サイド:フローラ
「ねぇフローラ、あんた聞いた?
ジョセフ卿の新しい恋人の話」
店が開ける前、ある程度の準備が出来て一息ついた時。
噂好きの中堅年増のシャロンが、私の部屋に来るなりそう言い放つ。
「また、いつもの悪い癖でしょ?
彼はね、本命は作らないの」
だって、本命は私だから、そんなセリフは胸の奥だけに留めておく。
「あら、余裕ねぇ?」
シャロンの瞳が、いかにも意地悪そうにキラリと光る。
「そんなことないわ、彼は大切な馴染のお客様だし。
毎回ではないけど、定期的にパートナーとして外にだって出てるし。
大体、彼、いつもパートナーを変えてるでしょ?
それが答えよ」
そう、連続でパートナーにはなってなくても、何度もパートナーを務めたことがあるのは私だけ。
スマートに遊ぶ、容姿も良い金払いの良い客。
勿論サロンだけの利用だってある。
ジョセフが客を接待に連れてきても、フローラは相手をしない。
そうジョセフが指示してるのも知っている。
彼がその夜一緒に過ごさなくても、だ。
「その、パートナーが最近ずっと同じらしいじゃない?」
笑みが、崩れた。
「嘘だわ」
反射的に答えた。
「嘘なもんかい、私の馴染がブラッドリー商会の中堅さんでね。
最近よく可愛らしいお嬢さんと一緒にいるらしいよ。一緒に住んでるって話だ」
ここ最近、サロン利用だけだった。
このまま過ごせないの?そう聞いたら、ちょっと立て込んでてね、そう彼は言った。
「聞いてないわ」
「馬鹿だね、あんたに言うわけないじゃないか。
言う義理もないだろ?所詮客との関係じゃないか」
シャロンの声に馬鹿にするような響きが混じる。
屈辱だ。そんな「客との関係」なんて安っぽい言葉で私達の関係を表してほしくない。
思わずシャロンを睨む。
「信じないわ」
「信じなくて結構。
だけどあんただって気が付いてるんじゃないの?
最近、接待場所としてしか利用してないじゃないか」
思わず唇を噛み締めるが、言われっぱなしは性に合わない。
「あそこ、もうすぐ代替わりしそうじゃない。会頭が表にでてきてないでしょ、最近。
彼が会頭の代わりに動いているからよ」
「あーぁ、本当に可愛くない女。
素直に悔しがればいいのに。
つまんないわね。
まぁいいわ、あたしはただ、ざまぁみろって言いに来ただけだよ」
そう蓮っ葉に言い捨てて、シャロンは部屋を出て行った。
そう言われなくても、フローラだって分かっている。
商談の為にサロンを利用してるだけ、だと。
そして何よりもパートナーのお誘いがない。
いやいや、彼は、男だ。
もしかしたら気色の違った女をつまみ食いしているだけで。
あぁ、でも、けれど。
こんな事、今までなかった。
もう何年も続く、この関係に自分自身も気が付かずに驕っていたのかもしれない。
やだ、手紙でも書くべき…?
思わず腰を浮かしかけて、止めた。
私は、この店のナンバーワンだ。
とりあえず様子を見よう。
今はまだ、情報が少なすぎる。ことの真意を確かめなくては。
下に見ていたシャロンに馬鹿にされたのも、面白くない。
フローラは思わず爪を噛みそうになり、すんでのところで我慢した。
ゆっくりと椅子に腰を下ろし、艶やかな指先で鏡台の縁を撫でる。
その目は魅惑的に輝いていた。
深紅の口紅をそっと指で撫で上げ、微かに舌先で湿らせる。
鏡の中の自分にゆっくりと微笑みかけるその笑みは、甘くもあり、鋭くもあり、毒を孕んでいる。
「私に堕ちない男なんて、いないわ」
吐き捨てるように独り言ちる。
なのに。
胸の奥に棘のように残るこの違和感。
鏡に映る完璧な微笑みに、自らの不安が滲むことのないよう、もう一度、紅を引き直した。
その夜、まさかこのタイミングでイーサン卿からリバーサイドのパーティの打診が来ることになるとは、予想もしていなかった。




