21話目 安堵と不安
「クリス!」
ケイトは立ち上がる。
虚ろなクリスの目が彷徨い、ケイトを定めると、青白い顔がうっすらと笑った。
「よ……か……った」
その表情に、ケイトはぎゅっと胸が締め付けられる。
「クリス、全然良くないぞ。お前のせいで、わたしはカルロを抱きしめられてないだろう」
間近に聞こえたキャロラインの声に、クリスが目をわずかに開く。まさか手当てをしてくれているのがキャロラインだと思わなかったのかもしれない。
「聞いてるのか、クリス。お前の血が止まらないせいで、私は大切なカルロを撫でてる場合じゃなくなっただろ」
「す……みま……せん」
「悪いと思うなら、早く血を止めろ」
言っていることが無茶苦茶だと思うが、今ここにいるメンバーでキャロラインを止められる人間など誰もいなかった。
「は……い……」
クリスは消え入るように返事をすると、また目を閉じた。
「クリス?!」
ケイトが凍りつく。呼び掛けにクリスは目を開けなかった。
「クリス! クリス!」
ケイトがしゃがみこむと、キャロラインがケイトを見る。
「静かにしろ」
その表情は淡々としていて、今がどういう状況なのかケイトにはわからなかった。だが、治療の邪魔になっていることに気づいて、唇を噛んだ。
「まだ死んではいない」
キャロラインの説明は、ケイトに安堵と不安を呼び起こした。
「臓器についた傷は塞がったと思う。だが、失った血が多すぎる」
「何か私にできることは?!」
キャロラインが、あー、と声を漏らす。どうやら何も思い付かないらしい。
「クリスさんの手を握ってあげたら?」
背後からかかったミアの声にケイトは顔をあげる。
「手を、ですか?」
「それがクリスさんにとっては、一番力が出るんじゃないかしら?」
「私もそう思います」
ミアの言葉に、ジョシアが頷いた。
ケイトがクリスの手にそっと手を伸ばす。つかんだ手は、ひやり、としていて、命の危うさを感じた。
「へー。そんなものか」
淡々と告げるキャロラインに、ミアが顔を向ける。
「キャロライン様だって、カルロをいつも撫でまわしているでしょう? あれと同じようなものです」
「なるほどな!」
ミアの表現も、キャロラインの納得もちょっと違うんじゃないか、という言葉は、周りにいた誰もが飲み込んだ。
ケイトは、二人の話を聞いてはいなかった。ただじっと祈るようにクリスを見つめていた。
一度開いたはずの瞼は、開きそうな気配がない。
手をつなぐことしかできない自分に、ケイトはいら立つ。
ケイトは、クリスに生きて欲しかった。
子供の父親だから、と言うことではなかった。
そこにいて、朗らかに笑ってくれるだけで良かった。
だから、また目を開けて欲しかった。
クリスがただ、そこに居てくれるだけで良かった。
時折誰かがひそひそと会話する声がするだけの時間が過ぎていく。どれくらい時間が経ったのか、ケイトにはわからなかった。
ぎゅっと握っている手が、僅かに温かみが増したような気がして、ケイトはキャロラインを見る。
キャロラインはケイトの視線に気づいて、顔を上げた。
「どうかしたか?」
「いえ、クリスの手が温かくなってきた気がして」
キャロラインがニヤリと笑う。なぜニヤリと笑うのかが分からなくて、ケイトは戸惑う。
「クリスも現金な奴だな。魔法よりも、好きな相手か」
「え?」
ケイトが首をかしげると、キャロラインが肩をすくめた。
「たぶん、峠は越した。血も止まったようだ。ミア、部屋は用意できるか?」
キャロラインがミアを見る。
「勿論! 既に用意してあります!」
「え?」
呆然とするケイトに、キャロラインが微笑む。
「クリスはもう大丈夫だろう」
ケイトの目から、大粒の涙がこぼれた。
「ケイト、クリスを連れて行くから」
ミアの言葉に、ケイトが頷く。だが、離そうとした手が、逆に握られてしまう。
「クリス? 手を離して?」
クリスの意識は戻っていなさそうだが、ぎゅっと手が握られてしまう。その力強さに、ケイトは戸惑いつつも心からホッとする。
パシャ。
何かが零れ落ちる音がした。
ケイトは、何の音かわからなかった。
「ケイト……もしかして、生まれるんじゃないの?」
ミアがケイトの足元に光をかざした。
ケイトが足元を見ると、足元が濡れていて、自分の体から水が零れ落ちている感覚に気付く。
「……破水?」
話には聞いたことがあった。だが、本当にそれなのか、ケイトにはわからなかった。