兄妹の絆 ⑤
憎悪に満ちた呻き声が鳴り響く、常闇の空──平穏な街に淀めく、不穏な空気が肌を刺す。
北風の街=ハイデンには、総勢18,000人以上もの星騎士達が集まっていた。
「うっ……あう゛……ぁ……あ゛あああぁああ!」
自我を失い暴走するレイスを唆す様に取り巻く黒蛇は、メファリスの意思に従い悪意を放つ。
「レイス、しっかりするんだ!」
「レイス! 止まって、お願い!」
ランドールとパトリシアが懸命にレイスの暴走をその身で抑え込んでいる間、呻き声を聞きつけた星騎士達が駐屯地からぞろぞろと集まりだし、3人を逃さぬ様にと取り囲む。敵陣の渦中で騒動を起こしたが故、それが必然的な結果であり、誰もが逃さまいと血気に満ちた顔付きをしていた。
そして、第一師団の指揮官でもある黒騎士もまた、その威圧的な存在感と重厚な鎧をその身に纏い──姿を現す。
「おやおや……お尋ね者が態々、自ら出向いてくれるとは探す手間が省けたよ。丁度、施設へ部下を先回りさせた所だったが、これはこれで良かったかな……総員、武器を構えろ! レイス・J・ハーグリーブズ及び、堕天の少女を捕獲。カエルとそこの赤髪は逃亡補助の容疑で死刑とする!」
無情な審判がユアを見つめ、静かに腰の剣を抜いた。
「おい……そこの娘、何をしている? 聞こえなかったのか? 今直ぐ、その赤髪を殺せ……それとも、貴様も教団に歯向かうというのか?」
大勢の星騎士が取り囲む中で黒騎士はアレクを抱きかかえるユアに、辛辣な言葉を突きつけた。それは、規律に従うか、それとも家族を守るのかという高圧的な2択──天秤に掛けられたモノの重圧にユアは、ゴクリと生唾を呑み込み、アレクの手をギュッと強く握り締めた。
「彼は……アレクは……関係っ──」
「よせ! お前まで殺されるぞ……俺なら大丈夫だ。レイス達と逃げられる……それよりも、施設の場所は何処だ?」
深い傷を負いながらもアレクはまだ、施設へ向かう事を諦めてはいなかった。それ以上に現状を打開する策もないというのに、その先の事ばかりを考えている無計画さに苛立つユアがため息を吐く。その馬鹿がアレクという無鉄砲な少年であり、それも全てチビ達の為で、レイスの為でもある……。
そして、他人を気遣う素振りをしながら、無い頭で考え出した答えはいつも決まって愚策だった。アレクのそういう馬鹿さ加減にも、信念を曲げない愚直な所も、実に嫌いだった……大嫌いだった……。
「馬鹿じゃないの……そんな身体で……逃げ切れる訳ない。私がアンタだけでも……」
「俺だけ助けて何になるんだ! ユア……俺は、お前も救いたい。迷惑はかけられねぇ……心配すんなよ。俺に任せろ! こんな傷、大した事ねぇ……俺はいずれ、英雄になる男だ! この歪んだ世界も、貴族階級も──全て俺がぶち壊す! 俺の家族を悲しませる奴は、俺がぶっ飛ばす!」
アレクはニコリと笑い、背中の傷を抑えながら徐に立ち上がった。
「馬鹿……どうする気?」
「お前は気にせず、構えろ! あの黒騎士に歯向かおうなんて勇敢な真似は今、お前がするべき決断じゃねぇだろ? 決断すべきは俺の方だ! どっちにつくべきか……決めたぜ……メルティ。これは、悪魔との取引だ!」
『──君達がどちら側につくのか……もし、堕天である僕ら側につくのなら、この笛を鳴らしたまえ。その時は、この僕が喜んで君達に手を貸そう。レイスの共鳴は次第に早まってゆく……決断は早い方に越したことはない。待っているよ……』
アレクはメルティの言葉を思い出し、ポケットから取り出した小さな笛を吹き鳴らす。
その笛は──音もなく、ただ鳴らしたという事実だけが心をざわつかせた。
そして、取り囲んでいた星騎士達も、不穏な空気に身を震わせ、無音の静寂が世界を包み込む。
背後で唸っていた筈のレイスの声も聞こえない……そう思い、ふと振り返ってみるとそこには不敵に笑うメルティ・ロームが立っていた。小さな身体に大空からは無数の羽音が近づいている。
「待っていたよ……星騎士様方、御機嫌よう! 僕の兄妹を迎えにきたぞッ! さぁ──滑稽に踊れ! 暴食!」
メルティが叫ぶと同時に空からは怪蟲の群れが、星騎士達を襲い始めた。
「総員、奴らを捉えろっ! 1人も逃がすなぁ!」
視界を遮る程の大群──否応なしに身動きの取れない星騎士達を他所にメルティは、レイス達を颯爽と回収する。アレクも怪蟲達に連れられて、ユアの目の前からその姿を消した。
「アレク……」
そして、その光景を見ていたザックとナルバは遠ざかってゆく群れの塊に気が付き、その後を追うのだった。
* * * * * *
極秘施設近辺の森の中。
「レイスの容態は?」
「大丈夫だよ……僕が悪意を制御しておいた。もう、当分は暴走しない筈だ。君らが僕ら側についている限りは、積極的に協力も厭わない。しかし、施設内部は別だ……あそこへは僕じゃ入れない。というより、僕だけを警戒して虫除けの結界が張られている。アイツらに僕の能力が知られている以上、先ず間違いなく僕が行けば……僕は死ぬ」
その発言はまさに、術師にとって能力を知られる事へのリスクを物語っていた。身体能力などを差し引いても、固有能力というものは基本的にその者にとって生命線と言っても過言ではない。
多種多様な術を扱えようとも、天賦である固有能力の全容を他者に把握される事の重要性。その危険性は、他者に心臓を握られている事と同義である。その点で言えば、レイスの固有能力は最弱故に他者に知られても無害であると言えるだろう。
「面倒な話は抜きだ……お陰で助かったし、深くは聞かねぇ。俺達の目的はザック達の救出で、ついでにテメェの用事に付き合うだけだ。レイスが目覚めたら、俺がコイツに事情を説明しておく。それで……」
話をしている最中、突然アレクが倒れた。
さすがに無理がたたったのか、物凄い冷や汗に青ざめた顔色。痙攣する身体は次第に動かなくなり……。
「アレク!? 凄い血の量……」
「おい!? アレク、しっかりしろ! お前、何でなんも言わなかったんだよ! 物凄い怪我じゃねぇか!」
倒れたアレクの背中は真っ赤に染まり、服をめくり上げるとそこには獣に切り裂かれたかのような深い傷が出来ていた。その状態で意識を保っていた事が不思議なくらいに傷口は深く抉れている。
「メルティ……どうにかなんねぇのか? 治癒とか……」
「僕に治癒能力はないよ……ごめん……」
「アレク……アレクが、冷たい」
意識を失ったアレクの頬に触れるパトリシアは、その冷たさに驚く。まるで、あの時に触れた母の様だと、思わず涙が零れ落ちた。
「嫌だ! 嫌だぁ! アレク……ダメだよ。パティとずっと一緒に居てくれるって約束したもん! 冷たく……なっちゃ、ダメだょ……一緒に遊んでくれなきゃ……アレクの分まで、ごはんパティが食べちゃうよ……」
「パティ……」
ランドールは泣きじゃくるパトリシアの頭にそっと、手を添えてしゃがみ込む。冷たくなったアレクの手を握り、何もしてやれない自分に腹が立っていた。無能で、役立たず。
さっきだってアレクがメルティを呼ばなければ、事はもっと深刻になっていただろう。
レイスは悪意に呑み込まれ、沢山の死体が転がっていたかも知れない。
ランドール自身も、パトリシアだって無事であったはずがないんだ。アレクが決断していなければ、アレクが居なければ……きっと、ここまで辿り着いてすらいない。それなのに……何も出来ない虚しさだけが、ランドールの心臓を抉る。
「アレク……俺はどうすればいい? レイスにどう説明すればいいんだ……」
「──居た! やっぱり、レイスとアレクだ!」
「にぃ、待って!」
その時だった、見慣れぬ子どもが2人──倒れるレイスとアレクに駆け寄ってきた。
「き、君達は……?」
「誰!?」
「僕はザック=ウォーカー、こっちは妹のナルバ=ウォーカーだ。2人と同じ孤児院の家族だよ」
「にぃ! アレクが……」
遂に合流を果たしたザックとナルバだったが、既にアレクは衰弱しており、レイスも意識を失ったまま現状は最悪な状況である。見知らぬ幼女と奇妙な蛙がアレクに寄り添う中でメルティだけが、この兄妹から感じる──ただならぬ力に息を呑んだ。
(在り得ない……星域を犯したのか……この兄妹、最早──人じゃない……)




