聞いてないよ!!【プリシラ視点⑥】
なんかそれからはもう、なにもする気が起こらず……部屋に戻った私は、待ち構えていたクラリッサにされるがままだった。
風呂は貴族であれ、自分で入るのがこの国では普通だ。洗われる文化とかがなくて本当に良かったと思う。
だが、風呂からあがった私を待ち受けていたものは、クラリッサのマッサージ。
前世で読んだような、物語に描かれている『香油を使ったマッサージでお肌ツルツル♪』みたいのとは……違う。
「ギャー! 痛い痛い! ……なんか変な音してるからァ!!」
「もう少しの辛抱です」
クラリッサのマッサージは恐怖の整体マッサージである。
確かに小顔効果とかはあるのだが、とにかく痛い。
幸か不幸か惨めな気持ちに浸っている余裕などなく、終わった時には息も絶え絶えでグッタリとベッドに横たわっていた。
(今回見合いを断ったとして……また見合いの度にこれがあるんだろうか……)
もうなんだか受けてしまってもいい気すらしてきた。
ぐったりした私を残し、クラリッサは照明を消して退出する……そのまま就寝しろという流れ。
無音。寝返りをうつとベッドが少しだけ軋むのと、シーツがすれる音。……全く眠れる気がしない。
(──ベルナルドとジェラルディーン様)
もしふたりがお付き合いをしているのだとしたら、私があの事を暴露したことによって、迷惑がかかるかもしれない。
ベルナルドは自業自得だが、ジェラルディーン様はお気の毒……
(……あれ? でもジェラルディーン様って王子妃候補じゃなかったっけ?)
王子よりもヤツを選んだのか?
それとも……火遊び!?
(どちらにしても重い事実を知ってしまった……!!)
これは言えない!
名前を伏せたところで、調べられたらすぐわかるはずだし!!
……私に高位貴族の男の知り合いなんて他にいないからな!
(ううう……それにしても)
超 モ ヤ モ ヤ す る 。
ジェラルディーン様の事を考えると報復ができないのが悔しい。やはり、さっきワンパンかましとくべきだった。
なんであんなチャラ男の為に私が悩まなくてはならんのだ。
そして……
何故私は泣いているのかっ!!
気が付いたら枕がビタビタだ。……余計に眠れない。
これは虚仮にされた悔しさに違いない。
(……もういっそ、婚約してしまおうか)
──ただし、相手が『ふたりきりのときには眼鏡をかける』と約束してくれるナイス☆ガイだった場合に限り。
そういえば、私は生粋の眼鏡萌え属性なのだから……眼鏡をかけてさえくれれば問題はない筈だ。
性格の不一致は置いとくとしても、私の為に眼鏡をかける約束をできる人間ならば、情は交わせるのではないか。
必ず似合う眼鏡をチョイスできる自信はある。よっぽど生理的に無理とかでなければ大丈夫だと思う。……多分。
私はここにきて初めて、見合いを前向きに検討する気になった。
むしろ、何故今まで頑なに逃げる気でいたのかわからない。
……
…………
…………わからない。
わからないったら、わからない!
とにかく…………アイツが全て悪いんだぁぁぁぁ!!!
もしヤツが眼鏡を欲したとしても、そしらぬ顔で『きゃっ!』と尻で踏み潰し、粉々に破壊された眼鏡を渡しながら『アラごめんなさ~い、ハズ○ルーペだと思ったら違ってたわ~』と言ってやるんだ!!
眼鏡標準装備民にとって『眼鏡は顔の一部』である。場合によってはもう『本体』──これ程屈辱的なことはないだろう。
ベルナルドが眼鏡を必要とすることなどないことはわかっている。魔力量高いし。
だが私は、眼鏡をかけたヤツの眼鏡を容赦なくぶち壊す想像を繰り返し……ようやく眠りにつくことができた。
翌朝は、目が腫れて顔がむくんでしまった。
再びクラリッサの超痛いマッサージを受ける羽目になる私。
……ベルナルドなんて大嫌いだ。
マッサージ後。上品な服や小物、クラリッサによって整えられた髪と化粧によって、私はそれなりに貴族令嬢っぽくなった。
迎えに来たお父様の後ろについて、応接間まで廊下をしゃなりしゃなりと歩く。
その姿は悲壮感を醸していたらしく、クラリッサが珍しく優しい口調で声を掛けてきた。
「泣いてらしたのですか?」
「……泣いてない!」
「お嬢様……大丈夫ですよ。 不安になるのは普通のことです」
「……クラリッサ?」
正直なところ、彼女のあまりの優しさに戸惑いを隠せない。同じ台詞でも『だからオタオタしてんじゃねぇ!』みたいな、檄に似た響きを纏うのが通常なのだ。
表情も柔らかい笑みを湛えている。
困惑する私に、そんな表情と口調のまま、彼女は続けた。
「ご婚約者との初対面なのですから」
「────」
(……今なんつった?
え? 今この人なんつったの?)
──衝撃の事実。
しかし、時既に遅し。
教訓1:人の話はちゃんと聞きましょう。
教訓2:手紙はちゃんと読みましょう。
脳に再生される、そんなフレーズ。
なんとなく、機械的な声で。(※siriっぽい声)
とりあえず……甚だしく今更であることは間違いない。
半ば放心した状態で席に着く。
相手は後から来るものらしい。
(でもまあいいや……相手が眼鏡をかけてくれるなら、それで)
これで諦めが…………
………
………いや、
『 諦 め 』 っ て な ん だ よ ?!
心臓が突如ザワザワする中──
外で待機していたクラリッサがお父様に声を掛けた。
「──プリシラ」
「はっ……はい!」
えっ、ちょっと待って?!
なんか無理な気がしてきたんですけど!
お父様に呼ばれ惰性で返事を返してしまったが、なんかもう冷静ではない。
逃げたい気持ちで慌てて立ち上がった私は、立派な一枚板のテーブルの太い脚に思いっきり弁慶の泣き所を強打した。
「────っっ!!!!!!」
これは痛い。
そりゃ弁慶も泣くわ!!という痛さ。
そんな私に構わず、相手方の面々は入ってきたようだ。声すら出ずに蹲る私は、顔を上げる余裕すらないのでわからないが。
「御足労頂きありがとうございます。 ブレンダン様」
「こちらこそ、遥々お越しいただき恐悦至極……ふふ、堅苦しいのはやめないか? ニコ。 君とは友でありこれからは親戚…………ところで、
プリシラ嬢は大丈夫かね?」
クラリッサが引き上げてくれた私の『貴族令嬢度』はいきなりだだ下がりだ。
お父様は気付いていなかったようで「えっ?!」っという声を漏らすのが聞こえる。
……正直申し訳ない。
なんか色々申し訳ない。
「──プリシラっ!!?」
「ッッ!?!?!?」
この声は──
「脚?! 大丈夫?」
ベ ル ナ ル ド 。
私の脳内は真っ白になった。
「見せてみ……」
「──……ふ」
「ふ?」
「っざけるなぁぁぁぁぁ!!!!」
立ち上がった私はそう叫び……
姉の婚約者であり優秀な騎士・パトリック仕込みの右ストレートを炸裂させ、その場から逃走した。