12話目 蘇る記憶
「もうすぐ生まれるのね」
フフ、とお腹に向かって笑いかけてくるミアに、ケイトはお茶を入れていた手を止めた。
「お腹は大きくなりましたけど、まだ2ヶ月はかかるみたいですよ」
確かにお腹は出てきていたが、いつも動いているのもあってか、そこまで出ているとは産院の先生の見立てはそうだった。
「そうなの。これでもまだまだなのねぇ」
ミアがそっとケイトのお腹を撫でると、お腹の中の赤ちゃんがポコンとお腹を蹴った。
「あ、動いたわ」
ミアが無邪気にケイトを見上げた。ケイトは笑って頷く。
「ミア様に撫でてもらうと、嬉しいみたいです」
実際、ミアに話しかけられたり撫でられたりすると、赤ちゃんは喜んでいるように動き回った。それにお腹も固くなることはない。
ケイトの心情も影響しているかも知れなかったが。
「ところでケイト。最近は、色々言われることはない?」
誰が、とミアは言わなかったが、ケイトは一人しか思い付かなかった。そして、頷く。
ミアがホッと息をついた。
あの後、ケイトはサリーが色々と言っている場面にも会わなくなったし、直接言われることもなくなった。だが、嫌な視線を時おり感じて振り向くと、決まってサリーににらまれていた。
何かをされるわけでもないために、対処のしようなどない。放っておくしかないと、ケイトは諦めていた。
***
新しい毛糸を探しに行こうと、屋敷の外に出たケイトは、建物の陰にサリーがいるのに気づく。サリーを見るだけでドキリとするのは、今までの関係性で仕方のないことなのかもしれない。サリーはサムフォード家の人間ではない男と何かを話していた。
サリーがプライベートで何をしているのかについて興味もないケイトは、そのまま通り過ぎようとした。
が、嫌な視線を感じて振り向く。
サリーがケイトを見ていた。でも、それだけじゃなかった。一緒にいた男もケイトを見ていた。その視線のねちっこさに、ケイトは一瞬で鳥肌が立つ。その視線は、以前感じたことのあるものだった。
まさか。
ケイトの嫌な記憶が刺激される。
そんなはずはない。ケイトは一生懸命自分の頭の中に浮かんだ可能性を否定する。
ケイトは二人の視線を振り切って歩き出す。
気のせいだ。
そう信じたかった。
ここはサンクックの街ではない。遠く離れた王都だ。
ただ、あの視線がケイトの嫌な記憶を刺激しただけなのだと、ケイトは自分に言い聞かせる。
前を向いて歩く。サムフォード家で雇ってもらえることが決まってから、ケイトが心に決めたことだった。
過去の嫌な記憶に支配されたくはなかったからだ。
ケイトは歩きながら、おびえている自分に苦笑する。クリスには大体乗り越えたと言いながら、実はまだ消化しきっていないのだと。
それに、あんな視線を感じることは、別に初めてなわけではない。自分を値踏みするような視線は、もっと若いころにはもっと感じていたし、年を重ねて行って、しかも妊婦には早々向けられることのない視線だとしても、ゼロではなかった。
多分、一緒にいたのがサリーだったから、嫌な気持ちが増幅してしまったのだと自分を納得させた。
それでも店まで行く道すがらは鬱々とした気分は晴れなかった。だが、店について色とりどりの毛糸を見ながら、どれを買おうかと悩んでいる間に、ケイトは嫌な気分を忘れていた。
毛糸を買った帰り道には、次に作るベストの色合いを頭の中で考えながら、心は弾んでいた。
もうすぐ屋敷だ、と思った時だった。
「ケイトじゃないか、久しぶりだな」
ぞわっとケイトの体中に鳥肌が立つ。
固まったケイトの前に出てきたのは、先ほどサリーが一緒にいた男と同じ服装をしていた。
そして、ケイトはその男に見覚えがあった。
15年前。サンクックの街で。
「お前がいなくなったって、親父さんが心配していたぞ」
ニヤニヤとケイトを見る男は、ケイトを買いたいと父親に申し出ていた男だった。
「お前、サムフォード家で働いているんだって? 親父さんも知ったら喜ぶだろうなぁ」
ケイトはハッと我に返る。
「あの、どなたかと間違ってはいませんか?」
ケイトはしらを切りとおすことに決める。ケイトがサンクックの街からやって来たことを知っているのは、今ではレインとミア、そして既に辞めてしまった前執事の3人だけだ。
他の使用人たちには出身地は言ったことはなかった。
「間違えるもんか。そのグリーンの瞳は、相変わらず綺麗だな」
頬を撫でられて、ケイトはぶるりと体が震える。
お腹がぎゅっと固くなって、ケイトに痛みを与える。ケイトは耐えられなくなってしゃがみ込む。
「おいおい。どうしたんだ?」
男もしゃがみ込んでくる。
「何なら、俺が介抱してやろうか?」
その声には下衆な響きがあって、ケイトはキッと男を睨みつける。
「必要ありません」
だが、男はニヤニヤと笑う。
「そうそう、その反抗的な目が気に入ったんだよな……その目を絶望に染めたいって」
ケイトは逃げ出してしまいたかった。だが、痛むお腹のせいで、動き出せそうにもなかった。
「ケイトさん、大丈夫ですか?」
「ケイトさん、無理をされないでください」
ケイトは聞きなれた二つの声にホッとする。
「何だ、お前たちは……」
男がたじろぐのも仕方がないかもしれない。何しろ相手は男二人だ。
「私はサムフォード家の執事をしております」
一人はフォレスだった。
「私はクォーレ公爵家の騎士だ」
そして、もう一人はサムフォード家の客人の護衛役のジョシアだった。
男は慌てて立ち上がると、足早に去って行った。




