表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/60

物語の始まり

物足りなかった毎日が一変する、そんな事はないと思っていた。

友人たちが口々にのせる恋話。

失恋した、彼が振り向いてくれた、喧嘩した、プロポーズされた。

華やぐ恋愛談義はいつも聞き役で。

私には、恋愛感情というものがないのだと思っていた。

幼いころに母が語ってくれたお姫様と王子様が結ばれてハッピーエンドのお話に憧れていたけれど、年頃になった私には異性に対し、好意を寄せるという感情が理解出来なかった。

恋に泣き、恋に笑う友人たちを羨ましいという思いがある反面、自分には無縁の感情だと冷めた目で見ている自分もいた。

そのことに対し焦る自分がいたのも事実で、どうにも中途半端な感情を持て余してもいた。

そんな自分にだって、好きだと好意を持ってくれる人がいた。

恋というものが分からなかったが、もしかしたら人を好きになれるかもしれない、皆と同じような感情が持てるかもしれない、変われるかもしれないと思って付き合いだしても、結局同じ熱量が持てないままで。

申し訳なさだけが先立ってしまい、結局は上手くいくことはなかった。

そんな反省から、私は、恋というものを諦めた。

諦める、という言葉が正しいかどうかは、別にして。



いつも通りの毎日。

トラムに乗って、職場付近で降りて働く。

その繰り返し。

こうして人生が終わっていくのかもしれない、そう思っていた。


その日は、ついてなかった。

朝、寝坊していつものトラムに乗り遅れた。

昼、急いで作ったからか、お弁当のサンドイッチが崩れていた。

職場の紅茶缶が空だったから、コーヒーになってしまった。

一つ一つは小さなこと。

だけど、心にさざ波がたつくらいは、気が滅入ること。

そして、極めつけは、またもやトラムに乗り遅れた、事だろうか。

お昼に、紅茶缶が空だったから量り売りの店に行って足してもらった。

その分、帰りが遅くなったから。

朝は寝坊という自分のせいではあったけど、帰りは不可抗力。

いつものトラムに乗り遅れた私は、やさぐれた気分になっていた。


ため息を一つついて、ふと、視線を感じて私は周囲を見回した。

そこに、一人の男の人が立っていた。

会社帰りの人が多いこの時間、雑踏には沢山の人がいた。

なのに、彼はすぐに見つけられた。

あぁ、彼、だ。

彼が視界に入った瞬間から、世界が一気に色付く。

無色だった味気ない今までの生活は、全て彼に会うまでのスパイスでしかなかったのだと思うくらいに。

この込み上がってくる感情は何だというのだろう。

分からない。彼から視線がはなせない。


彼と私の視線が絡む。

自然に身体は彼のほうに足を向ける。

最後は小走りになりながら、彼の元に進む。

蕩けそうな笑みを浮かべ、私を真っ直ぐにみる。


「おかえり」


その声は震えて、見上げたら彼の瞳には涙が浮かんでいた。

初めて会った私に言う台詞ではない。


「ただいま」


だけど、私も初めて会った彼にそう答えていた。

もちろん、私の声も震えていて知らず涙が浮かぶ。


「ごめんね、待たせちゃって」


勝手に言葉が溢れでる。

彼は嬉しそうに、泣き笑いの顔でただ頷く。


「逢えたのだから、問題無いよ」


私に逢えて嬉しいと、心の底から思っていると全身で訴えているようだ。

そして宝物を大切に持ち上げるように、彼は私の手を取った。


「会いたかった」


「私も」


もう、言葉はいらなかった。

道の往来で、私達は人目も気にせずに抱きしめあった。

彼の温もりも彼の香りも、全てが全て思い出せる様に。

会えなかった時間を少しでも取り戻す様に。

私達は抱きしめあう。

もう2度と離れない様に、と。


二人で、手をつなぎながらカフェに向かう。

お互いに言いたいこと、話したいことが沢山あるのに頭の中がまとまらない感じだ。

カフェに入って、ホットチョコレートとロングブラックを頼む。

隅の方の席に座り、一息ついて改めて私と彼は対面で向かいあう。

ゆっくりとした動作で、来ていたジャケットを脱いで横に置く。

ふわりと、彼のオーデコロンの香りがした。

その香りに懐かしさを感じて泣きたくなる。

彼が視線でどうした?と問いかける。

それだけで、どうしてこんなに満たされた気分になるのだろう。

彼がここにいてくれる、それだけでこんなに嬉しい。

あまりにも嬉しそうに見つめすぎていたからか、彼が少し照れたような、はにかんだ笑みを浮かべる。


「僕はかなり変わったから、見つけてくれないかと思っていたよ」


「ううん、一目で分かった。貴方だって」


そう言って、改めて彼を見る。

微笑んだ彼の瞳の柔らかさ。

少し低めの声。

だけど、とても聞きやすい。


「君は、相変わらず綺麗だね。

すぐに、分かったよ。君だって」


彼に綺麗だと言われて、恥ずかしくなる。

だって、今日は寝坊した。

いつもよりも手抜きの化粧で。

洋服だって適当にそこにあったのを着ただけで。

会えるのなら、もっと綺麗な格好をしてお洒落をして出会いたかった。


彼の手が私の手に触れる。

一つ一つの指を確認するかのように、ゆっくりと触れる。

その手の動きがとても優しくて。

彼の手の暖かさに触れるだけで、感極まって泣きたくなる。


「僕は、今回は、見つけてもらえないなら、それで良いかと思っていた。

だって、こんなに、変わった」


ゆっくりと頭を振る。

私が私であるように、彼は彼のままなのだ。


「見つけられないなんて、そんな事あり得ないわ。

だって、私は私だし、貴方は貴方だもの」


そう言って笑うと、彼は嬉しそうに微笑んだ。


「また、僕を選んでくれる?」


「貴方が望むなら、何度だって」


店員が注文したものを持ってきて、お互い少し我に返って二人して照れ笑いをした。


ホットチョコレートは、今までの飲んだ中でも一番の味がした。




求めあう二人が出会ったのだから、自然の流れと言えば流れで、彼が滞在しているホテルにそのままいって、一緒に過ごした。

その滞在先のホテルは高級ホテルと言われる部類のもので、私には縁がない場所だったのに、彼と一緒なら無敵の気分で足を踏み入れた。

普段の自分なら、場違いじゃないかとびくびくしそうなのに、堂々と行動できた。

そんな自分にも、びっくりした。

夜はホテル内のレストランで一緒にとって、朝はモーニングを食べた。

ずっと一緒にいたくて、仕事を休もうか真剣に考えてしまったけれど、今日行けば明日は休みだから仕事に行くことにした。

彼は迎えに行くよ、と微笑んだ。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ