悪魔の実験 ⑥
遡る事、1時間前──レイス達が侵入してくる少し前にレジナルドは、チェスターと話をしていた。
「どちらへ行かれるのですか?」
研究室から出てきたレジナルドに声をかけたチェスターは、不適な笑みをニヤリと浮かべる。
「誰だ? 見ない顔だな……この支部の人間か?」
「いいえ──これは、失礼致しました。私、チェスター・C=ベイカー・クロロホルムと申します。以後、お見知りおきを……私はこの支部のアドバイザーをしている者です。防衛術から敵の情報に至るまで、ありとあらゆる面で世界政府に手を貸している──しがない街の情報屋で御座います。どうやら見た所、行き詰まっているご様子だったので、つい……きっとレジナルド様にもお役に立つ情報を提供できるかと、声を掛けさせて頂いた次第で御座います」
気持ちが悪いくらいの丁寧な話口調。それは、同い年くらいの女の子が話しているとは到底、思えない言動だった。寧ろ、レジナルドの警戒心は強まるばかりで、丸眼鏡の少女に辛辣な目線を向ける。
「何故、俺の名を?」
「それは勿論、情報屋ですので……お食事でもしながら貴方のお悩みも、お聞きしましょうか? 例えば、ジュリアの魂核について……とか」
教団の中でも少数の人間だけが知る情報に戸惑うレジナルドは、チェスターという少女の話に耳を貸す事にした。紛れもなくその真意は、良からぬ事を企んでいるのだろうと察してはいたが、彼女の話を聞くべきだと直感が告げる。
「食事はいい……それよりも、何を知っている? 要件をさっさと言え」
レジナルドの催促にチェスターは、丸眼鏡を態とらしく外し、ハンカチを取り出して丁寧にレンズを拭き始めた。
恰もやましい事が無いと言わんばかりに、冷静で落ち着いた雰囲気を醸し出す。全てを見透かす様に淡々とその饒舌は語るのだった。
「貴方がこの支部でお調べになっている研究の件ですがね……魂核の抑制でしたかな? それらを用いた副因子……貴方の身体にも刻まれているのでしょう? 元々、この施設で育った貴方は、非人道的な人体実験の被験者だったにも関わらず、何故貴方は因子を拒絶なさるのか……ジュリアには素晴らしい素質があると言うのに。それを利用しない手はないかと……貴方のその身体も、逃亡されたご兄妹も、星域を侵していると聞きましたが? それに、何よりもレイスの中に眠る彼女は、大罪の因子を持つ罪人──彼女を救う為にも、適性の高い器が必要だという事を御存じでしょうか? 出来うる事なら、ジュリアを器にするべきかと思います……レイスの身体ではいずれ、互いに消滅するやも知れません。更に、彼女が第二子となり、ジュリアがその因子の器となれば、貴方や逃走中のご兄妹さえ──星域の呪縛から解放されるのですよ? たった1人の命で、多くの人間が助けられるんです。貴方ならその価値をご理解頂けると思っていましたが……」
言葉の表面だけを見ていれば、如何に胡散臭い話でさえも、良くは聞こえるモノだ。
レイスの事を知っていたり、内情までも知っている事実は当たり前の様で、情報屋と名乗る彼女にとっては実に些細な事なのだろう。
レジナルドはその話の裏を探るべく、常に冷静を装っていた。相手が自分の話に興味を示したと感じさせつつ、警戒心を解かせてゆく。交渉術でも良く使われている手法の1つに、逢えて相手の話に乗って情報を引き出させるという手法があった。
しかし、それは時に意図しない結果となる事も……。
「ジュリアを器に──リアの中に眠るミアを移せって事か? 確かに……それで、全員が助かるなら協力しない事もないが、リスクも勿論あるんだろ? リアの身体に後遺症が残るのか? ミアがジュリアの身体に馴染むという保証は? それで、星域の呪縛をどう取り除く?」
「ご興味を持って頂けた様で、何よりです。後遺症の件は御安心下さい。貴方の能力なら、因子を残す事なく取り除く事も可能でしょう。それに、彼女はレイスの身体ではなく、蛇に宿っていると思っていたのですが……違いますか? 本来なら堕天の身体を器にすべき所をレイスは自らの蛇を器にしてしまった……あれは星霊であり、神の使徒ですよ? そんな罰当たりな行為……それで、彼は漏れ出した悪意に浸食されているのです。何れ完全に堕ちてしまう前に手は打つべきかと……それと、メファリスとジュリアの適合性や星域に関しては、研究をご覧になった貴方の方が詳しいかと思いますが……」
鼻で笑う様にレジナルドの真意を見透かすチェスターは、とある提案を持ち出した。
「どうしても、信用できないようでしたら──その時まで、答えは頂かなくて結構です。現在、隣街でレイスとそのお仲間が騒動を起こしたらしく、直に彼らはここへやって来るでしょう。それまでの間に貴方なりの希望を見つけて下さい。副因子などという不確定要素で貴方が器として犠牲になる事もない。私はいつでも貴方のお力になりますよ。共に家族を……貴方自身を救いましょう」
* * * * * *
そして、現在──地下から階段を上って来るチェスターの腕には、魂核たるジュリアが大事そうに抱えられていた。
鼻歌交じりで、実に上機嫌な様子である。
「やあ、レジナルド君……希望は見つかったかい?」
全ては図られていた様に、黒猫はニヤリと笑い──そして、レジナルドは決心を固める。
「あぁ──アンタを待っていたよチェスター……俺はアンタに協力する」
その腕に抱かれたジュリアを犠牲にする無情な覚悟。怪物と化したレイスを止める術などチェスターを於いて、この状況では他にいないのも事実。
だからこその決断であった。
「それは嬉しいお返事です! では、手始めにレイスの覚醒を抑え込み、あの怪物には大人しくして頂きましょうか!」
ジュリアをレジナルドに手渡し、レイスを見据えるチェスターは、満面の笑みで計画の確信に歓喜する。
そして、両手を重ね──霊素に集中し始めた。
(サジに仕込みを頼んでいた甲斐がありました……因子の暴走は想定内。レイス、君の義手には強制的に昏睡状態へと促す刻印術式が施されているんですよ。手術に怯えていた君を見て、サジに私が頼んでおいたプレゼント……サジの霊素でしか反応しない限定的な術式ですが、この身体さえあれば……)
「───刻印解放! 眠れ……哀れな資格者よ」
チェスターが命ずるままに、レイスの肩に仕組まれていた刻印術式が全身を巡り、悪意が徐々に薄れてゆく。
そして、元の姿に戻ったレイスは深い眠りへと入り、その場に膝から崩れ落ちた。
「レジナルド君、出番ですよ。堕天が集まってくる前に早く!」
ジュリアを抱いたままレイスの元へと向かおうとした、その時だった。セラが青ざめた表情でレジナルドを見つめ、物凄い力で腕を掴み、引き攣った笑みで引き止める。それは、人を見る目ではない。
まるで、幽霊でも見ているかの様な──死んだ瞳で、セラはレジナルドを見つめる。
「れ、レジナルド……な、何をしているの? 何で……そんな、オルギスが死んだのよ? 何で、そんな……アンタは飄々としていられるの? レイスが殺したのよ? アイツが……オルギスを……」
「すまない……離してくれ。やるべき事があるんだ……」
「何で……オルギスを喰った奴なんかを……私達、仲間でしょ? アイツを助けて、その小さな子も犠牲にするの? 本当にそれが正しいの? オルギスは何の為に死んだの? ねぇ! 答えてよ! アンタにとって私達は、ただの捨て駒なの?」
「もう嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 嫌だぁ! 死にたくない……死にたくない……」
精神崩壊を起こしたリズベットが突然、レジナルドの抱えていたジュリアを奪い去って走り出す。不意の事にレジナルドも動揺していたのか、いとも簡単に奪われてしまったジュリアを取り返そうと、反射的にリズベットの心臓を剣で貫いた。
「……グッ……あ゛っ、こ……この子を……だ、助けようとしただけ、なのに……」
「違っ……そんな、そんなつもりじゃ……ごめん」
ゆっくりとその腕から力が抜けてゆく感覚に、レジナルドは魂の重みを実感する。謝って刺した剣先の感触に、柄まで滴る生暖かいリズベットの血が身に沁みて、溢れ出す複雑な感情に心が歪んでゆく。
「り、リズベット! レジナルド、アンタ……」
「ち、違うんだ……これは、ただ……助けたくて……家族を助けたくて……」
動揺するレジナルドだったが、ジュリアをリズベットの腕から奪い取り、刺した剣をゆっくりと抜いた。覚悟を決めた筈の心は脆く、セラの辛辣な目線に殺意さえ芽生えてくる。自分が守りたかったモノを理解し、何を切り捨てるべきかを知った。
「き、君も邪魔をするなら……」
「──私が、消してあげましょうか?」
唐突にセラの背後に回り込むチェスターは、小さなナイフをその首元に添えて不敵に笑う。
そして、口角を不気味に釣り上げながら、その首筋を切り裂こうとしたその瞬間……上空から物凄い勢いで何かが降ってきた。
チェスターがその衝撃で黒煙となった瞬間に、何処からともなく現れたフリッツ、リファネス、ハンナのお笑いトリオが、すかさずセラとリズベットの身柄を確保して地下施設内部へと逃げてゆく。
「何なんだよ!? 一体……」
そして、不思議そうに見つめるレジナルドの目線の先には、レイスをかばう様にして小さな堕天が宙を飛んでいた。その眼光は鋭く紅蓮に染まり、黒紫色の大きな翼を広げている。その姿は、まるで──悪魔の様にも見えた。
「貴様ら、レイスに……何をした。パティの大事な家族を……」
≪──キャァァァッアアアアアアアアアアアアアアアァァ──!!!!!!≫
耳を劈くようなパトリシアの共鳴に支部内を彷徨う堕天達が、一斉に同じ方角をギョロリと見つめる。




