2話目 いつもの日常への変化
「ケイト! お帰りなさい!」
ケイトがサムフォード男爵家に戻った日、ケイトはサムフォード男爵家の令嬢であるミアからハグで出迎えられた。普通の使用人と貴族の令嬢の間には見られない光景だが、サムフォード家では頻繁に目にするものだった。
特にケイトは、ミアが物心ついたときから働いていることもあって、姉のように慕われていた。他にも同じような使用人は何人かいたが、結婚して辞めてしまったため、今ではケイトしか残っていなかった。
勿論ミアはケイトだけ特別に慕っているわけではない。他の使用人たちにも同じように友達のように関わってくる。他の貴族の家で働いている人間からすれば、不思議な光景かもしれない。勿論、使用人たちも自分たちの立場はわきまえており、仕事もきっちりしていた。だが、数週間前に亡くなってしまった旦那様も奥様も、勿論今の男爵であるレインも、ミアと同じように使用人に対しての愛情を向けてくれていたため、この職場の居心地の良さは間違いなかった。
サムフォード家に戻ったケイトは、以前とあまり変わらぬ日常に追われていた。少々イレギュラーな変化がサムフォード家には訪れていたが、それはケイトの仕事を大きく変えるような出来事でもない。むしろ、使用人たちは張り切っているくらいだった。
クォーレ公爵家を離れて、あの顔面蒼白になった出来事をすっかり記憶の隅に追いやっていたケイトは、3か月も経つ頃には、あの出来事をなかったことにしていたくらいだった。
「ケイト、顔色が悪いように見えるんだけど?」
ミアがお茶を持ってきたケイトを見上げて、心配そうに眉根を寄せた。
「いえ……大丈夫ですので」
確かにケイトは、ここの所、謎の胃のムカつきに悩まされていた。だが、わずかな胃のムカつき以外には、特に変調もなかったため、ケイトは張り切りすぎて疲れているのかもしれないと結論付けて、気にもしていなかった。だが、今日は化粧をしていても分かるくらいに顔色が悪いらしい。
「ねえ、お兄様。ケイトの顔色悪いわよね?」
ミアの向かいに座っているレインが、ケイトを見上げる。
「ああ。そうだな。もう今日は休んでいい」
心配そうな表情でレインが首を横にふる。
「え、でも」
まだ仕事は残っている。そうケイトが言おうとすると、ミアがメッとケイトを叱る。
「体調が悪い時に無理をしても何もいいことはないわ! 私だってケイトたちがいないときには自分で家事をしていたのよ? 大丈夫、ケイトの分は私が働くから!」
「そうだ。掃除なら魔法でやるから」
「……いえ、お二人は自分たちのお仕事に専念してください」
横から口を出してきたのは、高齢になった執事が自分の代わりにと連れて来た新しい執事であるフォレスだった。
「ケイトさん、確かに顔色が悪い。今日は休んでください。代わりの人間は手配しますので。レイン様もミア様も、ケイトさんが心配で仕事が手につかなくなっては困ります」
フォレスは淡々とした口調で、一見冷たく見えるが、きちんと家の隅々まで目をやり、使用人たちのこともよく見ていた。その仕事ぶりに、早々にサムフォード家の使用人たちからは信頼を勝ち得ていた。
「わかりました」
仕事はできるのに。ケイトはそう思ったが、レインとミアの迷惑になると言われてしまえば、引かざるを得ない。ケイトはぺこりとお辞儀をすると、なぜか一緒に歩き出したフォレスと共に居間を辞す。
扉を静かに閉めると、フォレスがケイトと共にまた歩き出す。
「フォレスさん、何か話があるんですか?」
フォレスがケイトについてきている理由が他に思いつかなくて、ケイトはたずねる。フォレスは前を見たまま口を開いた。
「ここではちょっと。ちょっと廊下の隅でいいですか?」
「……はい」
廊下の隅でする話など、説教しか思いつかなくて、ケイトは心の中で少しだけため息をついて仕方がないと納得した。大きなミスをしたつもりはなかったが、体調が悪いまま仕事をして、雇い主に心配をかけるなど、使用人のすることではないとも思う。フォレスに苦言を呈されるとしても、当然のことかもしれなかった。
「ケイトさん」
声を潜めるフォレスの表情は、ケイトを心配しているように見えた。いつも表情のあまり変わらぬフォレスにそこまで心配をかけていたのかと、ケイトは反省する。
「心配をかけてごめんなさい」
「ええ、それは気を付けていただきたいんですが、それよりも、貴方、妊娠してますか?」
思いがけないフォレスの言葉に、ケイトは何度も瞬きをした。