小さな腕の代償 ①
カフラスを見つけた2人は直ぐに駆け寄り、死んでいる男をジッと凝視して、身元を探る。
「カフラス! こんな所にいたのか」
「誰だ? コイツ……」
「腐敗してて、よく分からないんだ」
死後、数日は経っているであろうその死体は物凄い異臭を放ち、内臓は何者かによって抉り取られていた。恐らくはバケモノの仕業であろうと察し、傷口を見つめるカフラスに2人が歩み寄る。
「何者なんだ?」
「制服からして、政府の人間だな」
男の身体は至る所を欠損しており、黒色の教団服はビリビリに切り裂かれていたものの、胸元には教団の印が刻まれていた。十字架に2匹の蛇が巻き付いた、8つの星が輝く──星騎士の勲章。
世界政府『星十字騎士教団』のシンボルマークだ。
「教団の人間って事か?」
「恐らく、この印があるって事はそういう事だろう」
アレクの質問にカフラスが男の胸に輝く勲章を手に取って見せた。そして、その勲章を制服から剥ぎ取るとその他にも何か手掛かりとなるモノがないか、男の制服を物色し始めるカフラス。
足元には男の所持品と思われる黒いカバンが置いてあり、フロドがそっとそのカバンに手を伸ばす。男に近づくと鼻を刺す様に強烈な異臭が2人の鼻腔を刺激した。
「う゛っ……」
「異臭が凄いなぁ」
鼻を摘みながらカフラスが男の懐を漁っていると、内ポケットから銀のプレートが出てきた。そして、フロドは男のカバンに手を入れ、中身を全て取り出すと近くにあったテーブルに、それらの遺留品を並べ始める。
使い道の分からない小さな機器が4つと革の手袋に懐中時計。食べかけのリンゴと青い半透明な錠剤が入った小さな容器。それに3分の1程度、飲み干された水入りの水筒と、無造作に入れられていた数枚の硬貨が並ぶ。
カフラスが見つけた銀のプレートには“フレデリック=マシュー・ボールトン”と記され、どうやらかなり身分の高い人物であったようだ。その爵位は伯爵に属し、つまりは王族の側近であったという事。
貴族階級の中でも第二位にあたる伯爵のこの男は、この国の主要人物であったのだろう。
「伯爵が何でこんな辺ぴな森の奥に?」
「さぁな……。荷物からして、何かしらの調査か、極秘任務って所だろうな」
「星騎士、それも“四大天”の1人だった事は明白だね」
カフラスが男の素性を推察し、さらにフロドが明確な事実だけを述べる。
伯爵は地方都市の主要部を統治し、国境での貿易や他国からの防衛に遵守する貴族として知られていた。
さらに、教団に属しているこの男が、その爵位を与えられているという事実は、東西南北に点在する星十字騎士教団の四方統括支部に属し、その支部の室長であったという事。
教団の印に銀のプレート、それらはおおよそこの男がどのような人物であったのかを知るには十分すぎるモノであった。
「──って事は、こないだ見た四大天の1人か?」
「そう言われれば、似た人物がいたような気もするな……」
アレクの発言にカフラスが記憶を辿っていると突然、上の階から鼓膜を切り裂く様な、奇怪な声が聞こえてきて、3人の背筋を強烈に凍らせる。
あのバケモノだと即座に理解した3人は、咄嗟にレイスとダンの身を案じ、2人がいる上の階へと向かって走り出した。
* * * * *
「逃げるぞっ! レイス!」
≪キャァァァッアアアアアアアアアアアアアアア──≫
ダンの掛け声と共に走り出した2人は後ろも振り返らず、一目散にロビーを目指してひた走る。
バケモノは逃げる2人の背後で、バタバタと不気味に足音を立てて追いかけて来ていた。その足音は、むしろ次第に迫りつつ、すぐ真後ろをバケモノが追いかけてきている事実に、ダンの表情が次第に絶望へと染まってゆく。
「もうダメだ! 追いつかれる!」
「ダン、重力操作!」
階段に差し迫ろうとしていた、その時だった。レイスが手を伸ばして、おもむろに叫ぶ。
ダンは言われるがままにレイスの手をとり、2人の重力を半減させるとレイスにその身を寄せた。すると、レイスは両足に霊素をまとわせて、一気に床を弾いた。
まるで、その跳躍はバネのように床から壁へ。壁から階段へ。瞬く間に1階ロビーへと辿り着き、奥の廊下からちょうど飛び出してきた3人をその目の端に捉える。
「──森へ! 走れぇ!」
レイスが叫ぶと同時、バケモノがその背後に差し迫っている光景を目の当たりにした3人は、反射的に走り出す。しかし、フロドだけがバケモノの方へと方向を変えて走り出した。
レイスが駆け抜けて行くその後ろで、冷静に冷気を発しながら瞬時に身構える。
(状況は最悪だ。一番足の速いレイスですら、ダンの重力操作でギリギリのスピード。確実に俺ら3人は逃げきれない。カフラスとアレクは森へ向かって走り出したが、一分一秒でも長くあのバケモノを足止めして、時間を稼がなければ恐らくは──全滅もやむなし。俺がバケモノを止めて、ここから全員を逃がすしか、手立てはないっ!)
「フロド!」
「先に行け! 奴はここで俺が鎮める!」
レイスが振り返ると氷塊が壁を隔て、バケモノの行く手をフロドが遮っていた。全身から物凄い冷気を発して、両手を床につけているフロドは、完全に部屋を二分する。
「──フロド、上!」
「はっ!?」
しかし、フロドが上を見上げたその時、隔たれた氷壁はいとも簡単に砕かれ、バケモノがフロドに襲い掛かった。
咄嗟に左手を構えたが、鋭い爪はフロドの顔面と左胸部を抉り、眼鏡は砕かれ、左手もろともフロドを切り裂いた。
鮮血の血しぶきをあげて倒れ込むフロドに、再びバケモンが襲い掛かろうとした次の瞬間──硬化したカフラスがフロドとバケモノの間に間一髪のところで飛び込み、バケモノの爪を受け止める。
「フロド、しっかりしろ!」
咄嗟に動いたカフラスに続いて、アレク・レイス・ダンもバケモノの元へと引き返す。
「コノヤロー! ぶっ殺す!」
「よくも、フロドをっ!」
「カフラス、そのままおさえてろ!」
その隙にアレクが背後に回り込み、バケモノの背中に強烈な爆炎を一撃。立て続けにレイスが霊素をまとった両足で、回転するようにバケモノの足元を崩すと、ダンが重力波で頭上から抑え込む。
その連携はまさに日頃の訓練による賜物であり、バケモノに反撃する間も与えやしない。
すぐさまカフラスが態勢を立て直し、ダンの重力波を利用してバケモノの頭上から、硬化した両腕の連撃を打ち込む。
「くたばれぇや! このバケモノがッ!」
床は粉々に砕け散り、カフラスが立っている辺り一帯が陥没していた。さすがに死んだかと思えたバケモノが、ピクリとその指を動かした次の瞬間の事である。
バケモノはカフラスの背後に一瞬で回り込み、ニンマリと不敵な笑みを浮かべて立っていた。
そして、カフラスの両足を豆腐のようにスパンッと軽く切り裂き、首元にその鋭い牙を突き立てて、いとも簡単にカフラスの首を喰い千切る。
ツーブロックの頭が喰い千切られている間際、カフラスと目が合っていたレイスは、目の前で一体何が起こったのかすらも理解する間もなく、カフラスの頭が血飛沫と共に宙を舞った。
ぐったりと崩れ落ちたカフラスの身体を見つめ、バケモノが腸を貪り喰っているその光景に、絶望という名の傷みを知る。
「カ、カフラ……ス……」