ドレスアップ
「…わぁ、すごい、似合ってるわよ、アシュリーちゃん」
マリアさんが、少し興奮した面持ちで私を持ち上げる。
パーティ当日。
私は朝から様々な人の手によって、全身を磨かれた。
髪結いさんに来てもらって、メイクからヘアセット全てお任せをしたのもあって、鏡に映る自分は、自分史上一番綺麗だ。
やだ、私、もしかして綺麗なんでは?と自惚れてしまうほど。
いや、自画自賛したくもなる。
これだけ丁寧にメイクされれば、別人のように見えて当然だし。
そう、だから普段のメイクが手抜きな訳ではない、のだが、これだけ変わるならやるべきなのか…?
でも、でもね、出勤前の慌ただしい朝にこんなに手間をかけるなんて無理だ、と自分を慰めながらも、ちょっと落ち込んでしまう。
最終チェックとしてマリアさんの前でくるりと回る。
若草色の光沢のあるドレスは光を受けるたび柔らかく揺れ、胸元から流れるドレープは優雅な波のように腰へと沿う。背中は大胆に開き、繊細なレースが肌を覆うように配されていた。
アイランディ織の繊細さが見事に生かされたデザインだ。こじんまりとしたパーティ、という名目だからかアクセサリーはすべて抑えめながらも、品と格を損なわない。
本当に彼らの財力がなければ、私がジョセフの隣に立つ華になるのは不可能なのでは、と思うほどだ。
ニコニコと笑うマリアさんが嬉しそうに頷く。
「アシュリーちゃんとチビジョーは先に入っていてね。
私達は後から入るから」
「え?一緒に行動するわけではないのですか?」
一緒に行動するつもりだったから、ちょっと驚いて確認すると、マリアさんは首を振る。
「あぁ、一応最初からは顔を出すのよ?
ただ、ジョセフがね、場が落ち着いてから顔を出した方が良いのではって。
注目の的になるからね、アシュリーちゃんとジョセフは。
まぁ、ティムが久々に公の場に登場するから負担を減らしたいっていう気遣いなんだろうけどね。
意外に細やかな気の使い方をするのよね、チビジョーって」
マリアさんが複雑そうな顔をして言う。
「その分アシュリーちゃんには負担をかけちゃうけど…
大丈夫?」
何も言わずに頷く。
そうだ、私だってティムを守りたい。だから、ジョセフの隣に立つことを選んだ。
注目の的になろうが、大丈夫。
知らず手に力が入る。
マリアさんが、その手を優しく包んだ。
その手が、頑張れ、と応援してくれるようで、心が少し落ち着いた。
控えめにドアがノックされ、ジョセフが顔を出した。
私を見て、一瞬目を見開く。
うん、そうだろう、そうだろう、皆の渾身の出来だ、気持ちはわかる。
「お姫様、用意は万端?」
「こら、チビジョー。まずは着飾ったレディに対して何か言うセリフがあるでしょ?
それとも何?綺麗で見惚れちゃった?」
そういうジョセフもきちんとした格好だ。
ジョセフは黒のフロックコートに身を包んでいた。細身のシルエットが彼の長身をより際立たせている。
ベストは繊細なグレーストライプ、シャツは真っ白ではなく、わずかに青みを帯びたシルク地で、肌の色を柔らかく映えさせる。
タイは光沢のあるシルバーグレー。動くたびに、まるで水面が揺れるように光を受ける。
一見シンプルに見えるのに、全てが計算された装い。
ポケットチーフが、私のドレスと同じ光沢のある若草色。
いやいや、私だってジョセフの隣に立っても負けないくらい着飾っているのだ。自信を持たないと。
「…うん、綺麗だ…」
ジョセフがふと口にした言葉に、思わず言葉が詰まった。
「ちょっと、調子が狂うじゃない、それよりもジョセフ、ティムはまだ?」
「まだ控室だよ。入場は一番最後にって本人の希望さ」
「そう…分かった」
本当はパーティ会場に足を踏み入れる前にティムに言葉を貰いたかった。
いや、こんな弱気じゃダメだ。
ティムを守るために、私はここに立つ。
「お姫様、行けるか?」
ジョセフがエスコートの為に手を差し出す。
差し出された手に、自分の手を乗せて。
緊張で呼吸が浅くなっていることに気づいた。
カタン、と音がして視線をあげると、ジョセフの背中の肩越しにティムがいた。
「どうかしたか?」
低く、落ち着いた声。
その響きに、張り詰めていた心がほどける。
そして。
ティムの姿を目にした瞬間、息を呑むしかなかった。
深いダスクブルーのスリーピーススーツ。光の加減で黒にも青にも見えるその色は、彼の静かな眼差しと完璧に調和していた。
シャツはアイボリーのシルク地、襟元には時代がかった金のタイピンが留められている。ボタンやカフスは細工の施された黒曜石。
そして胸元には、控えめな白いポケットチーフが一輪の花のように差し込まれていた。彼が歩くだけで、空気が変わる。全ての音が遠のく。
私は、見惚れていた。
何か、何か言わないと。
「…王子様…みたい…」
焦る気持ちと裏腹にようやく出た言葉は、まるで小さな子供のようなセリフ。
けれど、それは紛れもなく、私の心からの言葉だった。
どれくらい見惚れていたのだろうか。
「そんなに見つめられると、なんだか年甲斐もなく照れてしまうよ」
ティムの言葉が私を急速に現実に戻す。
「アシュリー、とても綺麗だ…本当に…」
ティムの手がそっと私の頬に触れる。
ひやりとした感触に一瞬驚いたけれど、次の瞬間にはその視線のあたたかさに包まれていた。
「今日は君が主役だ。
ゲストの女性陣は大変だ、男なら誰でも君に見惚れててしまう」
その言葉と同時に、ティムの瞳に光るものがあった。
「いかんな、年寄りは涙腺が弱くて」
照れくさそうに笑ってから、ジョセフの肩を軽く叩く。
「アシュリーを頼んだぞ、ジョセフ」
ジョセフは真っ直ぐにティムの目を見返し、力強く頷いた。
そして小さく肩をすくめて笑いながら、ジョセフは改めて私に手を差し出す。
もう私の手は緊張で震えていない。
「さて、と。
では今度こそ行きますか、お姫様?」
「ええ、勿論」
私は微笑む。
廊下の向こう、扉の先には、照明と音楽、そしてたくさんの視線が待っている。
全てが全て好意的ではないだろう。
でも、もう怖くなかった。
ティムが見てくれている。そのたった一つで、私は堂々と胸を張れる。




