憂鬱な雨が響く頃 ⑤
メルティの誘いに揺れ動くジョゼフは、悪意ではなく仲間を助ける為に──その勇気ある1歩を踏み出した。
研究室で目覚めて以来、脳裏に焼き付いたままの第2試験。そこで見たモノは、嫉妬に狂う己が姿であった。
死に際で他者を怨み、目覚めた後に悪意が己を支配していたのだろう。
妬み嫉みが募り、狂気に我を忘れた。
そんな、自分が嫌で……ただ、それだけの理由で他者に対し、優しくせざるを得なくなっている。
自分を犠牲にしようとも、人を助け──必ず守り通す。
それがジョゼフの下した決意である。
「お前達の仲間になるつもりはない……だが、コチラの条件を呑む気があるのなら、俺は大人しく着いて行くと約束しよう!」
「条件? コイツらなら殺さないさ、心配するな。俺らはこの娘とお前さえ手に入れば、それでいい」
「ジョゼフ、急に何を言ってるんだ!」
「そうだよ! 私達の為にジョゼフが犠牲になる……必要なんてないよ」
ラファロに歩み寄るジョゼフの肩を掴み、フリッツとハンナが踏み止まる様に説得をしていると、リファネスが2人の腕を不意にそっと掴んだ。
現実的な判断であるにも関わらず、その判断はあまりにも身勝手で、薄情にさえ感じる。
「ジョゼフ……すまない。あんな怪物達に適う筈もないんだよ。俺達みたいな雑魚が生き残るにはこれしか……これしかないんだって! 2人共、分かっているだろ?」
「あぁ、分かってるよ! けど……」
「私だって死にたくない! だけど……ジョゼフを犠牲に生き長らえても、生きた心地がしないと思うんだ」
「2人共、大丈夫だよ。俺は別に死ぬつもりも、アイツらの仲間になるつもりもない。俺が着いてゆく事でお前達が助かるのなら、それ以上に望む事はないさ」
ジョゼフは満面の笑みで3人を抱き締めた。
別れを告げるその腕からはジョゼフの覚悟が窺い知れるけれど、ジョゼフが助かる保証はどこにもない事を3人は理解している。
溢れ出しそうになる言葉を呑み込み、強く拳を握り締めながら、立ち去ってゆく勇敢な背中を見詰め続ける事しか出来ない。
「利口な選択だな。まぁ、時期にお前も罪に溺れるさ」
「悪意は誰の心にも住まうモノ……僕らだけが特別という訳じゃないからね。君が今回、こういう選択をしなくとも何れは僕らを……いや、あのお方を求める様になっていただろうからね」
「御託はいい……連れてゆくのなら、さっさとしろ。直に星騎士達が戻ってくるぞ」
ジョゼフは振り返らず、ただ静かに立ち去ろうとしていた。ラファロに担がれたメファリスを見詰め、陽気に鼻歌を奏でるメルティの背中を黙ったまま着いてゆく。
すると、少しして2人は徐に立ち止まった。
「どういうつもりだい?」
口を開いたメルティの目線に目を向けると、そこには満身創痍で立ちはだかるレイスがいた。
「ミアを……離せ」
すると、挟み込む様にしてアレクとランドールも、ジョゼフ達の後を追って来ている。
「メルティ……コイツら、殺すぞ?」
「レイス、君は何がしたいんだ? 皆の命がどうなっても構わないと言うのかい? 僕らが与えた慈悲を無下にするなんて、本当に死にたいのか?」
「そうだぞ! 少しは冷静になれ……お前が今、足掻いた所で現状は悪い方へしか転がらない。ここは俺が穏便に済ませておくから、大人しく引き下がれ!」
ジョゼフの説得さえ、レイスの耳には届かない。
アレクとランドールは恐らく、レイスを案じての行動だろう。しかし、レイスに至っては完全に殺意を剥き出しにしていた。
「その手を離せ……ロブの意識がまだ、ミアの中に居るんだよ。連れて行かれる訳にはいかないんだ!」
そう告げるレイスは敵意を露わにして、トンファーを身構える。
経験則から観ても敵わないと知りながらそれでも尚、立ち向かわずにはいられない。
「ロブも、ミアも、お前達には渡さない!」
「メルティ……少し変われ。数分で確実に殺す」
そういうとラファロはメファリスを放り投げて、一瞬の間にレイスの目の前へと駆け寄った。
「……なっ……!?」
「──つまらねぇ意地張って、死ねや糞ガキ!」
ラファロは能力を使う事もなく、一方的にただレイスを嬲り続けた。
その頃、戦意を失ったフリッツ、ハンナ、リファネスは負傷したセラとリズベット、それに瀕死の状態であるコーデリヴァスの手当で精一杯な状態である。
それに、ジュリアやレジナルドに至っては意識さえない状況下で、アレクとランドールはメルティの怪蟲に阻まれ続けていた。
「レイス! もうやめろ! お前が……お前が死んじまうぞ!」
レイスは1人──闇雲ながらにラファロへと立ち向かい続けるが、まるで歯が立たっていない様子である。
「何を今更、俺はコイツを殺すと言っただろう……何度立ち上がろうと同じ事だ。貴様の戦意が消えた瞬間、その命を無慈悲に摘み取る」
「だから……どうした。僕はまだ……生きてるぞぉ!」
レイスの発した殺意は一瞬──ラファロを気負いさせ、ほんの少しの隙が生まれた。
偶然の産物にしても余りに限られた一瞬の隙をレイスは見逃さない。コンマ数秒の隙でラファロの視界を掻い潜り、懐へと飛び込むレイスは渾身の一撃をトンファーに集約していた。
「──穿て! 黒龍!」
レイスがトンファーの名を叫んだ瞬間、武器は霊素を吸収し、まるで意思を孵すようにその形状をレイスの腕に纏わせる。
黒い龍の如く──右腕はラファロの腸を穿き、レイスの右肩からは黒翼が生えていた。
「星衣武装……だと」
「何だよ、アレ!? まだ、因子が体内に……」
ランドールはレイスの姿に驚いていたが、アレクはその力を知っていた。
「違う、あれは星衣武装だ。星騎士の所謂──臨界点。武器が意思を持ち、主を認識した状態だと言われている。武器は常に術者の霊素を纏っているからこそ、その意思に応える事が稀にあるんだ」
「レイス……君は危険過ぎる。壊れた機械と同じ様に君はまるで、制御が機能していない様だ。恐怖も、死でさえも君には干渉しえないのだろうね……それは、人として余りにも欠如していると言えるだろう」
「ふざけんなっ! テメェは絶対に嬲り殺す! 死んでも殺す! この糞ガキだけは……」
腸を穿かれたラファロは激怒に震え、全身を黒紫色へと覆い、本来の姿へと変貌を遂げる。それは、まるで悪意に満ちた怪物。
血に飢えた獰猛な獣……堕天。
意志を感じる上にその姿かたちは、今までに戦ってきたモノとはまるで別格である。
「殺す……その血肉を喰い千切る……そして、俺の贄となれ!」
既にボロボロのレイスは渾身の一撃を放った後、意識を失っていた。今までに見せた事もない力を使った反動もあり、ピクリとも動かずに固まったまま。
そして、まるで人形の様に佇むレイスを無慈悲に弄ぶラファロは怒りに身を任せ、ジワジワと嬲り殺そうとしていた。
頬や腕、足に背中を薄く切り裂き、死なない程度に出血させると、ぐったりとしたレイスの身体を殴り飛ばす。
空中に舞がったレイスは、無抵抗に嬲られ続けるだけ。
ラファロの良いように殴られるサンドバッグ。
辺り一帯がレイスの血に染まり、生きているのかも定かではなくなっていた。
「や、やめろ! もう……やめてくれ……」
「やめる訳がねぇーだろ! コイツだけは確実に殺すんだからなぁ……俺の腹に風穴を空けた代償はそのちっぽけな命で償えや!」
ランドールがいくら懇願しても、意味はない。
アレクはその無意味さを……無慈悲な世界を知っている。この世は、誰も助けてはくれない。
自らが抗わない限り、現状は何も変わらない。
その力もなくば、失い続けるだけだ。
これまでに多くを失い……そして、レイスも助けられないのだと悟ってしまった。
誰も……救えない。
「これで最後だッ! 死ねや糞ガキ!」
ラファロの鋭い爪がレイスの喉元へと向けられた次の瞬間、その殺意とは裏腹にラファロの身体が固まっていた。
氷結に降り注ぐ、銀箔の雪化粧……気温は急激に下がり始めて、吐息は白く染まっている。
「──レイスに何をしてんだよ……クズがッ!」
氷雪に姿を現した黒髪の少年は氷の様に冷たく、レイスの髪色の様な金色の眼差しで、ラファロを睨みつけた。
レイスと同じピアス、右手の義手。
左目には大きな傷痕のある少年が唐突に現れて、レイスの窮地を救った。




