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夕飯が済んで食後のコーヒーを飲んでる時に、ジョセフが大体の業務報告をティムにする。
だから、当然のようにジョセフがいる。
これは大体の日課だそうだ。
恋人同士の晩餐にはお邪魔虫だ。
ジョセフの報告を真剣に聞いて指示を出すのを、聞くとはなしに聞いていて苦笑してしまう。
だってこの報告の場では、ジョセフにとって私こそがお邪魔虫だろう、から。
ジョセフはこの大切な報告の場でも、私という存在を黙認してくれている。
その意味は、そう、認めてはくれているのだ、私という存在が彼の側にいるという事を。
共同戦線だろうがなんだろうが、側にいても良いと他の誰かからも認められる、というのは素直に嬉しい。こんなこと、ジョセフには言えないけどね。
「ジョセフ、アシュリーの為に、力を貸してくれてありがとう。
スムーズに引っ越しはできたかい?」
「えぇ、本当に助かったわ、ありがとう」
改めて私もお礼を言う。
「向こうのフラットのオーナーがちょっと騒がしい感じの人だがいい人だったよ、良いところだったな、彼女がオーナーなら住みやすかったんじゃないか?」
ジョセフは、話した感じの感想を話す。
それにうんうんと私は頷く。
「そうね、なんの問題もなかったわ。楽しかったし、暮らしやすかったし。
ティムに出会わなければ、あの家にずっと住んでいたかも」
フィービィーおばさんの豪快な笑い声を思い出す。
「働き始めのホームシック気味の時も、慣れない仕事で疲れ切っていた時も、仕事でミスして落ち込んでいた時も、元気な声で励ましてくれたの。
あの声が聞こえないのは、少々寂しいかもしれないわね…」
ティムの胸に頭を持たれかけながら、少し感傷気味になる。
「僕がいる。
君の隣には、必ず僕がいる、アシュリー」
ティムの手がゆっくりと頭を撫でながらそう言われたら、嬉しくて感傷気分はなくなったけど。
月曜日。
いつも通りの1週間が始まる。
違うのは朝から、ティムと会えること。
口元が緩んでしまうのは仕方ない。
まぁ、ティムの体調の問題もあるのか、まだ起きてないけど。
いつも通りで、いつも通りではない朝のスタート。
なんだかこそばゆく感じるのは、私が幸せで浮かれてるからなのだろう。
でも、基本的に私の毎日は変わらない。
朝起きたら仕事着に着替えて、いつものカバンをもって家を出るだけ。
それは、ここに越してこようが変わらずに。
だから、普通通りに家を出ようとした。
「おい、まさかトラムに乗っていくつもりか?」
リビングでコーヒーを飲んでいたジョセフに、あきれ顔して聞かれた。
というか、トラム以外の何で移動するというのだ。
何を聞かれているのか分からなくて、一瞬戸惑う。
ジョセフは個人で契約しているハイヤーがあるからだ、という事に気が付く。
昨日も引っ越しだから乗せてもらったけど、そうか、さすが、金持ちだわ、考えが違う。
私なんて、毎回毎回ハイヤー何てお金がいくらあっても足りないと考えてしまうというのに。
「え?そのつもりだけど?」
「お前専用のハイヤーを用意してある、それ使えよ」
「…えぇ?いいよ、そんな高いの。それに私、トラム乗るのって結構好きなの。
あの、路面から浮き上がる浮遊感が特に」
確かにドアツードアで楽かもしれないけど、歩くのも好きだしね。
ヒューマンウォッチングも出来て、結構いい気分転換にもなるのだ。
ジョセフはなんとも言えない顔をして、私の顔を見たけど何も言わずに首を振った。
「じゃぁね」
手をひらひらさせて家を出る。
確かに専用のドアマンがいるようなアパルトマンで、普通にトラムに乗る人は少ないかもしれない、けれど、いないわけでもない。
いつも使ってる路線じゃないからか、そんな利用する人間がいないからか、トラムはすいていた。
そして、いつもとは違う景色が逆に新鮮で面白い。
高級アパルトマンがある通りにはハイヤーが通りに何台もとまっているくらいで、人通りというものがあまりなかった。
大きな街路樹を抜けると、一気に庶民的な感じになると思ったらすぐに中心街にきた。
オフィスのビルの玄関ドアに手をかけた時だった。
「アシュリー」
切羽詰まったような顔したハリソンが、いきなり名前を呼ぶから驚いた。
「おはよう、ハリー、どうしたの?朝から苦虫を嚙み潰した顔をして」
「先週…ジョセフ・ブラッドリー卿と夕飯行ったのか?」
「ジョセフ…、あぁ、うん、そうね、行ったわ」
そう微笑むと、ハリソンの眉間の皺は更に深くなる。
「…彼の、噂は…その、知っているのか…?」
「噂?ジョセフの?」
ハリソンは一瞬だけ視線を逸らしてから、私の顔を見る。
「噂というか、事実というか…彼が、その数多くの浮名を流してること…」
それを聞いて、ピンときた。
浮名を流すような金もある色男が、私なんかに夢中になるはずがない、と心配しているのだろう。
私の思い人はジョセフではない、とはいうものの。
仮初とは言え、ジョセフの恋人という立ち位置にいるのだから。
遊ばれて捨てられると思われるのは、中々に辛いものがある。
フィービーおばさんといい、今まで男っ気がなかったつけが回ってきた。
でもその心配はちょっと違うのよね。
「あぁ、それなら大丈夫よ、私、気にしてないから」
私は確信を込めた声で伝える。
だって、私の相手はジョセフじゃないからねぇ。
ジョセフがいくら誰かと浮名を流しても、関係ないのでどうでも良い。
私が大切なのは、ティムだけだし。
…なんて、さすがには言えないから、飲み込むしかない。
「…それだけじゃなくて、ローズガーデンのフローラ嬢とは特別の仲だとか…
実際に彼女のサロン」
「ハリー。ハリソン・ビーゼル。聞こえなかった?
気にしてない、と言ったの」
余りにも確信を込めた自信あふれる発言だったのか、ハリソンは言い淀んだ。
心配してくれるのは、有難く受け取っておこう。
だけど、それって余計なお世話。
それにいい加減、オフィスに入りたいし。
「ねぇ、ハリソン。
人の恋路を邪魔するなんて、とっても野暮だと思わない?」
だから、わざと一歩ハリソンに近づいて下から覗き込み、囁くような低い声を意識して出した。
多分、今までの私ならそこまで近づかない距離。
少しだけ、パーソナルスペースに踏むこんだ場所。
だけど、侵害と呼ばれないだろうギリギリのライン。
そんな距離の駆け引き、なんてしたことがなかったのだから。
その無礼にならないギリギリの距離感は、ジョセフが私に教えたもの。
というか、された。
めっちゃ、された。そんなの繰り返されたら、嫌でも慣れた。
ティムがいるから何とも思わないが、確かにあんな色男にあんな距離感で詰められたら勘違いしてもおかしくないと思う。
その微妙な距離感を計算しているのだろう、ジョセフは平気の顔でする。
それは百戦錬磨の彼の計算の上に試された距離、された方はドキリとするだろう。
そして、これは人を煙に巻くにもちょうどよい距離感なのだ。
ハリソンは驚いた顔をして私を凝視する。
「だから、ね、ハリソン。仕事しましょ?」
ニッコリと笑いドアを開ける。
またいつものように、仕事が始まる。
活気溢れる社内で、皆が忙しそうに動く。
視線を感じて顔を上げると、ハリソンは眉尻を下げて困った顔して私を見るけど、無駄な心配りをされるのは私も困る。
あぁ、そうか。
ティムの側にいるという事は、ジョセフの側で恋人ごっこをするという事は、これを指すのか。
きっと、自分の想像以上にこれから煩くなるだろう周囲を考えてみた。
うん、確かに面倒だ。
安請け合いをして、失敗だったかもしれない、心の中で独り言ちる。
でも、だからと言ってティムを渦中に連れ出そうとはやはり思えない。
そう、心の中に沸々と湧き上がる不安。
考えたくもない、あり得ない、と言い切りたいのに、ティムの顔色を見ていると、どうしても拭えない心細さ。
大丈夫、彼は、大丈夫。
そう思わないと、足元からグラグラと崩れていきそうだ。
だって、今のティムは。
今のティムの状態は。
既に亡くなった自分の祖父母の最後を思い出してしまう。
違う、と否定しても。
否定しきれない、最悪の状態を、考えてしまう。
そんな自分も嫌で、だけど不安で。
だからこそ、ジョセフやマリアさんの存在は、有難かった。
彼を気にかけているのは、味方になってくれている人がいるのは、心強い。
こんなことを考えてはだめだ。
小さく頭を振って目の前の文字を追う。
カタン、カタンとタイプの沈む音が心地よいリズムを奏でる。
いつもの忙しい日常が、始まる。




