黄金色の昼下がり ⑥
コーランド婦人の話を聞いて、レイスの脳裏には嫌な想像が廻る。街へと大人を呼びに行ったレジナルドとユアだ。
2人が星騎士ではなく、一般の大人を連れて戻ったとしたのなら、最悪な事態になり兼ねない。レイスの不安は鼓動を締め付ける様に肥大し、バケモノが再び起き上がる姿を想像してしまった。
「コーランドさんの言う事が事実なら、孤児院に急いで戻らなくちゃ!」
「──レイス、誰と話してるんだ?」
不意に呼び掛ける声に反応して、レイスは振り返った。
「えっ⁉」
1人で話しているレイスの声に戻って来たダンが、蒼白の表情を浮かべて見つめている。レイスがさっきまで話していたコーランド婦人に目をやると、そこにはヤマナラシの杖だけが本棚に立てかけてあった。
「えっ? いや、でも……確かにコーランドさんがここに」
「誰もいないよ……」
「僕は……そんな、コーランドさんは確かに居たよ。ほら、腕だって掴まれて痕が残っているし、きっとどこかに行ったんだ」
「コーランドさんの握力じゃ、そんな痕はつかない。レイス、コーランドさんは恐らくもう……」
レイスの右腕には、クッキリと手形のように痕が残っている。確かに90歳を超える老人の握力ではなかった。
霊素体と呼ばれる幽霊は、謂わば器という制御を失った遺志そのモノであると星教では教えられている。即ち、霊素は意思に基づき、遺志を形づくるモノ。
生命の根源である霊素が肉体を離れて存在するという時点で、その者は死んでいる事を意図していた。死体を見つけなくとも霊素が見える彼らにとって、確認するまでもない事実である。
「あのバケモノに殺されたのかも……」
「寝室を見に行こう。ザック達も、そこにいるかもしれない」
ダンとレイスは2階の廊下を奥まで進み、突き当りの階段を上って3階へと赴く。1階ロビーの明かりをつけた事で吹き抜けの2階までは、その明かりが届いていたのだ。
しかし、3階までやって来るとそこには窓もなく、ただ暗闇だけが永遠に続いているようだった。
2人はその手に霊素をまとい、その薄明かりだけを頼りにさらに奥へと突き進む。まるで、うわさ通りの“幽霊屋敷”は静まり返り、ギィーッと床の軋む音だけが暗闇の中を響かせる。
「慎重に、極力物音は出さない方がいい」
「レイス、いくら何でもビビりすぎだよ。大丈夫さ、バケモノなら俺たちが倒しただろ? あのバケモノはコーランドさんのこの屋敷から来たに違いない。だから、もうここにはいないさ」
クチャ……クチャ……
ムシャ……ムシャ……
クチャ……クチャ……
「…………」
揺れる霊素の微かな明かりに照らされて、レイスの表情が一気に青ざめる。ちょうど廊下の中間あたりまで進んだ2人は、その歩みを止めて音のする方へと明かりを向けた。
何かをそしゃくしているような、そんな音だ。部屋を確認すると、そこはコーランド婦人の寝室で間違いない。今にも飛び出しそうな心臓を抑えて、レイスがその部屋の扉をゆっくりと開ける。
クチャ……クチャ……
ムシャ……ムシャ……
クチャ……クチャ……
部屋は窓ガラスが割れ、玄関先で鳴らした予備ベルも損壊していた。血に染まったレースが夜風に揺らぎ、滅茶苦茶になった寝室の中央でソレは月明りに照らされて、惨たらしくも喰い散らかされた肉塊の傍らにしゃがみ込む。
白髪の骸は既に誰だったのかすらも判別出来ない程の状態で、その頭部を実に美味しそうな表情を浮かべて、ソレが無我夢中に貪り喰っている。
「う゛ッ……」
レイスが咄嗟に背を向け、口を抑えて廊下に飛び出した。
部屋を漂う異臭に、目の前の無残な光景がレイスに吐き気を催させたのだ。ダンも平気そうな顔をしてるけれど、レイスの背中を摩るその手は確かに震えていた。
部屋の中にいるソレは確かに倒したはずのバケモノで、彼らを追ってこの屋敷まで来たのだろうか? そんな憶測を考えながら、ダンはひとまずレイスの容態を優先させる。
「お゛ぉッ……う゛ぇおおおおおぉッ……」
「レイス、ひとまずここから離れよう。バケモノに気が付かれたら一巻の終わりだ」
「ごめん」
「フロド達に合流するぞ」
レイスの腕を肩に回し、そっと立ち上がると背後から微かに吐息が聴こえた。
≪──ハァ……ハァ……ハァ……≫
「……ッ……」
「……えっ……」
部屋から顔を覗かせて2人を見つめている、紅蓮の大きな瞳。
血に染まった鋭い牙がニンマリと吊り上がった口角の隙間から垣間見得る。ボサボサの長い黒髪が、不気味に女性を彷彿とさせており、歪んだ笑顔は身の毛もよだつ不気味さがあった。
視界の端で背後の存在を確認した2人は、その吐息がかかる程の距離に恐怖する。そして、動かなくなった体は次第に震えが増し、背筋が凍り付くような悪寒と共に絶望が2人の背中にドッと圧し掛かった。
≪──ハァ……ハァ……ネェ、アソボウヨ≫
* * * * *
一方、フロドとアレクの2人は1階ロビーの扉を抜けて、奥へと続く長い廊下を歩いていた。
カフラスが1人でふらふらと、どこかへ行ってしまうものだから、渋々2人は各部屋を見て回る事に。大きな洋館は不気味な程に静まり返り、廊下を歩く彼らの足音だけが響いていた。
どこもかしこも部屋はもぬけの殻で、いったいカフラスはどこへ消えてしまったのだろうかと不思議に思っていた矢先。
──カラン、カラン。
奥の部屋から何かが落ちたような、軽い金属音に2人は思わず目を合わせる。音のした部屋はこの屋敷の端にあるキッチンからだ。
その部屋へ急いで入ってみるとそこには、床一面にこぼれ落ちた白い粉と銀色のボールが転がっている。
誰かがお菓子作りでもしていたのか、散乱した白い粉にテーブルの上には卵と泡だて器が置かれていた。更に開封された牛乳や蜂蜜などは無造作に並べられ、その部屋に漂う違和感に2人は、何処となく薄気味の悪い感覚を覚え始めてゆく。
そして、フロドがその牛乳に触れると、何やら難しい表情を浮かべて辺りを見渡すが、2人の他に誰かがこのキッチンにいるという気配はまるでない。
「こぼれた小麦粉に……牛乳がまだ冷たい」
「コーランドの婆さん? カフラス?」
フロドをよそに呼びかけ続けるアレク。しかし、その呼びかけに返事をする者もいない。まるで、さっきまでいた筈の人間が突然、パタリと消えてしまったかのような──そんな不気味さ。
一方でフロドは慎重に部屋の中を見て回る。机にはホコリが積もり、冷蔵庫の中身はほぼ空に近しい。
「どこへ行ったんだカフラスは……この屋敷にはコーランドの婆さんしかいないはずだろ?」
「そうだとは思うけれど? 俺も、よくは知らないからなぁ……」
「フロド、さっさとカフラスを探して2人と合流しよう」
「あぁ、そうだな。嫌な予感がする」
2人が不気味な雰囲気に焦りを感じていると突然、扉を開けた様な“ギィー”っという不快な物音が、部屋の更に奥の方から聞こえてきた。
咄嗟に駆け寄る2人の目の前には、首を吊って腐敗した見知らぬ遺体と、それを呆然と眺めているカフラスの姿があった。