246話 嵐の前の静けさ
戦費でかなり浪費したとはいえ、産業革命を迎え工場での大量生産を行う帝国にとっては些細な問題であった。
帝国の全国に渡って建設された工場から生み出される製品は国民の生活を豊かにし、経済を潤した。
学校の建設も進み、統一された学習要領での教育は識字率の向上だけでなく、他国とは比べ物にならないほど高度な知識を身につけた国民で溢れかえっている。
生活が安定し知識も身に付けた。そうなればやがて盛んになるのが政府に対する要求だ。
政治体制の変革や更に生活を豊かにするための要望といった行動が行われるようになる。
知識を独占していた特別階級による一方的な支配から、相互的な政治が求められるようになるのだ。
「こんな戦時下での選挙は逆に危険だな」
「魔王との決戦一年前という中途半端な時期に指導者が変われば混乱は避けられないでしょうね」
私が二十歳になる時に選挙を行い指導者の立場を退こうと計画していたのだが、出鼻をくじかれた。
「こんなこともあろうかと戦時中の独裁を認める条項を作っておいて良かった」
「ですが各領地単位ではやはり選挙をするべきでしょうね」
「ああ。住民投票なども考えていかなければならない」
考えることは戦争ばかりではない。指導者たるもの、革新的なアイデアを一つ二つポンポン考えるのではなく、地道な日々の活動こそ大切に行っていく必要があるのだ。
「細かいことは任せるが、この前例が全く役に立たない政治の状況というのは難しいものだな」
「ええ。ですがそれだけやりごたえはありますよ」
ふふふと笑いながら孔明はそう軽くいいのけるが、目の下にうっすら浮かぶクマがその多忙さを物語っている。
「やれることをやれるだけやろう。後悔を残さないようにな。今度の戦いで勝てば今度こそ平和が訪れ、負ければ人類は滅ぶ。この一時の平穏を楽しむのも悪くはないが、歴史書をあと三年で終わらせるのはもったいない」
「そうですね」
私はこの頃寂しそうな表情をしているエルシャの手を取り、その脆い存在を確かめるように愛しさの指を這わせた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それから私たちはがむしゃらに働いた。
他国の経済にも大きく介入し、使える人員の全てを研究や製造に回す。食料生産についても、新開発されたトラクターがその効率を向上させた。
鉄道は帝国内は全ての領地に巡らされ、他国への延伸も順調に進んでいる。
自動車の製造開始に併せて舗装路も敷設しているが、そちらはこれからと言ったところだ。まあ多少悪路であっても馬車よりはマシである。
「諸君! これより第一回総合軍事演習を開始する!」
半年に一回、魔王との決戦までに五回の予定で大規模な軍事演習を行うことにした。ここでは新兵科との連携や各国での指揮系統確認などを目的に実弾演習を行っていく。
場所は一応魔王領の近く、だだっ広い帝国の余った領土に二百万人もの兵士が集う。
私は軍の全貌を見れるよう後方の崖上から記録官たちと一緒に眺めていた。
「──レオ様、試作戦車は全てエンジンが故障し進軍不可となりました……」
申し訳なさそうな表情で連絡係の兵士が私にそう告げる。
「100馬力程度では戦車はまともに動かせないか」
「じ、自動車化歩兵はまだ形になっております」
「まあトラックに兵士が乗るだけだしな。……少しずつでいい。まだ二年半以上あるのだからな」
工場は紡績工場が始まりと言っても過言ではない。車や武器は限られた人間のみが使うが、服は全ての人間が使うからだ。
何が言いたいかというと、新たな軍服が全ての兵士に行き渡ったのだ。
敬礼も世界軍で統一。敬礼は左手による挙手の敬礼。右手は休めのように後ろの腰に当てる感じだ。
帝国の黒と紫を使った威圧的な軍服の集団は、装備の扱いこそ慣れていないが規律は間違いなく今まで見た中で一番の仕上がりである。
「レオ様、左手をご覧下さい」
「おお、ちゃんと飛んでいるな」
この低馬力のエンジンでは小さな複葉機を飛ばすのがやっとだ。しかし飛ぶだけいい。
「飛行船も飛んでいるはずですが……」
「今日は向かい風だったな。遅すぎて進んでいないのだろう」
孔明の天候操作魔法でどうにかしてもらう作戦もあるので、さしたる問題ではない。
軍事史における航空機の歴史は観測気球、飛行船、偵察機、戦闘機のような順番である。やはりこれも少しずつ進歩させていけばよい。
「しかし、あの37mmの対戦車砲は役に立つのでしょうか……」
「魔王領での最近の偵察活動によると投石オークすら鎧を装備していたらしいからな。投石するだけの機動力を確保するなら大した装甲ではないだろう。小口径でも役に立つはずだ。……それにいきなり88mmの対戦車砲は作れないし試しにこれでやってみよう」
ドイツの8.8cm FlaK、アハトアハトは元は対空砲であった。しかし対戦車砲である3.7cm PaKで撃破できないイギリスのマチルダなどが登場し「ドアノッカー」などと揶揄されるほど陳腐化してしまったため仕方なくアハトアハトを水平射撃したのだ。
ともかく8.8cm砲が完成すればワイバーンだろうが魔人だろうが撃ち落とせるだろう。
「そうだったのですね。不勉強で申し訳ありません。……後方のナポレオン将軍が指揮する榴弾砲部隊は移動と攻撃の素早さがその練度を物語っていますね」
「半自走砲だからな」
小口径砲を積んだ戦車が無理なので大口径砲を積んで自由に走れる自走砲はもっと無理である。今は大砲に補助輪的なタイヤとエンジンをつけて車両で引っ張るのを手助けする程度だ。
それでも、射撃後に移動するというのは敵の反撃を回避するという意味で重要だ。
もっとも、砲を長砲身化して射程を伸ばし投石の届かない距離からの攻撃を前提としている。
しかし敵に進軍されてしまえば速やかな撤退と撤退支援の攻撃が必要なので機動力も重要であることに変わりはしない。
「どれだけ私たちが努力しようと、向こうもそれなりに備えてやって来るだろう。三年後の人類の最高到達点が敵を上回っていることを願うばかりだ」