30話目 捨ててしまいたい自分
扉に手を掛けたクリスを見て、ケイトは我に返る。
「クリス!」
「はい?」
振り向くクリスは、不思議そうな顔をしていて、ケイトが呼び止めるとは思ってもいなかったようだった。
ケイトは混乱する。
「どうして、来てくれたの?」
「ケイトさんが困っているのなら、助けますよ」
ニコリと笑うクリスには、何かを他に考えているようには見えなかった。その言葉通りのことを考えているようにしか見えなかった。
「どう、して?」
ケイトはクリスの答えを期待する。
「どうして、ですか。……私が助けたいと思うからでしょうね」
想像している答えとは違う答えに、ケイトは戸惑う。
「そう……」
クリスがケイトを助けに来てくれたのは、大切だから、ではない。
多分、持っている正義感で、助けに来てくれたのだ。
そもそも、最近そんな態度をクリスは見せていなかった。なのに、こんな時に助けてくれたからって、恋愛感情があるわけではないのだ。
クリスの答えに期待していたケイトは心の中で苦笑する。
あれほどロマンスを拒否していた自分が、こんな状況で助けてくれたからって、相手に恋愛感情があることを期待するなんて、と。
「クリス、わざわざありがとう」
ケイトはクリスの好意に甘えすぎないようにしようと決めた。
クリスは間違いなくアルフレッドの父親であるし、クリス自身もそれを理解していてかわいがってくれている。
それで満足すべきなのだ。
クリスの好意を無下にしてきたのは、他でもない自分なのだから。
「ええ。では、また」
ニコリと笑うクリスが、扉を出ていく。
パタン、と扉が閉まるまで、ケイトはその場に立ち尽くす。
ケイトの不安なことは、全て解決した。
だが、ケイトの心の中には、安堵感よりも大きな穴が開いている。
母親の死を悼む気持ちもある。
だが、それ以上に、クリスとはどうにもなり得ないのだと理解したことが、その大きな穴を作り出していた。
「ケイトさん、お疲れ様」
ローズがアルフレッドを連れて近づいてくる。ミアもレインも一緒にいるフォレスから顛末を聞いたのか、ホッとした顔をしていた。
アルフレッドはローズの腕の中ですやすやと眠っていた。ケイトはローズの手からアルフレッドを受け取る。眠っている顔が、幼いクリスに見えた。
「ケイト、大丈夫?」
ミアが俯くケイトを覗き込む。
「ええ。大丈夫です。ミア様もレイン様も心配してくれてありがとうございます。胸のあざを化粧で隠しておいて正解でした」
父親とのやり取りはみんなでシュミレーションしていた。その時に、体に特徴的な部分があるならば消した方が良いんじゃないかと言う話になっていた。
だから、ケイトの胸のあざはないように見えただけだった。
ニコリと笑って見せると、ミアがホッと息をついた。
「私は何もしてないわ。ケイトの勇気がこの結果を引き寄せたのよ」
勇気。
その言葉に、ケイトは息をのむ。
「どうかしたの? ケイト」
止まったケイトに、ミアとレインが首をかしげる。
「忘れていたことがあったを思い出しました。ちょっと出かけてきます!」
ケイトはアルフレッドを抱いたまま、扉に向かう。
「ケイトさん、一人で行かないで! どこに行くの?!」
ローズが慌てて後を追いかける。
扉を片手で開こうとしたケイトに、ローズとフォレスが手を貸す。
「私、クリスに言ってなかったことがあったの」
「クリスさんに?」
ケイトはコクリと頷くと、屋敷の外に出た。
「それなら、アルフレッドは私が見ておくわ。走らなきゃいけないでしょう? フォレスさんが付いて行くけど、野暮なことはしないから」
ローズがウインクをする。
「ありがとう」
ケイトはアルフレッドにキスをすると、ローズに渡した。
ケイトは走り出す。久しぶり過ぎて、足が重い。
「遠くまで行ってなければいいんですが」
フォレスは軽い走りでキョロキョロと見回している。
あ、とフォレスが声を漏らした。
「クリスさん!」
フォレスがクリスの姿を見付けたのか、呼びかける。人気のない道に、確かにクォーレ家の騎士服を着たクリスの背中が見えた。クリスはその声が聞こえたらしく、振り返る。
ケイトは息が苦しくなって立ち止まった。まだそんなに走っていないのに、明らかに体力がなくなっている。
ハアハアと息を切らすと、フォレスがクスリと笑う。
「仕事復帰の前に、体力をつけなければいけませんね。では、離れたところにいますので」
それだけフォレスは告げると、離れていく。
それと入れ替えに、クリスが走ってくる。
「ケイトさん、どうかしましたか?」
「わ、私、言ってなかったことがあって」
息を整えながら、ケイトはクリスをじっと見る。
ケイトはクリスからもらってばかりだった。
一度も、ケイトはクリスに告げていなかったことを思い出したのだ。
勇気がいる言葉を。
「何ですか?」
ケイトはコクリと唾をのむ。
でも、クリスだって断られても何度もプロポーズしてくれていた。
たった一回告白するくらい、大したことじゃないはずだ。
「クリスのことが好きなの」
え、とクリスが口を開く。
ある意味予想していた反応に、ケイトは苦笑する。あれだけクリスの気持ちを拒否していたのだ。今更言われたって、クリスだって困るだろう。
ぎゅっとなる心を、ケイトはなだめる。
クリスだってずっとこの気持ちでいたのだ。この告白だって、ケイトの自己満足でしかない。
だが、どうしてもクリスに言いたかった。
今まで受け身だった自分を、完全に捨ててしまいたかった。