222話 戦果
「──いただきます」
「いただきます」
「いただきます」
孔明の配慮で私には大した仕事が回ってこなくなったので、こうして皆でのんびりと朝食ができるようになった。
母とご飯を食べるなど何年振りだろうか。
「エルシャちゃんは結婚生活にはもう慣れた?」
「はいお義母様。今ではすっかり」
「そうよね。もう一年以上経つんだもね」
自分の妻と母親が話しているというのはなんとも胸がザワザワする。
どちらかが余計なことを口走らないか気が気ではないのだ。幼少期の話はエルシャに聞かれたくないし、結婚生活のことを母に聞かれたくない。
「レオは皇帝ってどうなの?」
「そうですね。初めは実感があまりなかったのですが、今では私の元に寄せられる報告書の数字の大きさにその責任の重さを実感します」
帝国民はおよそ600~800万人と推定される。
工業化により医薬品が市場に出回り、教育令により高水準の教育が広まったことで高度な衛生意識が根づいた。これらのために人口は増加の一途を辿っている。
ファリアでは見たことのない、桁外れの人口と税収等などはそのまま責任の重さとイコールである。
私の政策ひとつが彼らの生活、命を左右するのだ。
「でも立派にやっているのはウィルフリードまで伝わっていたわ」
「ありがとうございます。是非これからは母上にもお手伝い頂けたら助かります」
母の『慧眼』は最高級の内政スキルである。
母はとんでもなく疲れるだろうが、是非政府関係者全員の能力を見て欲しいぐらいだ。
「ごめんね、そのことなんだけれど、来月にはウィルフリードに戻ろうと思っているの」
「……皇都でゆっくり休んでいかれないのですか?」
「アルガーが生き残ったウィルフリード軍をまとめて先に戻ったけど、私もウィルフリードの建て直しをしないと。だから少しレオと一緒に過ごせたらまた頑張ってくるわ」
母はそう言って微かに笑みを浮かべた。それが私に心配をかけまいとした偽りの笑顔であることは、どこか悲しげな目元の皺から読み取れた。
そうだ。ウィルフリードは遠征軍一万のほとんどを失い、心の拠り所であった領主を失ったのだ。
本当は母はすぐにでも戻り、父の遺したウィルフリードを引き継いでいかなければならない。
「……分かりました。国としてもウィルフリードには最大限の支援をします。……それか、ウィルフリードとファリアを国の直轄地とする手もありますよ」
「いえ、それはありがたい提案だけど、まずは私だけで頑張ってみるわ。本当に困った時はレオにお願いすることもあると思うけど、その時はよろしくね」
「……はい。ではいつでも連絡ください」
母は私が思っていたよりも強い人だ。何しろかの帝国の英雄の妻であり、帝国皇帝の母なのだから。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
結局、母は来月を待たずにすぐウィルフリードへ戻ってしまった。
残された私は今日の仕事を一人でこなす。
「──こちらが本日の戦報ですにゃ」
「ふむ」
新しい地図に現在の戦況を書き記すのも手間だろうが、ミーツは毎日やってくれている。
「まず王国の方は、約三分の一が陥落。まさに快進撃ですにゃ」
まだ戦争が始まっておよそ一ヶ月が経とうという頃である。
何百年も争い、前回の戦争では約五年も戦闘を続けた王国との因縁の戦いの結果は、もう間もなく帝国の勝利という形で決定付けられようとしていた。
「ただ、協商連合側は微妙ですにゃね……」
アキードに所属する二十の地域のうち、二つのみが赤く塗りつぶされている。
「無差別爆撃作戦は十三の地域に行いましたにゃけど、結果はご覧の有り様ですにゃ。そしてこの斜線を引いているところが押し合いをしている前線になりますにゃ」
斜線はどこも若干帝国の領域に侵食していた。
「まあ一割の敵を戦わずして降したというのだから意味がない訳ではない。そして兵もわざと割いていないのだから厳しい戦況になるのは予想の範囲内だ。王国の首都と皇都、どちらに早く着くかの競走なのだからな」
リードを広げているのは帝国側である。まだ焦る時ではない。
「……それもそうですにゃね。──それで、前線から“写真”が届いてますにゃ」
「ほう、見せてみろ」
それは白黒の、航空写真であった。もちろんヘクセルの発明品である。
写真の中には瓦礫の山、逃げ惑う人々、抉れた地面などの様子が写っている。
「これがイサカの街らしいですにゃ。ルーデル閣下の戦果記録係から送られてきましたにゃ」
「ルーデルは戦果を誤魔化して、……それもわざと少なく申告して褒賞の休暇を少なくしようとするからな。証拠付きの戦果報告は重要だ。──それにしても酷いな」
自分で指示を出しながらもそう慄いてしまうような、元の世界でも見たような戦争の悲惨な光景がそこにはあった。
「地図をご覧の通り、これでもイサカは降伏しませんにゃ。これ以上は本当に何も残らなくなりますにゃ……」
「……恨むなら馬鹿な行動を起こした王国と、それに付き従う選択をしたアキードの代表を恨むのだな」
頭上から降る爆弾を見る彼らにとっては、私は強大な力を振り回す悪魔に映ることだろう。
「誰かにとっての正義は、誰かにとっての悪であることを、忘れてはいけないな」