3話目 ありえない出来事
「妊娠、ですか?」
言われたことを繰り返しながら、ケイトは首をひねる。全く想像もしない言葉だったからだ。
「ええ。……姉が妊娠していまして、今ちょうど、ケイトさんと同じような様子を見せていまして……」
「いえ。そんなことは……」
否定しながら、ケイトは、あれ、と思う。ここしばらく月のものが来ていなかったのに気づいたからだ。仕事に夢中で気にもしていなかったが、確かに数か月月のものが来ていなかった。そして生憎、致した出来事も思い出した。まさかあの一晩の出来事で?、とケイトは思う。
「どうやら、断定はできないけれど可能性がありそうですね?」
ケイトはハッとして、フォレスを見る。
「いえ、ちょっと調子が悪いだけなんだと思うんです……」
「念の為お聞きしますが、もし結婚するとしたら、退職を考えていますか?」
ケイトはブンブンと首を横にふる。
「結婚の予定などありませんし、退職など考えていません!」
少なくとも、ケイトの知る使用人たちは、結婚すると仕事を辞めている。もし妊娠していたとしたら、このサムフォード家から離れないといけなくなる。そう考えるだけで、まだ確定もしていないのに、ケイトの不安が膨れだした。勿論、あの相手とどうこうなるような予定もないし、相手を探し出すつもりも、妊娠したからと相手に迫るつもりもなかった。
ケイトには身寄りがない。だからこそ、住み込みの仕事は助かっている。それに、給与も安定していて、生活には困ることがない。それに、サムフォード家で働くのは、ケイトにとっては天職だとも思っている。だが、それを全て取り上げられたら。
目の前が真っ暗になりそうだった。
「そう、ですか……。今まで、結婚しても続けた方はいないと聞いていますが……私としても、長年サムフォード家で働いてきた方が、結婚という節目で仕事を辞めてしまわれるのは、勿体ないと思うんです」
フォレスの言葉に、ケイトは光を見いだして、少しホッとする。
「結婚の予定はないと断言されていましたが……もし、身の回りで困ったことがあれば、ご相談ください。レイン様に相談しますから。……レイン様も、長年働いてきたケイトさんを放り出すようなことはしないと思いますよ?」
フォレスの言葉は優しくて、ケイトはうつむいた。きっとフォレスは全てを語らなくても、ケイトの状況を理解したらしい。
「とりあえず、今日は休んで、念のため病院へ行ってください。……クラム通りにいい病院があると聞いています」
ぼそりとそれだけ告げると、フォレスはケイトから離れていく。きっと産院を教えてくれたんだろうと、ケイトは思う。
もし子供が出来ていたら。ケイトはそっとお腹に触れる。今は何もわからない。
それに、単純に月のものが来ていないだけかもしれないのだ。きっとそうだと、病院から帰ってくる時にはホッとして月のものが始まるかもしれない、とすら思おうとした。
だが、明らかにいつもと違う体調に、ケイトは完全に思い込むことが出来なかった。
「ケイトさん、最近食欲ないけど、大丈夫? 今日も体調不良で仕事変わったって聞いたけど?」
心配そうに食堂で声を掛けてきたのは、10歳下のローズだった。ローズは面倒見の良いケイトになついているケイトにとってはかわいい後輩だった。
「ええ、大丈夫よ」
そう笑ってみせたものの、ケイトの心の中は不安だけが渦巻いていた。
訪ねて行った病院で、ケイトは妊娠していると診断された。月のものが来ないこと、吐き気があること、体温が高いこと。他の病気ではないのかとしつこく食い下がってみたが、何人もの子供を取り上げてきた産婆は、ケイトが妊娠していると断言した。
妊娠しているとなれば、生むしか選択肢はなかった。だが、これからの生活を思うと、不安しかなかった。
フォレスには、帰ってきてから真実を告げた。妊娠していること、結婚の予定はないこと、可能であればサムフォード家で働き続けたいこと。
フォレスはレインと相談すると言ってくれたが、ケイトが思うようにことが進むとは限らない。仕事を辞めなければならないかと思うと、それだけで不安は増幅した。子供を産んで、一人で子供を育てながらどうやって生活していけばいいのか、全く想像が出来なかったからだ。
「ケイトさん、本当に大丈夫?」
「ん、ごめん。最近疲れてるのかもしれない。もう部屋に戻るね?」
食べかけのトレイを持って、ケイトは席を立った。食欲など元々ないが、更に湧いてきそうにはなかった。
食堂を出ると、フォレスに肩を叩かれた。
「ケイトさん、レイン様がお呼びです」
ケイトの心臓がドクリと音を立てた。滲んでくる涙に、うつむく。
「はい」
「……そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。レイン様は、引きこもりではあったけど、悪い人じゃないでしょう?」
フォレスなりの冗談らしいと気付いて、ケイトは笑いきれもせず、苦笑して顔を上げた。
「……レイン様を馬鹿にしすぎです。あの方は、ちょっと怖がりなだけです」
フォレスが苦笑する。
「なるほど、怖がりか。確かにそうかもしれないね。でも、あの方の目は澄んでいる。そうだろ?」
フォレスの励ましに、ケイトはコクリと頷いた。