6話目 プロポーズは数でも質でもない
「ケイトさん、おはようございます。私と結婚してください!」
「おはようございます、クリスさん」
日課のようになっているクリスのプロポーズを、ケイトは挨拶の一つだと思って、そのまま食堂へ向かう。
「クリスさん、これで12回目のプロポーズですね」
後ろを歩くローズが、同情的な眼差しでしょぼくれたクリスを見る。
「いえ、あれは14回目ですよ」
呆れた声で数を訂正したのは向かいからすれ違ったフォレスだった。
ローズがムッとして、通りすぎたフォレスを振り返ってあっかんべーをする。子供っぽいローズの行動に、ケイトはクスリと笑う。
「私が知ってる限りは12回目よ。ねえ、ケイトさん、間違ってないでしょ?」
ケイトは肩をすくめて、首を小さくふった。
「私は数えてもないから知らないわ。みんながよく数を数えているなーと思うくらいよ」
別段、クリスがどこでもやたらにプロポーズするわけではない。クリスもケイトも休憩と言える時間のみに限っているのは、公私の区別がついていて誉められるとは思う。
だがそれは、仕事上当たり前のことであって、それを理由に好きになるわけでも、プロポーズを受け入れる理由になるわけでもない。
やって来た翌日、いや当日から始まったプロポーズに、ケイトの子供の父親が誰なのか嫌でもバレバレになったわけで、ケイトはクリスに苦言を呈したし、受け入れるつもりがないことを改めて告げた。
だが、クリスのプロポーズ攻撃は、終わることはなかった。
ケイトにとっては迷惑ではあるので、全てをスルーすることにしたため、クリスの12回目だか14回目だかのプロポーズは失敗に終わったわけだが。
「ケイトさん。やっぱり結婚はしないの?」
ケイトは苦笑する。
「何回もプロポーズされたからって結婚しなきゃいけないのかしら?」
「そんなことないわ。だけど……父親になる権利はあるんじゃないかしら?」
確かにローズのいうことは一理ある。
「さすがに、父親の権利を奪うつもりはないけれど、だからって夫婦になることと父親になることって同じことじゃないでしょう?」
ケイトの言い分に、ローズは肩をすくめた。
「……そうかもしれないけど」
「確かに子供ができたことは予想外だったけど、結婚する気にはならないわね」
「……本当に?」
「そうね……結婚はしないって決めてたから」
ケイトはにこりと笑う。
「クォーレ公爵家の騎士だし、身元は確かだわ?」
「あら、ローズは、相手がクォーレ公爵家の騎士なら無条件で結婚するの?」
ケイトの質問にローズがグッと詰まる。
「そういうわけではないけど……」
「ね。そういうことよ。それに、クリスさんは責任感で言ってるだけだわ。私は別に気にしてないのにね」
「そう、かしら? ケイトさん、一度クリスさんとゆっくり話したらどうかしら? ……話してないんでしょう?」
「話しても話さなくても同じよ」
そもそも客人を警護しているクリスとゆっくり話すような時間はない。
「クリスさん……あと少しで戻ってしまうでしょう? それまでにきちんと話してみた方がいいと思うの」
ケイトは苦笑して肩をすくめた。
怪我をしていた騎士の怪我が癒えたため、もうすぐクリスはクォーレ公爵家に戻ることになっている。
だが、ケイトはその事にも感傷的な気持ちにはならなかったし、寧ろ平穏な日々が戻って来ると、期待しているくらいだった。
ケイトにとっては、結婚は希望の持てるものではないからだ。
ケイトにとっては結婚のイメージは、マイナスのイメージしかない。15からサムフォード家で働いてきて、この家の夫婦像は変わっているし、幸福な姿だとは思っていたが、自分がそんな風になれるとも思っていなかったし、敬意を持ってずっと幸せに暮らせる相手を探し当てるなど、それこそ無理な話だと思っていた。
だから、結婚などケイトの選択肢には、そもそもなかったのだ。
クリスがサムフォード家で最後の仕事の日、ケイトが部屋に戻ろうとしていると、クリスに声を掛けられた。
ケイトはため息をつきながら、振り向く。明日の朝早くクリスは出立すると聞いているため、きっと顔を会わせるのも今日が最後だろうと思って。
振り向くと、クリスは手に赤いバラの花束を持ち、初日と同じように片膝をついていた。
初日と違うのは、赤いバラを手に持っているところと、そのまなざしが動揺したものではなく、まっすぐと射貫くようにケイトを見ているところだった。
「ケイト・マッカローさん。私と結婚を前提にお付き合いをしてください」
結婚からお付き合いにランクダウンしているのは、クリスの思案の結果なのかもしれなかった。
ケイトはにっこりと笑う。
「ごめんなさい。私の人生に、付き合う相手も、夫も、どちらも必要ないものなの」
クリスの目が揺れる。
「で、では、子供の父親は?!」
ケイトは大きくため息をつく。
「ホイラー家で育てる権利をお望みなの?」
つまり、子供を取り上げるつもりなのか、という問いかけだ。クリスが慌てて首を横にふる。
「ち、違う! ただ、子供には父親が必要なんじゃないかって!」
ケイトは肩をすくめる。
「でも、この子供の父親が自分だって、本当に言えるのかしら?」
え、とクリスが目を見開く。
「確かに、クリスさんとの一夜の過ちがあったのは、認めるわ。だけど、たった1回の相手と子供なんてできるかしら?」
ケイトは息を吐く。煩わしさを避けるなら、クリスを父親だと認めなければいいのだ。
ぼとり、とクリスの手にあった花束が、廊下に落ちた。
涙をためるクリスの表情に、ケイトは昔仲の良かった泣き虫兄弟のことを思い出した。どうして今そんなことを思い出すのか、ケイトは疲れているんだろうと思った。