編集長の優しさ
ここ最近、夢見が悪い。
あの、変な夢を見てからずっと。
目が覚めてしまえば、再度夢を見ることはないがそれでも良い気分ではない。
夢の中の彼女の泣き声が、耳に残る。
だから、スッキリとした目覚め、とは程遠い朝を迎えている。
それでも朝が来れば、仕事に行くわけで。
頑張れ、私。
今日も働いて稼ぐぞ!
自分自身に叱咤激励をして職場へ行く。
ただ最近は家にいるとパーティの事を考えすぎてしまうこともあり、職場へ行くのも現実逃避の一つなっているような感じだけど。
それでも、何も考えず集中できるという事は有難い。
あと少しで退勤時間だ、という時間。
難解な文字をどうにか読解して、リズミカルにタイピングをしていた時だった。
「アシュリー、ちょっと」
編集長から声がかかる。
タイピングをしていた手を止めて、編集長のロドニーを見ると手招きされている。
「はい、何か?」
ここ最近、ロドニーからの何かもの言いたげな目線が気になっていたので、ちょうどよいと思った。
何が言いたいのか、私も聞きたいと思っていた。
今までそんなことがなかったから、余計に。
二人で個室に座ると、ロドニーは落ち着かなさそうにして椅子を勧めてくれた。
「アシュリー、一つ個人的な質問をしても良いだろうか?」
慎重に、私の顔色を窺うようにロドニーが聞いてきた。
色々とお世話になった恩もある人だ。
街に出てきた田舎娘にフラットを紹介してくれたりと、色々と細やかな気遣いが出来る人だ。
信用も置ける。
あのミミズがのたくったような取材文字を書かなければ、とても良いボスだ。
だから素直に答える。
「私が、答えられる範囲であれば」
「その、今度のパーティにアシュリーが次期会頭と出席すると聞いたのだが…」
付き合っているのか、と聞かれると思ったが違った。
パーティ出席の有無だった。多分これは、リバーサイドの。
「…その話、出回っているのですか?」
「いや、俺が小耳に挟んだ。
まだ、アシュリーの詳細を知っている人はそんなにいない、はずだ。
知っていても、ブラッドリー商会の手前、皆遠慮している。
だが、今度のパーティに出席をするのなら、覚悟をしていた方が良い、と思ってな…」
思わず目を丸くしてロドニーを見る。
彼は慌てたように頭をガシガシとかいた。
「いや、余計な事を言っているのは分かっているんだ、これは俺の老婆心だという事も。
だけど、公のパーティに出席するとなるとだな…」
ロドニーの歯切れが悪くなる。
今までのようなプライベートのパーティに出席程度の付き合いなら、切れても今回は長かったな、珍しい。それで終わった話になるはずだった。
だが、今回のパーティはブラッドリー商会主催。
ロドニーが老婆心で心配になるのも当然の事だった。
「ゴシップになるかもしれないから、覚悟しろと?」
分かりやすく眉を八の字にして情けない顔をしたロドニーの顔を、私は初めて見たかもしれない。
「そうだ。
そして、アシュリー、お前は俺の大事な部下だ。
俺の嫁さんだってお前の事を心配している。
俺は別に部下の恋愛は無干渉だ。
だが、相手が悪すぎる。いや、悪すぎない、これ以上ない良い相手だと思う、だが」
ロドニーの矛盾に思わず吹き出す。
「良い相手なのか悪い相手なのか、どっちなんですか」
「金もある、地位もある、男っぷりも良い。
これだけ聞いたら、これ以上ない良い相手だろうよ。
男の俺でも見惚れるくらいにな」
ロドニーは自嘲気味に笑う。
「仕事の手腕も凄い。
あっという間に商談をまとめ上げるリーダーシップと言い、一度取材で話したことがある。
俺もそれなりに、トップとの取材で色々な人間と話した経験がある。
勿論、筆頭は王族だったけど、それとは違う迫力があった。
あぁ、そうだな、さすがにティモシー・ブラッドリーの隠し玉だと思ったよ。
あの若さで、俺を飲み込もうとする迫力があった」
「それなら可愛い部下を任せられません?」
わざとお道化て返事をした。
だけど、ロドニーは何とも言えない表情をして首を振る。
「俺にも、それなりに動く手足があって色々な耳がある」
新聞社の編集長として、情報網は大事だもんね、とうんうんと頷く。
「俺が聞くことじゃないし、決める事じゃない。
だが、その公のパーティに行くのなら、それなりの覚悟をした方が良い」
「可愛い部下に、傷ついてもらいたく、ないから?」
話を遮り、ロドニーの顔をしっかりと見た。
私の視線を受けたロドニーの視線が逸れる。
新聞社の会社員が、ゴシップに追われるのは、本末転倒かもしれないものね。
小さくため息を吐いた。
心配は嬉しい。
だけど。
「ご心配をおかけして、申し訳ありません。
編集長の心配はよく分かりました。心に留め置いておきます。
気分が悪いので、今日はもう帰っても?」
思った以上に低い声が出た。
その声に、ロドニーは困ったような顔で頷く。
「あ、あぁ。お疲れ。残っているメモは俺がタイプしておくから」
「よろしくお願いします」
頭を下げると、部屋を出た。
鞄を手に取ると、心配するルーシィに大丈夫だからと笑って足早に事務所を出る。
色々な事に押しつぶされそうになる不安が胸を渦巻く。
夢の中の彼女はずっと泣いているけど、私のほうが泣きたい。
もう嫌だ、と叫びたくなるような気分にだってなる。
自分でも自分の心をコントロールできない。
投げ出したくなる気持ちになる。
投げ出したい?何を?
よく分からない自分自答が始まる。
一刻も早く家に帰りたい。
帰りのトラムの車内で、私は一人、答えの出ない答えを求めていた。




