悪魔の実験 ④
レイスが完全に堕ち、施設の子供達を喰い荒らしてたい同時刻──メルティは結界の遥か上空から北方支部を見下ろし、怪蟲の群れを従えて嘲笑っていた。暁に染まる夕焼けをその怪蟲達で覆いつくし、両腕を高らかに広げてニヤリと笑う。
堕天特有の共鳴反応により、支部内部にその存在を確認するとゲスな笑みで世界を見下す。
結界に囚われた哀れな家畜を見る様な、そんな表情を浮かべ歓喜に酔いしれていた。
「──ハハハッ……時は満ちた。お帰り、メファリス……ようやく君に逢えるよ、傲慢。これで、ジョゼフも時期に目覚めるだろう……後は、彼女の覚醒を待つだけ……」
* * * * * *
一方、正面城門ではアレクとパトリシアが、コーデリヴァスとの激しい戦闘を繰り広げていた。アレクの類稀なる戦闘センスを以てしても届かない遥か格上に疲労は溜まってゆくばかり。
「うらぁあああああ゛ぁぁ!!」
右腕の義手に炎を纏い、触れるモノ全てを爆破するが──全くといってコーデリヴァスには触れられないでいたのだった。
「そろそろ諦めたらどうだ? 貴様らでは到底、俺に勝つ事は出来ないと理解できただろう? それとも本当に死ななければ理解できぬか?」
「吠えてろ……俺はテメェをぶっ飛ばす! そんな事より、増援が来ねぇけど大丈夫か? お前ら新兵に支部を任せて、お偉いさん方は何をしてんだよ? まさか、お前ら新兵だけで、侵入者を止めようなんて思っちゃいねぇよな? 結界の外には中央の第一師団も居たと思うんだが、どうもこの支部は人が少な過ぎる。正面に至っては、お前らしか居ねぇしな……一体、何を企んでる?」
疑念──手薄な警備に警戒心を強めるアレクは、ずっと疑問に思っていた。何故、他の支部のそれも新兵しかいないのか、その疑問は疑念に変わり、不安だけが着実に募ってゆく。
「増援はない。中央の第一師団は北方支部への介入を拒否され、唯一介入を許されたのが、俺達第一番隊とレジナルド率いる第三番隊だけだ。元々この支部に所属する星騎士達は現在、隣国との密談の為にその殆どが出払っている状態……残っている兵力は施設警備員と大将であるエニス・キャンティとその副官ジェイビス・ダーウィン中将の2人だけ。しかし、彼女らが動く事はまず、在り得ないだろう。何故なら、貴様らは俺達を殺せないからだ。レイス・J・ハーグリーブズ及び、アレク=ヴァイジャンは最終試験で黒膚病感染者の子供すら、殺す事を躊躇ったと聞いている。そんな奴らに俺達が殺される筈がないだろう?」
至極当然な結論だったが──不確かな事が2つ。
それは、余りにもこの奪還作戦の情報が洩れていたという点だ。それと、だからと言って星騎士達を支部から離した事への疑惑。あたかも何かを起こす事を前提に侵入を許し、犠牲を減らす為──自身の部下でもある北方の星騎士達を遠ざけた様にも聞こえた。中央の第一師団には決して知られたくない何か……。
「エニス……北壁の知将か。何を企んでやがる……考えたって分かりっこねぇが……それに、レジナルドの奴がここに居るのなら……パティ! こんな所で足止めをくらっている場合じゃねぇ! お前は先に行け! ここは俺1人で相手をする」
「でも、2人がかりでも……」
「心配すんなっ! 既に隠密は破綻したんだ。それに、レジナルドが居るのなら、俺達の力になってくれるかも知れない! 急げっ! あまり時間はないぞ! 嫌な予感がする……」
アレクに言われ、上空を飛んでゆくパトリシアに反応して、お笑いトリオが後を追いかけてゆく。
「1人逃げたぞ、コーヴァス!」
「コーヴァス! こっちは任せろ!」
「き、気を付けてね! コーヴァス君……」
「アイツら……コーヴァスと呼ぶなと言っているだろ。今度、呼んだら全員堕天の餌にしてやる」
「それで? コーヴァスはまだ、俺の足止めをするつもりか? 少し冷静に考えてみろ……この状況、全てが可笑しいと思わないのか? 恐らくお前ら新兵はただの捨て駒だ……予想もつかない何かが、動いているのかも知れない! こんな争い……何の意味もねぇ!」
アレクの言葉に一切、耳を貸さないコーデリヴァスは静かに構える。
「貴様らは侵入者だ……ただ、それだけ……覚悟なき者は立ち去るがいい! それと、俺をコーヴァスと呼ぶなよ……」
* * * * * *
そして、パトリシアが施設入り口を探している最中、ランドールは遂に最深部へと辿り着く。
不穏な空気が漂う闇の底。
禍々しい霊素を感じ、その足取りは重く、絶望の淵を歩いているかのようだった。
「何なんだ……このフロアに来た途端、まるで猛獣の腹の中に居る様な不安が……徐々に神経を摺り減らされてゆく様な……」
そして、廊下の突き当り──そこにある扉を開けて、隔離される二つの水槽に目が止まる。
1つは銀髪の小さな少女が口に管を付けられて、水中に眠っていた。
もう1つは恐らくジョゼフであろう。同じように管を付けられ、レイスが変異した姿によく似ている。
「何だ……ここで、何の実験をしているんだ……」
「──あら? 思ったよりも早かったのね……って、貴方は誰? レイスは? まぁ、仕方ない……これも全てジュリアの為、実験の邪魔者は容赦なく排除させてもらうわよ」
そう言い放ち、物陰から姿を現したアマンダにランドールは思わず、身構える。
「あ、アマンダか!? 俺はレイスの家族だ……もう大丈夫だ。俺達は君らを助けに来たんだよ」
「知っているわ……全て、レジナルドから聞いたもの。ジュリアを……私の可愛い子供を、外へ連れ出そうとしているのでしょう? そんな事させる訳にはいかない! この子はここでしか生きてはいけないの……今や魂核の浸食は止まらず、いずれ世界を崩壊させる第二子となり得ると言われた。嘗ての黒の様に……この子にはその忌まわしい血が流れているのよ。私はこの子を引き取った時から、いずれ来るであろうその日を回避する為、教団にさえ協力してきた。あの子もそう……すべては大切な家族を守る為! 嘗ての彼らに託された世界の遺志に背いてでも、私は私の愛した子供達を守り通す! 理解できるかしら? あの日、レジナルドの手によって目覚めた私は母の代役を任され、教会の修道女となった。私はこの子達の為に居るの……だから、邪魔をしないで!」
突然、襲い掛かって来るアマンダに困惑しながらも、ランドールは必死に説得を続ける。
「何を言っているのか分かりませんが、俺達は味方です! 危害を加えるつもりは一切ありません! お願いです。どうか、落ち着いて下さい! こんな所で貴女と争っている時間は無いんですよ!」
「ジュリアは絶対に渡さない! 貴方を……殺してでも……子供たちは守り通すわ! それが、レジナルドとの約束……私は母で、この子たちを守る盾となる! 決してこの子に第二子なんて役割はさせない! 1人の人間の子供として、ちゃんと私が育てるの! 禁忌に触れようとそれが我が子を救う唯一の選択肢なら、私は悪魔にだって魂を売るわ!」
「──ご苦労様……もう君はいいよ」
ランドールの背後で聞き慣れた声がすると同時、アマンダの右肩が吹っ飛んだ。
「はっ……まさか!? な、何故、貴方が……その姿、生きていたの?」
「誰だっ!?」
ランドールは咄嗟に振り返ると、そこには不敵な笑みを浮かべ、ニヤリと笑うサジ=トレイヴォが立っていた。お尻にはご機嫌そうに揺れる黒い尻尾があり、その笑みはどこかで見た事さえあった。
「御機嫌よう! 私、情報屋を営むしがない黒猫です。にゃあ……なんつって♡ そこの機械人形はもう用済みです。いい撒餌さになってくれました。お陰様でレイスをこの施設へと誘導できましたよ。今頃は私のお友達が植え付けた悪意によって、完全に堕ちている頃でしょうか? この身体にも慣れてきましたし、そろそろ頃合いです。世界の終焉を演奏するとしましょう! 運命の輪を持つ者と魂核の異端児によって、世界に再び悪意を……どれ程の人間が正気を保っていられるのか、実に楽しみです。嘗て、そこの機械人形や君の父上達に阻止されたお陰で、計画を見送らざるを得なかったのですがようやく! ようやくです! 遂にこの日が来た! 今は亡き大国を滅ぼしたと謂われる第一子の再来! その銀髪の少女を糧に世界を……人類を……浄化する」
「父上って……それに、その喋り方……サジじゃない? お前、チェスターか!?」
「彼は嘗て、私達と共にあった。革命軍と呼ばれ、共に世界政府を討つ為に義勇軍を発起した、変革の時代に生きた者の1人よ……貴方は彼らの子供なの? でも、そんな筈は……だとしたら、貴方はアルヴェルトの……? 忘却の国が失った皇太子……という事になるわね」
唐突に知らされる自身の過去は今は亡き大国の皇太子だと言うアマンダ。
「そうさ、この蛙君はあのアルヴェルトの息子だよアマンダ。ランドール・L・アルヴェルト=キンブリー、そう教えただろ? 記憶しているかい蛙君? 君が教団に保護され、身分証を発行してやったあの時、君に手渡したのはこの私だ。嘗ての戦友の忘れ形見。実に滑稽だったよ。記憶喪失で姿は醜く──誰も助けてはくれない。君なら世界を呪うかと思っていたが、とんだ期待外れだった。だから、今度は標的を孤児院に切り替えたのさ……第一子:黒の実の孫娘が保護されていると聞いてね。そしたら、運命の輪を持つ子まで居るんだから、流石の私も驚いたよ! 彼の遺志を継ぐ者があんな小さな孤児院に居るなんて、誰も思わないからねぇ……アマンダ、君も罪な存在だ。君さえ居なければ、世界はもう少し穏やかだったのかも知れない。悪魔の子を育て、運命の輪さえも身近に置いていたんだ。君はいつだって世界を破壊できた。嘗ての同志たちに顔向けできるかい? そんな事をさせる為に彼も、君をあそこへ残した訳ではないだろ? ニコラス=ダグラビウスは君の裏切りを知ったらどう思うだろうな?」
「き、貴様! 裏切ったのは、貴様だろうがぁ!!」
アマンダが再び立ち上がろうとした途端に、もう片方の腕も吹き飛ばされてしまう。
「やめろ……ジュリアに手を出さないでっ! やめて、チェスター!」
「これで、世界ともお別れだ……さて、蛇が出るか、悪魔が出るか──さぁ、悪魔の実験を始めようか!」




