22話目 小さな命
ケイトは自分の胸にいるふっくらとした小さな命を、不思議な気持ちで見つめる。
先ほどまで大声で泣き叫んでいた幼子は、今はスピスピと鼻を鳴らしながら眠っていた。
小さなちょこんとした鼻と、血色のいい唇の形は、ケイトに似ている、と言うのが屋敷の皆の意見だった。
自分で鏡を見てみても、どこが似ているのかよくわからなかったが、第三者が皆口をそろえて言うのだから、そうなのだろう。
夢でも見ているのか、赤ん坊の瞼がピクリと動いた。
瞼を閉じる目元は、クリスによく似ていた。
アルフレッドと名付けた息子は、良く泣き、良く飲み、良く寝た。
大変な日々が始まると覚悟していたケイトが、拍子抜けするくらい、手のかからない赤ちゃんだった。
破水した後、1時間は痛みも何もなかった。本当にこれが生まれるサインなのかとケイトが疑問に思い始めた頃、陣痛が始まった。
陣痛が始まって、産院の先生が呼ばれ、だが、まだまだ生まれそうにもないと、先生は帰って行ってしまった。
十分痛いのに、まだまだ時間がかかりそうだと言われたことに、ケイトは絶望にも似た気持ちを抱いた。
そして、結局、生まれるかもとなったのは、それから一日経った頃だった。
ケイトの感想は、大変だった。それに尽きた。
子供の泣き声が聞こえたときに、ケイトは嬉しいと言う気持ちよりも、ホッとした気持ちの方が勝ったくらいだった。
小さな生命体は、自分の命を主張するかのようにケイトが想像したよりも大きな声で泣いていた。
その声は、他の部屋であの後ずっと眠っていたはずのクリスを起こしたらしい。
らしい、と言うのは、目を覚ましたことを教えてくれた使用人は来たけれど、クリスがまだ起き上がれる状態ではなかったため、ケイトたちの部屋に顔を出すことはなかったからだ。
一通り処置が済み、すやすやと眠り始めたアルフレッドを、ミアがクリスに見せてきてもいいか、と尋ねた。
ケイトは既に事実を知っているらしいミアたちに、抵抗はしなかった。
アルフレッドを見たクリスは、嬉しそうに涙を浮かべたとケイトは聞いた。
トントン。
「クリスです」
扉を叩いたのは、クリスだった。
「どうぞ」
ケイトが返事をすると、ゆっくりとドアが開き、クリスが顔を出した。
あれから1週間がたち、クリスは一人で歩けるくらいに回復していた。血色も、もとに戻っていた。
「アルフレッドは、起きてる?」
「また寝てるわ」
ケイトが抱っこした姿をクリスに見せると、クリスはアルフレッドを覗き込んだ。
「よく寝ているね」
クリスの顔はほころぶ。ケイトの顔も緩む。
「だっこしちゃ、駄目だよね?」
クリスの申し出に、ケイトは首を横にふる。アルフレッドは起きてしまうかもしれないが、拒否する必要はないと思っていた。
「いいわよ」
ケイトが抱っこしているところを、クリスがそろそろと抱き上げる。その手つきはこわごわだ。
クリスが抱き留めると、ふえふえとアルフレッドがぐずる。クリスがその背中をトントンと叩くと、アルフレッドはまたスピスピと鼻をならした。
「ケイトさん」
クリスがアルフレッドの背中をトントンと叩きながら、ケイトを見る。
「何?」
「体調が良くなったので、今日でお暇することになったんです」
「……そうなの」
ケイトは何て言ったらいいのかわからなくて、うつむいた。
「……ケイトさん」
クリスの問いかけに、ケイトは顔を上げる。
「何?」
クリスは緊張した顔をしていた。ケイトはコクリと唾をのむ。
「アルフレッドにちょくちょく会いに来ても、良いですか?」
ケイトは自分の感情の動きに戸惑う。
「駄目、ですか?」
不安そうなクリスに、ケイトは慌てて首を振る。
「構わないわ」
ホッと息をついたクリスは、また視線をアルフレッドに戻すと、ニコニコと見ている。
ケイトの中には、はっきりとしないモヤモヤしたものが残される。
一つだけ言えるのは、クリスの提案に、どこかがっかりしたというところだった。
がっかりした理由は。
ケイトは、はっきりとした答えを出せなかった。
ケイトは振り切るように首を横にふる。
「クリス、あの時助けてくれてありがとう」
ケイトはお礼は何度か言っていた。だが、何度言っても足りなかった。
「ううん。ケイトさんに何もなくて良かった」
微笑むクリスに、ケイトは頷いた。
「本当に、ごめんなさい」
「ケイトさん、謝らないでください。あれは色んな事が重なった結果であって、ケイトさんが悪いって話じゃありません」
クリスの声が、ケイトを叱る。
「だって……」
「リズにも怒られますよ?」
ケイトは苦笑する。リズはクリスの容態を聞いてサムフォード家に何度か来た。その時に、ケイトにも会って行った。その時、確かにリズには叱られた。
「……わかったわ」
それ以上の言葉が、ケイトは言えなかった。
ケイトは、今でもロマンスなんて信じてはいないのだ。