240話 痛み分け
「本当に戦いは終わりましたね……」
孔明ですら、停戦から十日経った今でもこの状況は飲み込めていない様子だった。私とて皇城の自室で椅子に大きくもたれかかって呆然とするだけなのだが。
ただ確かなことは、この報告書に書かれている数字が示す残酷な現実のみだ。
「国民には、私が魔王の侵略を止め数年後の決戦の時に備えると喧伝してくれ」
「そうします。事実ですからね」
私も驚くが事実なのだ。
私があの時魔王に話しかけなければ、織田信長だと気が付かなければこうはなっていなかったかもしれない。
急遽組織した『英雄隊』の活躍がなければ、魔王軍をあそこまで追い込めなければ、逆に私たちが滅ぼされていたかもしれない。
歯車が一つでも噛み違えば、全てが崩れ全員死んでいた。
その恐ろしい事実を知ってしまった時、奇跡的なバランスでこの世界が成り立っていることに、私は思わず神に感謝せずにはいられなかった。
「王国の人々が狂信的に聖教を信じるのも頷けるな。こんな恐ろしい敵がすぐ隣に住んでいると知ってしまえば……」
「そう、教会が慰霊を捧げる儀式を行うとのこと。私たちも何か国民に向けてやらなければなりませんよ」
「……結局は経済復興が第一だ。戦場で散々失ったからな。だが、停戦である、つまり戦時体制のまま大胆な改革ができるのはせめてもの救いだと思おう」
戦時にはあらゆる国民の権利が制限され、国に権限が集まることになっている。
「……しかし、魔王は本当に三年も大人しく待ってくれるのか? 俺の知る織田信長はそんな奴には思えないぜ」
「私も同意します。『神算鬼謀』で彼の戦いを覗きましたが、寺社仏閣を焼き払う、兄弟を騙し討ちするなど、とても正気とは思えません。戦略家としての実力は認めますが、彼の言葉を信用に値するとは言い難いです」
歳三や孔明の言うことも良くわかる。
しかし、私には謎の自信があった。もちろんこれはナポレオンの『葡萄月将軍』の効果とは関係ないものだ。
「それも事実ではある。その一方で、殺害事件により一度は追放した前田利家も武功を認めて再び家臣となることを許したり、松永久秀の裏切りを許し最後も茶碗一つで許そうとしたり、常に凶行を行っていた訳じゃない」
実力を認めた者には比較的寛大な判断をする。それが織田信長という男だ。
では私が彼に実力を認められたのかと言われると微妙だが、一人の歴史好きとしての私心で認めて貰えたと思いたい。
「まあ五百年も待っていたからな。今更三年を渋るとも思えない」
魔物たちの時間的感覚は知りようがないが、三年は本当に守られるだろう。そう確信していた。
「それで、与えられた三年をどう使う? 少なくとも人間同士で争う余力は残っていない。全てを魔王に向けるしかないが……」
「他国も戦力を増強する必要性よく理解しただろう。これからは全ての指揮権を帝国が握る。武器も戦法も全て帝国式を広める」
帝国と違い、他国では工場も鉄道も建設途中であり、武器は未だ旧式のものばかりだった。
武器が旧式なら戦い方も旧式になる。帝国も騎兵や剣を持った歩兵は有しているが、やはり銃は大戦果を挙げている。
一方でスケルトンのようにスカスカのモンスターには弾丸がすっぽ抜けて効果が薄かった。あいつらは砲撃で丸ごと吹き飛ばした方がいい。
一長一短、どれかに偏ることなく全ての兵科を改善し、上手く組み合わせる戦略が求められる。
「それだけじゃ勝てないぜ」
「特にあのトロールはふざけている。戦場から回収した奴らの鎧は厚さが100mmもあったんだぞ。体に合わせた丸みを考慮すれば、傾斜込みでティーガーⅠすら凌駕するぞ」
もう怪我が治ったのかさっきから元気に体操していたルーデルがそう口を挟んだ。
ルーデルの言う通り、トロールは重戦車のような役割だ。
装甲で敵の攻撃を跳ね除け、前線を切り開く。更にその巨体から繰り出される拳は受け止めようのない一撃となり、我々の軍を粉砕した。
鎧が重すぎて武器は持てないようだが、それでも拳で十分な攻撃力を持っている。まだ今回は顔という装甲の弱点があったからいいものの、対策されれば倒しようがなくなる。
オークの投石攻撃を受けてもものとしない防御力を持ち、トロールの装甲を穿つ攻撃力を持つ兵器が私たちにも必要だ。
「分かっている。だからこそのこれだ」
私は左手を掲げた。手首にはめたブレスレットでは、「暴食龍の邪眼」が忌々しく鈍い光を放っている。
「なんか……その……、汚い色をしているな」
「大量のモンスターや魔物を倒したせいか、魔王領の濁った魔素を吸収してしまったのか分からないが、魔力が体に伝わってくる感覚に問題はない」
「そ、そうか。ならいいんだが。……それで、次の英雄にはもう見当がついてるんだな?」
「ああ。私たちには全てが足りなかった。だからこそ、芸術・建築・軍事・工学・化学・解剖学・航空力学・その他あらゆる分野に精通した天才が必要だ」
「そんな超人がいたんだな」
「ああ。彼ほど神が愛した人物はいないだろうな」
「そいつは楽しみだぜ」
「……私たちは、時代を変えるぞ」




