘と見くびっていたうちの一人に過ぎなかったが。
小さく、肩を揺らす。
自嘲とも、愉悦ともつかない笑みを浮かべながら。
「ティモシー・ブラッドリー卿が倒れたみたいだ。
あの若者は何もしてないよ、何かする前に倒れた感じだな」
混乱の中、ティモシー・ブラッドリーが運ばれていく。
それを見ても何の感慨も湧かない。
イーサン自身が、ブラッドリー商会につぶされた商会の息子だ。
それなりに恨んでいる、と思っていたけど、そうでもなかったのだな。
肩透かしを食らった気分だった。
「やだ、怖いわ…」
潤んだ瞳に、かすかに震える唇。
先ほどまでの妖艶な仮面が剥がれ落ち、そこにいるのはただ怯えた一人の若い女だった。
イーサンはその変化に、ほんのわずか眉を動かす。
こういうものを期待していたわけじゃないんだがね。
そう思いながらも、顔には一切の感情を浮かべない。
「大丈夫だよ。帰ろうか」
声は優しく、紳士そのものの調子で。
フローラはほっとしたように微笑みを浮かべ、イーサンの腕にすがる。
イーサンはその手を取ると、あくまで紳士的な態度で彼女をエスコートしながら、ざわめく会場を静かに後にした。




