傲慢と因子の器 ②
アレク達が堕天を一掃した頃、リズベットを担ぎ、地下施設へと逃げ込んでいた4人が、ようやく──地下最深部の研究室へと辿り着く。
「どうやら、ここで行き止まりみたいだ! どうするハンナ、リファネス?」
「追手は来ていないみたいだし、取り敢えずあの部屋でリズベットの治療をしようよ」
「そう言えば、セラ……治療術得意だったよな?」
リズベットを背負ったリファネスが、後ろを走るセラに声をかけるも、セラは俯いたまま小さな声でボソボソと返答をするだけで、その声に覇気はまるで感じられなかった。
オルギスが死に、リズベットも瀕死な状況で、レジナルドに向けられた殺意に怯んでしまった愚かな自分が情けなくて……チェスターに殺されかけたあの一瞬で、彼女の心はもう、折れてしまっていたのだろう。
「得意だけれども……傷を塞ぐくらいしか私には出来ないし、血の量を考えれば、輸血も必要……何よりもリズベットの体力が持つかどうか……私なんかが……治療を施したところで……」
リズベットの顔色は次第に青ざめ、全く生気が感じられない状態である。微かに息をしていたが、そのか細い呼吸でさえ、いつ止まってもおかしくはない。そんな状況にセラは、自分の精神状態を保つだけで精一杯な様子であった。
「……取り敢えず、あの部屋に入るぞ」
フリッツが先導して部屋へ入ろうとすると、研究室の前まで駆け寄った4人を出迎えるかの様に、扉が独りでに開いた。
「──怪我人が居るのか? 中に早く入れ!」
部屋の中からは光が溢れ出し、1人の少年が4人の前に姿を現す。その姿はお笑いトリオにとっても実に懐かしく、人の姿をした少年に対して思わず感情が溢れ出てしまった。
「おい……本物か?」
「まさか、人に戻れたの?」
「ここで何してんだよ!? 隔離されているって聞いていたんだが、もう大丈夫なのか?」
驚愕する3人と虚ろなセラを研究室へ誘う少年は、紛れもなく護送され、隔離されていたはずのジョゼフ・キール本人であった。
研究室の中へ入ると、ガラスの割れた水槽が2つ並んでおり、室内には見覚えのある蛙が横たわっていた。ジョゼフが治療を施したのか、下腹部に血の滲んだ包帯が巻かれている。
そして、その脇には今まさに、修理中の機械人形がチラリと目に入った。誰もがその見慣れない機械人形に興味を示し、人と変わらぬ見た目だというのに、中身は完全な機械で造られた精密な存在。
「ジョゼフ……ここで何をしているの?」
「彼の治療と、この機械人形を修理しているところだったんだよ。俺が目覚めたら、この部屋で既に横たわっていたんだ。まだ息もあったし、助けるべきだと思ってね……彼女の方はどうやら機械らしいけど、生命反応もある事からただの機械じゃない事は確かだ」
ジョゼフは1人──この研究室でランドールの治療を施した後、アマンダの修理を行なっていたのだという。
その真意はおそらく彼の人間性に他ならないのだろうが、かつてのジョゼフであるという保証が何処にもない現状に、不信感を募らせる3人は、慎重に話を進める。
「そうだ……リズベットも治療できるかな? ジョゼフなら得意だろ? ほら、試験の時も……怪我したベンを見てくれていたじゃないか?」
「そうだね! ジョゼフ……お願いできない?」
「その機械人形なら、俺が観てやるから……ジョゼフはリズベットを頼む」
リファネスがアマンダへ歩み寄ると、ジョゼフも直ぐにリズベットの治療に取り掛かった。以前の彼らを取り戻す様に不思議な一体感は、3人にどことなく安心を覚えさせる。
そして、リズベットの治療を一通り終えたジョゼフは虚ろに俯くセラに目をやり、ニッコリと笑みを浮かべて話しかけた。
「外で、何かあったのか? 彼女ならもう大丈夫だからさ……そう、悲観的になるなよ」
「…………」
「気にするな……俺達も詳しくは知らないけど、第三番隊が壊滅的な状況であった事は確かだよ。リズベットはそのザマだし、オルギスは頭が喰い千切られていた。隊長のレジナルドが教団を裏切ったのか……ヤバそうな眼鏡の女と一緒だったし……」
「私達がもう少し、早く駆け付けていれば……」
「結果なんて誰にも変えられないんだよ。起こるべき事が起きた……ただ、それだけだ。もし、運命が変えられるって言うのなら、それは──コーヴァスみたいな才能に恵まれた奴らだけだよ。俺達みたいな奴らに何が出来たって言うんだ……リズベットとセラの2人を助けられただけでも、以前の俺達よりかはだいぶマシ」
リファネスは淡々とアマンダの修理を行いながら、腰袋に入っている白籠の豆薬を1粒、徐に口へと入れてガリッと噛み砕いた。
すると、物凄い集中力で、アマンダの精密部を繋いでゆく。その繊細な手捌きは、小太りなリファネスからは微塵も想像がつかないだろう。
「豆薬を飲んだリファネスは、やっぱり凄いな……と言うか、豆薬が凄いのか? いや──そもそもリファネスお前、機械人形の修理なんて何処で覚えたんだよ? それにジョゼフも……」
「俺とジョゼフで昔、機械いじりをしていた時期があってな……確か当時も、ボールトン社製の機械人形だったと思うよ。スクラップだった機械人形を独学で修理しては、訓練用に直していたんだ」
「あぁ……懐かしいね。あった、あったそんな事」
懐かしそうに頷くジョゼフとリファネス、それにハンナの3人は共に西方の地方貴族であり、試験で出逢ったフリッツよりも長い付き合いであった。
「そう言えば、お前ら同郷か……」
「うん。だからね……セラの気持ちは少し分かるよ。ジョゼフがあの日、堕天に堕ちたのを目の当たりにして、私達は絶望しかなかった。物凄く悔しかったし、不甲斐ない自分がとてもやるせなかった。だから護送の任務は、私が言い出した事なの……地方貴族なんて狭い世界じゃ、友達も少ないし……私にとってはジョゼフとリファネスが、唯一の遊び相手だったから」
「ハンナ……」
その発言にセラが顔を上げると、ハンナが優しく手を差し伸べた。そんな事で救わられるとは思ってもいなかったが、それでもセラにとっては1人じゃないのだと伝えたかったのだ。
それぞれに抱える過去や故郷は違えど、分かりえた仲間である事に変わりはない。信頼に足る仲間が共に居るという事実に気が付いて欲しかった。
セラはハンナの手を取り、再び立ち上がる。
「私……彼を、レジナルドを止めるわ!」
そして、決意を新たに外へ戻る事となった一同は、ランドールが目覚める時を静かに待っていた。アマンダの修理も終わり、不格好ながら正常に機能する事を確認して、アマンダの再起動に取り掛かる。
* * * * * *
その頃、同じくして眠り続けていたレイスは、淡い過去に囚われていた。アマンダとの出逢いを振り返り、幼少の……まだ、孤児院へ来たばかりの虚ろな朝焼けに夢を見る。
「──初めまして、私はアマンダ。今日からこの孤児院の修道女になります……宜しくお願い致しますね」
綺麗な声で堅苦しい挨拶をする彼女は本当に、美しかったと──レイスの心を彩るのだった。
綺麗な金髪に清廉な修道服。瞳は透き通る様なスカイブルーに輝き、まるで聖母という印象を与える。
「僕は……れ、レイス。先々月からロブ達と暮らしているんだけど、まだ僕も慣れていなくて……」
「これからは私を頼ってくれたら良いわよ。私はその為に来たのだから……宜しくね、レイス」
「アマンダ、この子はレイス・J・ハーグリーブズ。俺と同じく創設のメンバーで、さっき話した近所に住んでいる女の子……ミアとか、俺と同い年だ。それと、最近入ってきた2個下の……あそこで独り、本を読んでいる無愛想な子がフロド=バーキンス」
アマンダがレジナルドの指さした方へ目線をやると、そこにはソファーで膝を抱え込み、ムスッとした顔つきに眼鏡姿の少年が物静かに本を読んでいた。
「こんにちは、フロド」
「…………」
フロドはチラリと冷めた様にアマンダを見ると、物言いたげな表情を浮かべ、コクリと首だけを下げる。
「フロドはいつもあんな感じだから。後は……」
と、その時──丁度、帰宅してきた家族が玄関の扉を開けた。
「ただいま! レジナルド、また街の不良連中がヒッチさんの店のパンを盗んだらしいぞ。アイツら説得して、孤児院へ連れてきたらどうなんだ? って……その美人は誰だ!?」
帰ってきた黒髪の青年はアマンダを見るなり、蒼い瞳を輝かせてウットリと見惚れてしまう。身長差も然程ない2人であったが、どう見ても青年の方が少しだけ若く見えるだろうか……。
「おかえりなさい、ヨウにぃ! 丁度良かった。前に話していた、あの修道女に2人を紹介していた所だったんだ。紹介するね……彼は孤児院の最年長で、俺達の面倒を見てくれているヨハンの兄貴」
「──これは大変、失礼致しました。突然の事で……俺はヨハン=マグドリアス・オースティン。此奴らの兄貴分みたいなモノで、手は掛かると思いますが根は良い奴らなんで、どうか宜しくお願い致します! 一応、こう見えても俺は、教団に所属する立派な男です!」
アマンダの美貌に見惚れるヨハンの胸には教団の勲章が付いており、その勲章には4つの星が輝く。




