各羽手紙氏について
各羽手紙氏とは各羽国を治めていた守護大名、戦国大名である。
そもそも、手紙氏とは、藤原北家の流れを汲む由緒正しい家柄で、家名の由来は朝廷で手紙の代筆をしていたためともいわれている。しかし、第七代当主是長の時代に嫡流及び傍流の殆どが疫病により没してしまったため、公卿としての手紙氏は途絶えてしまった。各羽手紙氏の祖先は、この時生き残っていた傍流で駿河国の一部を治めていた手紙義長である。
その後、手紙義長は源頼朝の臣下となり、頼朝没後は義長の息子の為長が北条氏に仕えている。しかし、幕府に対する不満から他の御家人と共に鎌倉幕府を打ち倒し、室町幕府が開かれると当主である手紙明長が各羽国守護に任ぜられた。
その後、戦国時代が始まると当主であった手紙秀長が守護大名から戦国大名へと転身し、各羽国を中心に勢力を伸ばしていったが、息子の利長の代になると宇曽ノ谷の戦いでの敗戦を機に連敗を重ねていき、ついには笛育親元(入有珠)に討ち取られてしまう。利長の長兄であった光長が家臣を率いて笛育親元に戦いを挑むが、ものの数分で瓦解。光長は生き残った家臣を連れて引き返し、館に火を放ち、一族郎党全てを殺害した後、自刃した。これにより、各羽手紙氏は断絶してしまった。