憂鬱な雨が響く頃 ①
灰色に淀んだ空と、更に激しさが増す雨足に──絶望を濡らして、レイスは泣き叫ぶ。
樹木に侵食されてゆくアマンダを前に打ちひしがれているレイスは、既にアマンダではなくなったその機械へ必死に手を伸ばし続けていた。
「あ、アマ……アマンダぁあああぁぁぁッ! 嫌だ! 嫌だぁ! そんな……ダメだ! ダメだよ……こんなのって、こんなの嫌だよ」
指先からは血を流し、絡まる枝を必死に掻き分けようとも、アマンダの意識が戻る事は決して有り得ない。
精密回路にまで入り込んだ樹木は根を張る様にして広がり、アマンダの精神コアを押し潰していた。
修復不可能な状態である事は、機械に疎いレイスでも一目で分かる程に内部は悲惨な状態である。
雨に濡れ、アマンダは穏やかに笑ったまま個体としての意識を失い──それは、機械の故障という類のモノとは似て非なるモノであり、アマンダ個人が形成されたであろう経験や人格そのモノの喪失。
詰まりは、事実的な死であった。
「哀れなガキだね……貴様が守り通せるモノなどありはしない。例え資格を有していようとも、貴様は無能で非力な存在だという事だ。そして、いずれ全てを失う事になる」
チェスターはアマンダに縋り付くレイスを背に、地面を這いずりながら、この場を逃げ出そうと必死に足掻くレジナルドの元へと、ゆっくり歩み寄っていた。
その手にはナイフを握り、実にご機嫌な笑みを浮かべている。サジの姿に変身すると、レジナルドの髪を掴み、手の甲を踏みつけてニヤリと口角を吊り上げた。
「何処へ行こうというのですか?」
「チェスター……もう、計画は破綻したんだよ。直にメファリスも目覚める! これ以上、犠牲を増やしたって何の意味もないだろ!?」
メファリスの鼓動は次第に強まり、その場にいる誰もがその心音に身を震わせている。
ドクンッ……
ドクンッ……
ドクンッ……ドクンッ……
目覚めた彼女がジョゼフの様に自我を保っていればいいものの、その確証はレジナルドにも無かった。
「もし、彼女が心までも堕ちていたら……動けない彼らはどうなるのですか?」
チェスター以外が動けない状態で、正にメファリスは目覚めようとしているのだ。
恐らくメファリスが自我のない状態であったなら、間違いなくチェスターは1人逃げ出すだろう。その場合、ここに居る全員が確実に喰い殺される事は明らかであった。
「それでも、チェスター……俺がアンタに殺される筋合いはない! 生き延びて、いつかメファリスの意思を目覚めさせる! アイツがまた笑える様に俺は……アンタの計画に乗るべきじゃなかったんだ」
「人造人間の分際で……家族ごっこに情でも湧いたか?」
レジナルドの喉元にナイフを当て、深く呼吸をしたチェスターは、メファリスが眠る黒い繭を見つめた。因子の鼓動が肌を伝い、身の毛もよだつ異質な霊素に身を震わせる。
「運命の輪廻によって因子は紡がれ、過去は現在へと繋がる。貴様らがどれだけ足掻こうとも、世界は何も変わらない。世界は残酷で、悲劇はいつだって唐突に起こるモノだ。愛する者を失い……守れぬ自分を呪う。この世界は一度、作り直すべきなんだ……要らぬモノを排除し、奪われたモノを取り戻す。例え、世界の均衡や秩序が滅びようともな……人ではない貴様には到底、理解出来る筈もない」
ドクンッ……
ドクンッ……
ドクンッ……ドクンッ……
「あぁ……理解したくもない。そもそも、そんな事させるかよ……世界は確かに不平等で理不尽だ。けど、今を生きている俺達にとっては、この世界に大事なモノがある! 守るべき価値のあるモノを背負っている! 過去に囚われたままの貴様には分からないだろうが、俺達は前へ進み続けると誓った! だからもう、迷わない!」
「何をほざこうが、どうせ何もできないだろう。貴様はここで死ぬんだよ……レジナルド」
チェスターが喉元を切り裂こうとした次の瞬間、神経薬に痺れていた筈のセラ、フリッツ、ハンナ、リファネス、ジョゼフ、リズベットの6人がチェスターの間合いに突然──現れた。
身構える隙もなく、6人は振りかぶった武器で勢いよく薙ぎ払う。
「き、貴様らッ!」
「お、お前ら……」
黒煙になって距離をとるチェスターに再び武器を構える6人は、レジナルドを背にして霊素を纏っていた。
コーデリヴァス同様、貴族階級には神経薬の効果が薄い事が伺い知れる。アマンダやレジナルドが気を逸らしていた数分の内に、全員が既に動ける様になっていた。
「時間がない! あの繭が目覚める前にアイツをどうにかして、拘束するぞ」
ジョゼフが剣の刃先をチェスターに向け、合図の様に指を鳴らした次の瞬間、フリッツが短剣を片手に物凄い速さでチェスターの間合いへと飛び込んだ。続いてリズベットが薙刀をチェスターの心臓に突き刺すと、フリッツの短剣がチェスターの首を撥ねる。
そして案の定、黒煙となって更に距離をとったチェスターの背後から、リファネスが大槌を振り下ろし、地ならしと共に地面へと押し潰した。
「ハンナ! セラ!」
大鎚を抑えるリファネスが叫ぶと、距離を取っていたハンナとセラが手を合わせ、地面に捕縛用結界陣を張る。しかし、黒煙と化したチェスターにとって、斬られようが潰されようが関係のない事だと言わんばかりに飄々と大鎚と地面の隙間からスルリと抜け出し、空高く飛び上ろうとしていた。
しかし次の瞬間、ジョゼフが結界式の上空に先回りしており、掌からチェスターの進行方向を塞ぐ様にして波の傘を生成する。
「なっ……!」
「捕えよ──水籠珠」
大きな波の傘はチェスターを覆い、結界陣の張られた地面へと叩き落とす。
「奴が結界陣に落ちたぞ! ハンナ、セラ!」
フリッツの掛け声と共に2人は結界を発動させる。それは、元々レイス捕縛の際に用意された携帯式結界陣で、刻印術式によって上級結界を簡易的に扱う事を可能にした教団の支給品の1つであった。
「捕えた!」
ハンナが盾を構えて結界に鍵を掛けると、全員が気を抜く様にしてその場にしゃがみ込んだ。そして、セラが深く息を吐くとレジナルドの元へと歩み寄り、手を差し伸べる。
「チェスターは捕えたわ……アンタがさっき言った言葉を信じてもいいのよね?」
「セラ……すまない。俺、間違ってた」
後悔をするレジナルドの胸に手を当て、神経薬の解毒を始めるセラは静かにレジナルドの手を握る。
その後、アレクやランドール、それにレイスの解毒を済ませた一同はメファリスが眠る繭を見つめていた。
パトリシアの事情をランドール達にも説明し、崩れ落ちたランドールにレイスはそっと背中を摩る。
ジュリアを守り通した結果がこのザマであった。為す術もない現実に誰しもが俯き、憂鬱な雨だけがその場に降り注ぐ。
「貴様ら呑気にしてて余裕だな……メルティの存在を忘れている訳じゃないだろ? 私を捕えた所で貴様らの状況は何も変わらない!」
「黙っていろ、チェスター!」
状況を整理するレイスは、妙に余裕を見せるチェスターに苛立っていた。それもそのはず、メルティは行方が分からず、メファリスの意識も分からないまま。
ただ、その目覚めを待つ事しか出来ないのだから尚更である。
* * * * * *
一方、エニス大将を探す為、この場を走り去ったコーデリヴァスは中央棟最上階に辿り着いていた。
「…………」
息を呑む様な緊張感に包まれ、コーデリヴァスは司令室前の物陰に身を潜めている。
(何だ……あの化け物。まるで人の皮を被った怪物だ。あんなのが施設内に居るなんて聞いてないぞ……それに数匹の堕天まで一緒に居る様子から察するに恐らくは、焔の幹部である可能性が高いだろうな)
司令室の中には赤い髪に高身長な猫背の男が、実に気怠い雰囲気で寛いでいた。近くには3匹の堕天が肉を頬張り、誰かの遺体を喰い散らかしている。
すると、そこへ不意に幼女が現れ、男と何やら親しげに話をし出した。
「待たせたね。チェスターの計画は見事に失敗したが、僕らは傲慢と嫉妬、それに魂核の回収をして戻るぞ」
「アイツ……態々、俺様が無垢な堕天まで用意してやったっていうのに、あんなガキ共に殺られたのか?」
「いや、囚われているだけだが……助ける必要はないだろう。エニスが死んだ今、僕らを追う者はレイス達だけだ。チェスターを握らせておけば不用意に追っては来ない」
「撒き餌って訳か……結界がなくなった事に中央の星騎士連中が気がつく前に、とっとと退散しようぜ」
2人の会話に聞き耳を立てていたコーデリヴァスは、エニス大将が殺された事実を知る。部屋に転がる死体が恐らくそうなのだろう。
堕天によって喰い散らかった肉片に彼女の面影があるはずもなく、どんな強者であっても死すればただの肉塊である現実に恐怖していた。
「そろそろ行こうぜ、メルティ」
「あぁ……だがその前にネズミが1匹、迷い込んだみたいだ──喰い殺せ!」
メルティが指示を出した途端に3匹の堕天達が、一斉に部屋の外へと殺気を放つ。
≪キャァァァッアアアアアアアアアアアアアアア──≫
そして、死の恐怖を胸にコーデリヴァスは一目散に走り出した。3匹の堕天よりも恐ろしい2人の怪物から逃れる為、死に物狂いで施設内部をひた走る。




