1話目 顔面蒼白な朝
顔面蒼白。
その意味を理解したのも体験したのも、ケイトは初めてだった。
うっすらと意識が浮上するとき、肌にかかる布の感覚がおかしい気はしたのだ。
目がはっきりと覚めて、見えた天井に戸惑う。
でもここ最近、ケイトは住み込みで働いていた職場が変わりこの違和感は毎日のことで、何らおかしいことではなかった。
おかしいのは、隣にある人の気配と、どうやら何も身に付けていなさそうな自分の格好だった。
恐る恐る隣を見る。どう見ても、自分より若く見える男性がいた。
明らかにおかしい。
ケイトは30になるが、結婚はしていなかったし、付き合っている相手もいなかった。
この国では立派な行き遅れではあったが、そもそも仕事に生きると決めていたケイトには何も困ったことはなかった。
むしろ、今の状況の方が困る。
たぶんだが、相手はこの寮に住むクォーレ公爵家の騎士だろう。
そして使用人たちと騎士たちが混じる寮の中で時おりそんなハプニングが起こるとも聞いてはいた。
だが自分とは無関係だと思っていたし、実際独身の中で若いとは言えないケイトには声がかかることはなかった。昨日の記憶がある時間までは。
昨日元の職場に戻ることが決まったケイトは、仲良くなっていた数人と別れの酒盛りをしていた。無論、女性だけで。
その先の記憶がなかった。
酒に弱いつもりはなかったが、急に職場が変わり、そしてまた急に職場が元に戻ることになったことで疲れと気の緩みから酔っぱらってしまったのかも、としか思えなかった。実際二日酔いとは言えそうになかったし、意識もしっかりしている。だからいつも通り夜明け前に目が覚めたんだろう。
対する相手は、酒臭かった。たぶん存分に酔っぱらっていたんだろうし、たぶん二日酔いだろう。
ケイトが身じろぎしても意識が浮上しない辺り、騎士としてどうなのかとは思うが、この国は概ね平和で、キリキリしていなくともいいくらいなんだろうと、ケイトは納得する。
ケイトはそっと起き上がると、ベットから降りた。
今日は元の職場であるサムフォード男爵家に戻るため、クォーレ公爵家での仕事はもうなくて、本来ならこの時間に起きる必要はない。だが、今日はこの時間に起きれたことが幸いだった。
身に付けていたものを元のように身に付けると、ケイトは部屋をくまなくチェックする。いつもならごみが落ちていないか、ものの位置がおかしくないかチェックするが、今はケイトの痕跡が落ちていないかをチェックしていた。
致した痕跡を示すもの全てを処分するつもりで、ケイトの目はじっくりと部屋の中を見回した。
ようやく納得したケイトは、ベッドのなかで気持ち良さそうに眠る男性を見る。
目をつぶる姿に、なにか記憶を刺激されたような気がしたが、男性の眠る姿を見るのが10年ぶりくらいになるケイトは、首をふって気のせいだと吹き飛ばした。
こうなってしまった責任は、この男性だけではなくて、ケイトのせいでもある。だから別に男性を責めたい気持ちもなかった。
ただ、この男性がこのことを忘れ去ってくれているといいな、という気持ちしかない。
だからこそケイトは痕跡を残さないように必死になっている。
ケイトにとってはロマンスなんて、夢物語だと思っている。
そんな夢物語を必死で追うより、サムフォード男爵家のために働いている方が楽しかった。
だから、もう一度サムフォード男爵家のために働けると知って、ケイトは二つ返事で答えた。たぶん、他の使用人たちも同じ気持ちだろう。
だから、クォーレ公爵家に憂いを残していきたくはなかった。
きっとこの酔っぱらいは、この出来事を夢だと思ってくれるに違いない。そう信じてケイトは扉に手をかけた。
「んん、リズ……俺も好きだよ」
男性の寝言に、ケイトはほんの少しだけムッとした。でも、本命がいるのであれば、本当に一夜限りの出来事のつもりだろうとホッともしていた。これで憂いは何もない。
ケイトは扉をそっと開けて、人がいないか確認して体を廊下に滑り出させると、またそっと扉を閉めた。
そして、何事もなかったかのように自室へ急いだ。