夢
誰かが泣いている。
物音一つしないために、その泣き声だけがよく聞こえる。
さめざめとした、雨のような泣き声。
泣いている人を探しても、近くには見当たらない。
自分が何処にいるかも分からない。
周りを見回しても、辺り一面の霧。
2メートルも歩けば、もう先が見えないほど、濃い霧。
足を踏み出す恐怖もある。
だけど、行かなければいけない気がした。
何も見えない、どちらの方向に行けばよいのかすら分からないというのに、足が勝手に動き出す。
どこまで歩いても、濃霧。
景色が変わらない。
それとも同じ場所をグルグルと回っているだけなのかもしれない。
言い知れぬ恐怖が胸に湧く。
だが、立ち止まっているのも怖いのは確かで。
走り出したくなる気持ちを抑えて、歩く。
歩いていると、自分の中でも違和感が生じてくる。
そう、いくら何でも、おかしい。
こんな何もない場所、私は知らない。
あぁ、夢だ、
きっと、夢の中。
目をさませ、私。
でもどうやって?
目を開ければよい、それは分かる。
なのに、どうやっても目覚めない。
焦る気持ちが体にもあらわれ、気持ち小走りになる。
気が付くと、濃霧の中にケヤキ並木が見えた。
並木を歩いていくと、一人の女性が泣いていた。
肩を小刻みに震わせて。
余りにも悲しそうに泣くので、思わず駆け寄る。
「あの、大丈夫ですか?」
声をかけても、その女の人は何かを言いながら泣いている。
近寄ったことで、彼女が何を言っているのかようやくわかったくらいに、小さな声。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
彼女はそう言って、さめざめと泣く。
どんな罪深いことをしてしまったのだろうか?
それがどんな事なのか全く想像がつかず、手を差し伸べようとして伸ばした手を引っ込めた。
私が側にいることすら気が付いていないのか、彼女はずっと謝罪の言葉を繰り返す。
目が覚めない。
焦燥感が募る。
辺り一面は濃霧。
このまま目が覚めなかったらどうしよう、そんな恐怖で大声を出しそうになるのをどうにかこらえ、再度声をかけてみる。
「あの」
声をかけれれた彼女はびくりと肩を震わせる。
俯いたままの顔は、私には見えない。
背中まである綺麗なアッシュブロンドの髪の色。
ジョセフと同じ色だ。
そんなことをぼんやりと考えていると、彼女が私の存在に困惑している雰囲気を感じ取る。
でも、彼女は私の顔を見ない。
「大丈夫ですか?」
「…」
ようやく彼女の謝罪の声が止む。
私はホッとして、再度問いかけようとしたら、また彼女の謝罪が始まった。
「ごめんなさい、私のせいで、ごめんなさい」
そんなに自分を責めなくても、そう声をかけようとした。
「こんなことになるなんて、思わなかったの。
ごめんなさい、私のせいなの。
幸せだったの。
彼に任せていたら、全て大丈夫だったの」
声をかけるタイミングを見失い、彼女が何を言うのか黙って聞く。
「貴女を苦しめるつもりなんてなかったの!
だって、私はずっとずっと幸せだった!」
いきなり叫びだすような声で断言する彼女に怖気づく。
何を言っているのだろうか。
夢だ、分かっている。
怖い。
「あぁ、でも私のせいよね、ごめんなさい、ごめんなさい」
また、彼女は謝罪の言葉を紡ぎだす。
もうやめて、言わないで。
謝らないで。
そう言いたいのに、声が出ない。
頭の中で鳴り響く謝罪の言葉。
頭が割れそうに痛い。
目が覚めて。
起きて、私。
そう思っても、一向に目覚めない自分にも恐怖を感じる。
頭を抱えて蹲る。
ふ、と気が付くと、目が覚めていた。
自分の頬を伝う涙に、自分自身で驚く。
周囲を見回すと、自分の寝室だという事が分かる。
良かった、やっぱり変な夢だった。
全身の力が抜けて、ベッドに身を任せる。
「私、泣いて…?」
思わず声に出してしまう。
泣くほど、怖かったのか、と言われたらそうでもないはず。
不気味な夢だった、と言った方がしっくりくるはずの夢。
そう頭では分かっているが、胸をかきむしりたくなるほど切なくなる夢だった。
夢の中でずっと謝っていた彼女。
一体彼女は誰に、何で謝っていたのかすらよく分からない。
「…私に、謝って、いた…?」
でも、それは一体何の為に?
何の謝罪?
考えても答えは出ない。
…変な夢、という事よね、いやだわ、私に謝られているなんて思うなんて。
夢に振り回されるなんて、よほど疲れているのか。
まだ、ほの暗いのを確認して、再度寝る体制に入る。
寝入る前に願ったのは、もうあの夢を見ないように。
それだけ。
幸いなことに、目が覚めるまで夢は見なかった。




