堂々巡り
気が付いたら、あっという間に降車場所に近づいていた。
紐を引っ張ると、ベルがチリチリとなり運転手に降車することを知らせる。
その音を聞きながら、一つ、大きく息を吐く。
ふと思い出したことがあった。
いつだったか、ジョセフが私に言ったセリフ。
多分この家に住んでからしばらく経った頃だったような気がする。
「ブラッドリー商会で働かないか?」
そう、聞かれた。
それは、多分今のような普通の会社員として働くのとは違う類の、仕事になるのが容易に想像できた。
だから、断った。
ティムが好きだけど、そこまで全部を任せるのは違う気がして。
それだけじゃなくて、自分の仕事も好きだったから。
ジョセフは、「無理にとは言わない」と私が断っても嫌な顔一つしなかった。
私の返事を聞いたジョセフは、そうだろうな、というような顔をしていたし、「むしろ断わられるだろうなと思っていたから」と言われた。
「それを含めてのアシュリー・ウィンストンなんだろ」
そのセリフを聞いた時、すごく嬉しかった。
確かに私の仕事は裏方で。
誰でも出来ると言われたら、誰でも出来るようになる仕事で。
私じゃなくてはだめ、なんてことはなく。
だけど、私はカレッジを卒業してからずっと頑張ってきた。
親元を離れて、一人で街に出て、フラットに住んで。
その頑張り全てを認められたような気がした。
ティムの側にいてもいいと、お墨付きをもらったような気分になって。
とても嬉しかったのだ。
ティムは、私に関しては甘い。
だからジョセフの辛辣な意見は、有頂天になって調子に乗ってしまう私の良い楔になっていた。
ジョセフはジョセフで、私がティムの側にいてもティムの悪評にならないようにと行動してくれている。
きっと何かしら、私の知らない場所で色々とフォローしてくれているのだろう。
今までも、そしてこれからも。
きっと安心して任せられる。それ位、私もジョセフを信頼しているのだ。
だから。
ロドニーの意見を聞いて考え込んでしまう。
だって、今思えばあの提案はこれを見越していたからなのではないかと思うから。
融通を利かせるには、確かにブラッドリー商会で働いていた方がいいのは当たり前だ。
もしかしたら、彼らも私が思い通りに動いてくれなくて困っていたのかもしれない。
どうすれば、正解だったのだろう。
どうすれば、良かったのだろう。
これ以上、ジョセフに負担を強いるのは申し訳ないような気がして。
だからと言って、ジョセフにも認められたあの嬉しい思いを捨てるのは、違う気がして。
宙ぶらりんの思いを持て余す。
トラムから降りて、ゆっくりと歩いているアパルトマンの入り口近くに着いた時。
速度を落としてきた車が少し先に止まった。
ハイヤーから降りたその人は、今一番会いたくなかったジョセフだった。
「お姫様、お帰り」
私の気持ちを知らないジョセフは、特に気にした様子もなく普段通りの口調で話しかける。
「ただいま、ジョセフ。
珍しく早いのね、今日は」
私もいつも通りの声をかける。私を見たジョセフが、少し困ったような不思議そうな顔をして私の前にたった。
「…?」
アパルトマンのドアマンは、ドアを開いていいかどうか迷ってる。
それはそうだ、入ろうとした足を止めているのだから。
「ねぇ、入らないの?」
「どうした?」
ジョセフが、私の顔を覗き込む。
「え?」
「ひどい顔、している」
「ちょ、ひどい顔って女の人に向かって失礼しちゃうわ」
ジョセフの横からドアに向かおうとしたら、左腕を捕らわれた。
「…ちょっと付き合えよ」
「なんで?
話なら、家で聞くわよ。
帰らないと、ティムが心配するでしょ」
「その顔で会ったらティムが余計心配する。
気が付いていないのか?」
そう言われて、思わず頬を抑える。
そんなひどい顔していたのか。
確かに色々考え込んでいたけれど。
いや、夢見が悪くて寝た気があまりしないから?
ジョセフは私とハイヤーを見て少しの間だけ逡巡したみたいだが、私の腕をとったままドアに向かう。
なんだ、やっぱり家に帰るのか。
大人しく腕を取られたまま、私はジョセフについていった。




