悪魔の実験 ②
施設内部への潜入は基本的に正面の城門を潜り、教団の北方支部を更に地下へと抜けた先である。ザックの情報によれば、小柄なレイスかパトリシアであれば、逃走の際に使った抜け道があると言っていたが、アレクとランドールが使えない時点で、他のルートを考慮する必要があった。
そして、レイス達は仕方なく正面城門前にて、森の茂みに身を隠し、メルティと共に敵陣を伺っている所である。まさに奪還作戦の開始は目の前にまで迫っていた。
「思ったよりも警備が薄いんだな……中央の連中や北方の奴らが警戒していると思っていたんだが、星騎士の姿も見当たらないじゃねぇか。教団の支部にしては、かなり手薄な方なんじゃないか? 本当にここが不落の要塞なんて謂れているのかよ?」
アレクは不安気にメルティを見つめると、その問に答えるメルティは、神妙な面持ちを見せる。
「油断するなよ……見えるか? あの結界、まさに僕の蟲を殺す為だけに張られたモノなんだ。他は大した効力も持たない簡易的なものだが、ジョゼフ護送に際して用意したと思われる。以前はなかったが、奴らは常に僕ら組織を警戒していると同時に、以前から何度も僕ら罪人の確保に尽力を割いてきた。詰まる所、通常の堕天では大した成果が得られないと躍起になっているのだろう……そこにジョゼフという貴重なサンプル。奴らが警備を怠るとは到底、思えないんだ。恐らくは僕を誘い込み、捕らえようとしているのか……もしくは、情報を聞き付けて……本命はレイス、君かも知れない。どちらにせよ用心に越した事はないだろう。くれぐれも無駄な戦闘は避けるんだ」
正面城門を前に作戦を煮詰めるメルティの助言に思わず、生唾をゴクリと呑み込み、無茶は承知で奪還作戦に挑もうとする4人の顔付きが次第に強ばってゆく。
息を呑む程の緊張感に手は汗ばみ、少し震えていた。
恰も支部の中へと誘い込む様に警戒の手薄となった正面城門。そこには数名の施設警備員しか確認出来ない。
「こうもナメられているとは……少なくとも、ザックの話では捜索に大勢の施設警備員が追ってきていたと言っていたのにな。それに、支部の警備には星騎士が常時、複数人は巡回していたらしいじゃないか。逃げ出す時には、やっとの思いだったって話だろ? 罠だって分かっていながら態々、正面から入る必要はないだろ?」
「ザックの言っていた抜け道はランドールとアレクには無理だって話だ……行くなら正面しか有り得ない。他に道なんてあるのか?」
レイスの質問にランドールは膨れた様にため息を吐き捨て、上を指差して不敵に笑う。
「決まってんだろ! 上だよ、上! 上空から攻める」
「はっ!? 正気か? 敵陣のド真ん中にそんなド派手な登場したら速攻でバレるだろ!?」
「レイスの言う通りだ。流石にこの俺でもその策が無謀だって事くらいは理解出来る。やるならランドール、お前1人でやれよ……俺は正面から行くからな!」
「ならパティも正面から行く! ランドールが敵を惹き付けてくれるなら凄く安心だね!」
「おいおい……そんなバラバラで大丈夫なのか? 僕はジョゼフさえ回収してくれれば、別に構わないんだがなぁ……全滅なんて事になったら元も子もないぞ?」
不思議そうに見つめるメルティを余所にレイスが薄い笑みを浮かべ、渋々と重い腰を上げた。
「そういう事なら、僕はランドールと一緒に上からだろうね。まさに愚策も良い所だが……もし仮にザックの言う通り、アマンダとジュリアが施設内部に居るのだとすれば、騒ぎを起こした方が逆に見つけやすいのかも知れない。それに、僕らが騒ぎを起こせば、それだけアレク達の負担が減るって訳だな。恐らくは最重要機密でもあるジョゼフの警備が最も厚い筈……アマンダは自由に動けるらしいから、悪くはない策だと思うよ。それに、僕とランドールはアマンダとジュリアさえ見つけてしまえば後は、ただ逃げるだけだからね。少なくとも、逃げる事に関しては自信がある!」
「逃げ腰のレイスが一緒ならランドールも、アマンダ達も取り敢えずは大丈夫だろうな」
「おい! 自分で言うのは良いけど、アレクに言われると何だか腹立つなぁ! 僕だってやる時はやるさ」
たわいもない会話……作戦前とは思えない程、和むやり取りに笑い出すランドール。
「ハハハッ──何だかんだでやっぱり仲良いよな、お前達は……家族ってモノを俺は知らないから。少しだけ、お前達を見ていると、羨ましいよ」
「パティも家族になりたい!」
「何言ってんだ? ランドール、それにパティも孤児院に来た時からもう──2人は俺らの家族だろ?」
アレクは至極当然の様に答えた。
それが、ランドールやパトリシアにとって、どれ程の重みを持つ言葉なのかも知らず、ただ当たり前の事実を告げるのだった。
それは、自分達も不運な境遇を背負い、それぞれが運命的な出逢いにより、あの場所を訪れていたからこそ当たり前に出てきた言葉である。
アレクも、レイスも、他の家族も……皆、それが当たり前となっているのだろう。互いに寄り添い、助け合って生きてきたこの数年で、かけがえのない家族というモノを知った。
「か、家族か……そうか……」
「やったー! パティも家族!」
ニタニタと嬉しそうにするパトリシアとは逆にランドールは、少し涙ぐみながらアレクの言葉を噛み締めていた。
記憶も無く、思い出もないランドールにとっては唯一無二の優しく接してくれた人間が、気味の悪い自分自身を家族として認めてくれた──なんの忖度もなく、受け容れてくれた──そんな、かけがえのない瞬間である。
『何あれ? やだ……あの見た目。気味が悪い……蛙よね? 何故あんなのが王都にいるのかしら……警備は何しているのよ』
『化け物だぁ! 衛兵! 怪物だ! 忌蛙が出たぞ』
『街から出て行け! 気持ち悪いんだよ……お前の様な奴に生きている価値なんてねぇんだ。化け物が……』
自分自身ですら、過去の姿を知らない。
過去の自分を知る者も居ない。
知らぬ街の裏路地で目覚め、最初に知った事は自身が怪物であるという事実であった……心ない罵声に軽蔑の眼差し、出て行けと物を投げられ、世界から存在を否定され続けた。窓ガラスに映るのは、見慣れない蛙。
右目に大きな古傷を負った異様な姿だった。
怪物は、優しさを知る間もなく教団に保護され、実験動物の様な扱いをされた挙句……王都を放り出されてしまう。独り──森を彷徨い続け、空腹に湖の魚を生で食べた。
終いには腹を下し、腹痛と孤独に夜を過ごす。
生まれてきた意味も……何も知らないまま、世界に拒絶され、星空に願った。
出来る事なら、生きる理由が欲しい。
何の為に生まれ、何故──こんな姿なのかと……。
『一緒に来ないんですか?』
そして、願いは知らぬ内に叶っていたらしい。
“繋がり”
あの夜、ランドールが星に願った切なる思いは、数奇な運命によって叶っていたのだと知り、嬉しみに涙を噛み締める。
報われない人生の先で唯一、手を差し伸べてくれたレイスにアレク。その2人に家族だと認められた。
「孤児院では皆、家族なんだよ。だから、パティもランドールも、僕らの家族だ……いつか、ちゃんと皆に紹介するからね」
レイスはパトリシアの頭に手を優しく置いて、ニッコリと笑みを浮かべる。
「──もういいかい? 家族だのそういう事は、目の前の作戦を無事に完遂させてから、ゆっくりとやってくれないか? 僕も暇じゃないんだ……」
メルティが辛辣な表情で話を遮ると、急に目付きを変えて不敵な笑みを浮かべる。次第に辺りは暗くなり、大空を見上げると怪蟲の大群が青空を覆い尽くしていた。
* * * * * *
一方、怪蟲の大群を見上げるレジナルドは、その異様な光景に剣の柄を握り締める。
「来たか……リア」
ピリつく空気が肌を刺し、指先に電気を纏うとそこへ丁度セラが駆け付けて、怒った様に歩み寄る。
「レジナルド、何処に行っていたのよ! ジョゼフの護送も完遂したんだから、ここを早く離れるわよ。なんだか嫌な予感がするわ……」
「なっ……何だ、アレ!?」
「あ……あの時の……蟲?」
その後に第三番隊のオルギスとリズベットも合流すると、事態の異様さに驚愕する。まさに、第二試験の再来でも見ているかの様な光景が、忽然と目の前に広がっていた。
「おい! お前ら人手が足りないらしんだ……お前らもジョゼフの護衛の任に着け! どうやら侵入者がいるらしいんだよ」
そう告げたのは第一番隊:フリッツである。
その後ろには同じく第一番隊のハンナとリファネスもいるが、隊長であるコーデリヴァス・L=ヴァルバティスの姿はない。
「お前ら隊長はどうした?」
「アイツは知らねぇよ……隊長のくせに単独行動が過ぎるんだよ。中央の第一師団は応援に来れないみたいなんだが、護送任務の俺達だけはここに残り、敵の殲滅を命令されている。北方支部の星騎士は何故か運悪く、大半が出払っているらしいんだ……」
「私達だけじゃ……お願い! 第三番隊もここに残ってよ! あの蟲、見たでしょ? 死にたくないの……」
リファネスとハンナの言葉にレジナルド達が耳を傾けている最中──蠢く怪蟲の中から、結界をすり抜けて真っ逆さまに落ちてくる2つの光が空を裂く。燦然と放たれた霊素に包まれ、舞い降りる勇姿は……奇怪な蛙と金色に輝く小さい少女であった。
その手にはトンファーを強く握り締め、土煙の中からその勇猛果敢な姿を現す。
「──僕の家族を……引き渡せ!」




