憂鬱な雨が響く頃 ②
迫り来る堕天を背に走り続けるコーデリヴァスは、死に物狂いでレイス達の元へと向かっていた。
それは自身が助かる為でもあったが、それ以上にこの施設内部に於いて、自身を含めた新兵の他に誰も居合わせていないという事実に寄る所が大きい。
更にエニスを殺した2人の怪物の存在を知ればこそ、その事実を皆に伝える必要があると考えていた。
エニス大将の死を目の当たりにしたコーデリヴァスにとって、全てが裏目に出ている様にさえ感じる。
(今すぐこの施設から逃げ出さなければ、確実に……俺達は全員、殺される!)
背後には物凄い形相で奇声を上げている3匹の堕天達が涎を垂らし、血走った紅蓮の瞳でコーデリヴァスを追い続けていた。
背筋を刺す様な──悍ましい殺気。
それは恐らく、その3匹の背後から発せられている異様な殺意。
得体の知れない、2人の怪物から向けられている威圧的な恐怖そのモノなのだろう。
追いかけて来ている様子はないものの、何処まで走り続けても距離の変わらない殺意にコーデリヴァスは剣を握った手が震えていた。
(堕天だけでも、片付けておくべきだろうか……あの2人が追って来ていない今なら、殺るべきだろう!)
意を決したコーデリヴァスはタンッと、進行方向を背にして、振り返る様に背後へと跳んだ。
そして、迫り来る堕天達の動きを見極めてから、着地と同時に堕天達の方向へと地面を弾く。
抜刀しながら3匹の横を華麗に通り過ぎ、静かに剣を納めた。
「灰と散れ──葬炎廻」
コーデリヴァスが鞘に剣を納めた瞬間、斬られた堕天達が同時に発火して、蒼い炎に全身が包み焼かれてゆく。
「……ッ……!?」
その瞬間、殺気はゾッと背筋を刺す様にして不気味に膨れ上がり、喉元を握り締められているかの様にコーデリヴァスの呼吸を荒立てさせる。
一瞬で恐怖に足が竦み、動かなくなった自身の足を反射的に殴った。
(動けッ! 走れッ! 立ち止まったら殺されるぞ!)
恐怖に自らを奮い立たせ、再び走り出したコーデリヴァスは外で今、正に最悪なシナリオが動き出している事実をまだ知り得ない。
それは……出口に近づくに連れて、次第に感じ取っていた違和感でもあった。
馴染みのある仲間達の気配に混じり、混濁する異質な存在が──悪意に満ちた憎悪が──肌を刺す。
* * * * * *
その頃まさに、外ではメファリスが繭から目覚めようとしていたのだった。
強まる鼓動、溢れ出す悪意は近づく者の心臓を抉る様にして……誘惑的に漏れ続けている。
悪夢へと誘う様に……メファリスの意識は混濁の中に存在し続けているのだろう。
虚ろな悪夢の中で独り、少女は彷徨い──嘆き続ける。
(私に帰る場所なんて……きっと、もう無い……)
未だ家族を喰い殺した罪悪感に心を蝕まれ、行先も分からぬ迷路を歩く。
(許されざる罪を犯し、死ぬ事さえ叶わない私はどうすれば良いの? 何も分からないよ……)
暗闇に揺れる自身の影が不気味に笑い、家族を模して語りかけてくる。
≪食べないで……≫
≪もっと……生きていたかった≫
≪化け物……化け物よ≫
憎悪に塗れた影達は、血塗られた少女を見つめて──泣き笑う。
「いや……やめて! もう、独りにして……」
鳴り止まない悪夢に耳を塞ぎ、走り出すメファリスは影の声が聞こえなくなるまで走り続けた。
壊れてしまいそうな心を懸命に抱いて、身を隠すメファリスはまるで幼少期の様に幼い容姿へと変わりゆく。
「はぁ……はぁ……知らない。私は何も悪くない……」
『それはあまりにも、傲慢だよ』
不意に現れた小さな影に戸惑うメファリスは、その見慣れない幼女を睨みつけた。
「アナタは誰? 私の世界に入って来ないで!」
パトリシアの姿を模した影は虚ろに笑い、少女を嘲る様に歩み寄る。
「来ないでッ! 私に近づかないで……」
『傲慢……君は実に傲慢だ。如何に自らを正当化しようとも、君の罪は消えやしない。童の因子に繋がった時点で君は悪意に支配されているのだよ』
その容姿にはあまりにも似つかわしくない話口調で、幼女は語り続ける。
少女を嘲る様に……軽蔑する様に……忌み嫌う様にして蔑んだ眼差しを向けていた。
『哀れよの……コレが童の忌み子かの? これでは他の罪に劣るのも無理はない。君はそうやっていつまでも過去に縛られ続けていればいいさ。新たな肉体を得ても、そのままではあの御方に申し訳が立たぬ』
「あの御方……?」
それは馴染みのある呼び名であった。
あの時、そう呼ばれていた少年を不意に思い出す。
白髪に色白の透けた肌、病弱で今にも死にそうな身体をしながら、紅蓮の瞳だけは底なしの憎悪を感じた。
皆で街へと出掛けたあの日──その帰り道の事である。
すると突然、辺り一面の景色が映えわたり、メファリスは王都の広間に何故か立っていた。
「もっと近くで見ようぜっ!」
「ミア、置いていくぞ! 早く!」
「……えっ!? あ、あれ? な、何で?」
それはあの日の光景であった。
思い出に残された惨劇の前の──淡い記憶。
「ミア、早く! 四大天や星騎士長を見に行こうぜ!」
「どうしたの? 早くしないと見逃しちゃうぞ?」
「えっ、あー……う、うん! そうだね、急ごっか!」
メファリスは淡い記憶の中で、再びあの日の過去を繰り返し始める。
望まない惨劇を繰り返す様に……盛大な戴冠式へと向かっていた。
華やかな王都を巡り、皆の背中を追いかける。
辿り着いた先は高台の見晴らしの綺麗な場所だった。
そして、見据える先には艶やかな式典と厳重な警備体制を敷く教団組織が伺える。
多くの星騎士達を束ねている七星。
地方から出向いてきた大将各の四大天。
中央を守護する精鋭騎士長の面々に、国議最高権力を有する元帥。
そして、戴冠式の主役でもある王の姿があった。
黄金色の綺麗な髪を靡かせて、澄んだ瞳は優しく国民へと向けられている。
優雅に手を振る聡明な出で立ち、それはまだ10代である少女とは到底思えない大人びた雰囲気を感じた。
「第1王女のロリーナ様って俺達とそんなに年も変わらない筈だよな?」
「馬鹿ね、王室の人間と比べてどうするのよ!」
アレクとユアのたわいない会話に皆がクスリと笑い、フロドがその場に腰を据えて語り出した。
高台から見下ろす華やかな景色を儚げに見据え、戴冠式に呼ばれる筈のない自らの身分にため息を吐く。
「はぁ……ロリーナ・S・ウェスタン=ミスト──ウェスタン=ミスト王家の第1王女にして第14代:白霧の王の継承者である彼女は特権階級の信奉者だ。故に彼女が王位を継いだ翌年からは教団組織の入団も一層、厳しくなるだろうな……」
「そっか……合格するなら、今年しかないって事か」
「ダンなら大丈夫だろ? 問題があるのはレイスとアレク位なものだからな! ハハハッ」
「おい! カフラス、テメェまだ言うか!」
「事実は事実よ、受け入れなさい」
「僕は正直、自信なんてない……けど、皆と一緒に居たいとは思ってるよ」
「リアなら大丈夫だ。俺達は全員で星騎士になる! 貴族だとか、特権階級なんて関係ない! 全員に認めさせてやるんだ! そして、次の戴冠式の時には全員で精鋭騎士長の席に座ってやる!」
レジナルドは瞳をキラキラと輝かせ、遠くに鎮座している星騎士達を見据えて剣を抜いた。
「ロブらしい……8人全員で絶対、合格しようね! そして、今度は皆であの場に行こう! 高台から眺めるでもなく、あの華やかな場所で……皆で並ぶんだ! 星騎士として──国の英雄として!」
メファリスは胸を高鳴らせ、レジナルドの見据える夢の果てに期待をしていた。
幸福な未来を……誰も欠ける事のない淡い期待を……。




